特別寄稿 Special Articles

 

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2024.2.24会報No.112 NEW!

対話型生成AIとセキュリティ

当会顧問東京大学名誉教授

吉田 眞

はじめに

 

この1-2年で、ChatGPT(*)などの対話型生成AI(以下、生成AI)が急速に発展しており、関連の報道を見聞きしない日は無いほどである。昨年までは、取りあえず使ってみる状況であったが、実践に入っていく段階になってきた。生成AIは、翻訳や文書の下書き案、コード生成、など多くの分野のタスクで利用が始まっている。一方で、社会、個人への悪影響が指摘されており、利用拡大に従って種々の課題も明らかになってきた。

 

(*) 「GPT」は、言語モデル「Generative Pre-training Transformer」の略

 

 生成AIは、その原理から誤りや嘘(フェーク)のデータを意図的に学習させて回答に悪影響を与えることは勿論、意図的でなくとも、学習時と最新データの時間差や過去の古いデータによって誤った結果を出力することがある。

 

 攻撃は最大の防御といわれるが、セキュリティも攻撃側が常に先行し防御側が後追いになる。生成AIの場合も同様である。特にその急な拡大がCovid19や国際紛争の発生と重なったことから、偽情報の拡散や詐欺に使われる多くの例が報じられた。これらへの防御策として、ChatGPTには悪意によるコンテンツや違法なコンテンツの生成を防ぐ様々な制限が設けられている。しかしながら、この制限を回避することは可能であり、実際、様々な例が見られる。

 

 このような背景により、小生が関係しているセキュリティ分野の非営利一般社団法人では、昨年11月の秋のイベントのテーマを「ChatGPTが問いかける、クラウドセキュリティの新たなヴィジョン」として開催した。【1】

 

 生成AI技術の詳細については、他の書籍や解説をご参照いただくとして、本稿では、その課題、主にセキュリティ(情報通信だけでなく、社会・経済・国家の安全を含む)、プライバシーの観点からの課題について紹介する。なお、生成AIの主要な種類としては、画像生成AI、テキスト生成AI、動画生成AI、音声生成AIがあるが、本稿ではテキスト生成を主対象としている。

 

1.生成AIのざくっとした原理(たとえば【2】)

 

 生成AIとは、大規模言語モデル(Large Language Model: LLM)を活用することにより、自然な対話ができるようになったAIの総称である。LLMとは、大量データによって入力された単語列に対してそれに続く単語列の確率を学習して、その確率が最も高い繋がりに従って回答を生成する機械学習モデルのことである。

 

このような生成方法により、生成AIは、言葉・単語自体の意味内容には全く関係無く、単なる記号としてその間の結びつきの出現頻度の高さによって文章を生成する。文章・言語データを大量に学習することにより確率の精度は高まるが、ルールや知識によって処理しているわけではない。数学や論理、事実とその関係、知識そのものは取り込まれておらず、文脈も理解している訳ではない。

 

 これが生成AIの本質的な限界である。このため”嘘をつく”こともあるし、存在しない話を答えてくることもある(幻覚; ハルーシネーション)。当然ながら、思考、信念、感性、意識は持っていないので、人間のように”会話しながら考えること”はできず、逆説や皮肉なども判らない。出力結果は意味内容から人間が判断せねばならない。

 

 さらに、読み込んだ時点以後のデータはないので、最新情報が出力されないと言う問題もある。なお、データ自体にも、例えば歴史の記録書では編纂時の為政者に望ましくない情報は除かれていることなどの偏りの問題がある。このようなことから、検索エンジン、計算アプリ、知識データベースなどと組み合わせて補完・修正する手法が必要であり、種々試みられている。

 

 具体的には、ChatGPTでは以下の3段階で処理を行っている。

・事前学習:膨大なテキストデータを収集する。このデータによって文章中の単語に続く単語を予測する

・指示チューニング:タスクの能力を高めるためのパラメータを調整する

・人間のフィードバックによる強化学習:誤情報や不適切な表現を抑制し、人間の選好を言語モデルに学習させる

 

2.ChatGPTを含む大規模生成AIモデル(Large Generative AI Models、LGAIMs)の課題

 

 上記の原理によって、生成AIには、得意・不得意がある。

・得意なこと:文章の要約・翻訳、文章案の作成。例えば、挨拶状、マーケティングなどの定型文書の原案作成。ただし、内容の正確さ、表現の適切さなどは人間が判断する必要がある。

・不得意なこと:個別の事実やデータの提示、個人的・特定の問題に対する判断、創造物の評価。

 例えば、「日本の首相は誰」との問いには、正しい応答となる確率が低い。これは「現在の」と限定しても、どの時代の資料でも「現在の」という言葉が入っている可能性があるからである。

 

 次節で紹介する文献等で、以下のリスクが挙げられている。

・意図的でなくとも、利用者が気付かない過誤、過失などが生じる可能性。特に、急激な普及・流行と容易性・利便性から、無条件に信用する利用者が少なくない。

・攻撃者などによる意図的な悪用。

 

 さらに、以下の点も指摘されている。

・内部動作や仕組みの説明可能性、透明性の確保が困難で、規制、監視も難しい。

・有害なデータやコンテンツの投稿監視(コンテンツモデレーション、content moderation、不適切なものの監視・削除すること)を、誰がどのように、どの段階で行われるべきか、議論が進んでいない。

 

 悪影響による混乱、損害等の対象として、個々の個人と社会全体がある。

・個人・個別:人権侵害、権利侵害、詐欺等による、精神的・経済的損害

・社会全体:

 -誤った世論形成・誘導による混乱(選挙への干渉など)

 -効率化の裏返しとして、生成AIで代替される労働者増、失業率の増大

 即ち、直接の攻撃等と、技術の普及・利用による(意図していない、あるいは想定外の)コスト増、損失がある。

 

3.言語モデルが人間社会に及ぼす悪影響のリスク

 

 言語モデルのリスクは、ChatGPTの開発以前から指摘されており、以下に簡単に紹介する。【2】【3】以下の①-⑤は、セキュリティ、プライバシーに直接・間接に関わる問題である。

 

① 差別・排除・有害(discrimination, exclusion and toxicity)の生成、助長

 学習データそのもののバイアス要因による、

・社会的なステレオタイプと不公平な差別

・排他的な標準規範(規範から外れるグループを排除)

・(暴力や攻撃を誘発する)有害な表現:憎悪,不敬、人格攻撃、侮辱,脅し,性的表現,屈辱表現など

・特定の言語(情報が少ない少数民族の言語など)での性能低下

 

② 情報の危険性(information hazards)

 意図せずとも以下の情報が学習する大量データに含まれる恐れと、その情報がどの程度、どのような形で出力されるのかが不明。これで生じる精神的及び物理的損害。

・個人情報を記憶、推測、漏洩することによるプライバシーの侵害

・機密情報の漏洩、推測によるリスク(個人、企業ビジネス)

 

③ 誤情報による悪影響(misinformation harms)

・誤情報、誤解を生む情報の拡散

・低品質な情報提示による物的損害(例えば、薬、法律関係など)

・倫理に反する行動、違法な行動の教唆

 

④ 悪用(malicious uses)

害を及ぼす目的での意図的な利用(風評、悪評、誘導などの犯罪や、悪意のあるコード生成など)

・誤情報の低コストで、より効果的な生成

・スパムや詐欺メールの生成

・サイバー攻撃、武器や悪用目的のコード生成

・違法な監視や検閲

 

⑤ 人間・機械間の相互作用における悪影響(human-computer interaction harms)

・擬人化による過度の依存や信頼

・個人情報を取得するための方法として利用

・暗に性別・民族性を含んだ有害なステレオタイプの増長

 

⑥ 社会や環境への悪影響(automation, access and environmental harms)

・システムの運用に必要なエネルギーや環境負荷(の発生・増加)

・人間の仕事の自動化による不平等、失業の増加

・創造的・経済活動の破壊(著作権侵害や創作者が被る不利益など)

・運用・活用能力(ハード、ソフト、スキル)の有無による不平等

 

以上に加えて、最近指摘されている問題として以下がある。

 

・モデル崩壊(model collapse)【4】

 生成AIが作成したコンテンツが他のAIモデルの学習に使われることによって、生成する出力の質がひたすら低下していくことを指す。生成AIによって生成されるコンテンツは急激に増加していくので、この質の低下(汚染)も急激に進む恐れがあり、想定外の悪影響を及ぼす可能性がある。さらには、人間にはこのことが分らないという問題がある。

・市場の寡占

 大量データを集めるLLMは、規模が大きいほど増々大量のデータを集めるようになるので、一部の寡占・独占を生む恐れがある。大規模IT企業にデータが集積される問題と同種の問題である。

・無断学習

 著作権のある著作物を無断で学習することにより、生成結果が権利侵害をする。(上記の⑥)

 

4.EUの規則案

 

 以上の状況に対して、EUではAI規制案(AI Act)を(LLMについてだけでなく広く)検討しており、参考にその内容を若干紹介する。【5】【6】

 

  EUの規則案は、GDPR(EU一般データ保護規則)での個人情報等、他の欧州規制と同様に、欧州市場に関係するEU域外企業が提供するAIも対象となり、違反があれば全世界売上を基にして制裁金が課されることになる。施行は2024年以降の見通しであるが、その規則が国際的な基準となる可能性がある。日本の関係企業等の活動も対象となるので、日本の規則の検討もこれを見据えて急ぐ必要がある。

 

(1)EUの一般原則【6】

 

 EU規則案には、欧州連合基本条約が基礎にあり、「人権、自律性、自由が守られるために、AIが倫理的に適用される防御策を必要とする」、との考えが根底にある。具体的には「全てのAIシステムに適用される一般原則」に以下が記されている。(*)

 

 ・ 人間による営み・人力、と監視(human agency and oversight)

 ・ 技術的な頑健性と安全性(technical robustness and safety)

 ・ プライバシーとデータガバナンス(privacy and data governance)

 ・ 透明性(transparency)

 ・ 多様性、無差別、公平性(diversity, non-discrimination and fairness)

 ・ 社会と環境に対する健全性(social and environmental well-being)

 

 これらは、基本的に本稿での関心であるセキュリティ、プライバシーに直接・間接に関係する要素である。

 

(2)AIのリスク分類【5】

 

 規則案では、事業者に対する厳格な義務を規定した上で、AIのイノベーションを支援し、AIの健全な発展を目指すとしている。リスクの程度により、「容認できないリスク」、「高リスク」、「限定的リスク」、「極小のリスク」の4段階のリスクに基づく対処法を採っており、以下の構成となっている。表1にまとめを示す。

 

1.一部のAIシステムと利用の禁止(容認できないリスク)

2.高リスクAIシステムに対する要求事項と事業者に対する義務

3.特定のAIシステムに対する透明性に関するEU共通ルール

4.市場モニタリング、市場監視、ガバナンスに関する規則

5.イノベーション支援

 

表1 AIのリスク分類と対処

分類 対処 内容 条項

容認できないリスク unacceptable risk 原則、使用禁止 人々の安全、生活、権利に対する明らかな脅威があるもの

・サブリミナル、年齢・精神的・身体的障害等による脆弱性の利用、公的機関及びこれに代わって行うソーシャルスコアリング(社会信用のランキング)、遠隔実時間生体認証、等 Article5

高リスク high-risk 適合性評価等

(第三者認証、自主適合確認、等)

人々の安全や基本的権利に悪影響を及ぼす可能性があるもの

・機械、医療機器など対象製品の安全性、特定分野のシステム(遠隔生体認証、重要インフラ、教育・職業訓練、等) Article6, 

AnnexⅡ,Ⅲ

限定的リスクlimited risk 透明性の確保Transparency obligations 以下のような場合、AIシステムを利用していることを使用者に明示する義務

・人間との対話、感情認知・生体情報による分類化、存在する人間・物に似せた生成物(ディープフェイク等) Article52

極小のリスクminimal risk 行動規範の立案奨励 特定の義務はないが、高リスクAIへの対処を適用するよう奨励 Article69

 

終わりに

 

 AIを選挙に用いる試みとして、今年2月には米国で偽電話が報じられ、FCCは誤情報拡散や選挙妨害を防ぐために「詐欺を目的としたAI生成の電話音声は違法」との決議を行った。世界経済フォーラムは「AIが生成した広告や誤った情報が選挙を混乱させることが今年最大の世界的リスクになる」と警告した。【7】

 

 個人のセキュリティ、プライバシーに関わるリスクとともに、このような社会・世界の将来を左右しかねないリスクが懸念される。効果的な対策を早急に実装する必要があるが、内部動作や仕組みの透明性確保が困難で、規制・監視も、これを誰がどのように行うかも難しい。

 

 レイ・カーツワイル氏が2005年に「シンギュラリティ(人工知能が人類の知能を超える技術的特異点)が2045年に起きる」と述べてから20年が経ち、現在、2030年という説もある。人類にとってAIのリスクが環境問題とは異なるのは、人間の精神活動そのものに関わり、内部動作や仕組みが不透明で、規制・監視も難しいことである。

 

将来はますます予想困難であり、人間の制御を超えるのか、今後とも注視していかねばならない。

 

【1】CSA Japan Congress 2023: https://www.cloudsecurityalliance.jp/site/?page_id=30158 

   講演資料: https://www.cloudsecurityalliance.jp/site/?page_id=30724 

【2】岡崎直観:「大規模言語モデルの驚異と脅威」情報処理 Vol.64 No.9 (Sept. 2023)

【3】Weidinger,L.etal.: Ethical and Social Risks of Harm from Language Models (2021), arXiv:2112.04359. https://arxiv.org/pdf/2112.04359.pdf 

【4】https://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_--_802451_--_196674_--_22 

   https://www.fastcompany.com/90998360/grok-openai-model-collapse 

【5】男澤英貴:「AIの急速な進化と新たな欧州AI法規制」情報処理 Vol.64 No.12 pp.19-24 (Dec. 2023)

【6】PWC:「欧州「AI規則案」の解説」

https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/awareness-cyber-security/generative-ai-regulation03.html 

【7】Forbes: https://forbesjapan.com/articles/detail/68709 

以上


2024.2.24会報No.112 NEW!

岩槻日記(26)

当会特別顧問 石井 孝

「ご命日を間近にしての追懐」

 一月二十六日はNTT初代社長真藤(恒)氏のご命日である。真藤さんは2003年1月26 日に92歳で永眠された。

 民営化NTTに貢献された真藤さんのご業績は数知れずあるが、私が特に注目するのは次の点である。

 最近、漸くソフトウェア内製化の重要性が叫ばれ始めているが、真藤さんは、社長就任早々いち早く、自社の商売道具である通信システムのソフトウェア内製化(自社開発)の重要性を看破し、これを実行・実現されたのである。

 真藤さんは、当時、電子交換機がシステムダウンするとNTT社員では直すことが出来ず、メーカーの開発担当者が現地に赴き修理する現状を観て、大事な商売道具が故障しても自分で直せないとは何たることか、ハードは兎も角としても、機能(交換)を実現するソフトは自分で創り、システムダウンは自己で対処せよと厳命されたのである。

 しかし、後で語られたところによると、これに関しては、更に遠大な構想をお持ちになっていたのである。

 当時、研究所ではメモリーチップの高集積化に成果を挙げていたが、この部隊をメモリーではなく、プロセッサーチップの開発に切り替えて、そこに乗せる各種の処理ソフトを交換機ソフトで勉強を積んだ内製部隊に当たらせようとお考えになったようなのである。

 未だマイクロソフトもインテルの姿かたちもない当時、自社内に謂わばマイクロソフトとインテルを併存させようとする壮大な構想をお持ちになって居たのだ。

 さすが、世界に冠たる真藤船型のタンカーを設計・製造し、世界制覇を遂げた方である。21世紀はソフトウェアの世界であることを見抜いておられたのである。

 電子交換機を含む通信に関連するソフトウェアの内製化は、NTTが新しい世紀に生き残るためのファーストステップとお考えになって居たのである。

 後日談になるが、ソフト内製部隊は民営化直後の創業から10年を経て二千名を超す大部隊に成長し、(開発)組織体制的にも整い、通信システムに関わるすべてのソフトウェア内製化が行えるようになった。

 これで真藤プランのファーストステップは一応完成したのである。

 しかしながら、真藤さんがリクルート事件に巻き込まれNTTを去ると、この折角出来上がった内製部隊に対し「内製は悪だ」などと言い出す幹部(エリート)も出てきて、いつの間にか、内製部隊は事実上消え去ってしまったのである。

 リクルート事件などが無く、真藤さんが熱い想いでリーダーシップをとり続ける事が出来たなら、当時の後にひかない電電の野武士たちは、たゆむことなく意地にかけても真藤プランのセカンドステップ、更にはサードステップへと順次取り組みを進めて行ったであろう。

 ファーストステップの時は文字通りゼロからのスタートであったが、今度は経験を積んだプロ集団になって居るのでそこそこの成果は十分に挙げえた筈である。

 歴史にIF(イフ)は無いが、もしそうであったなら、NTTは今、どんな姿になっているであろうかと想うと、残念無念、諦め切れない。

 「夢破れて夢を知り」では情けない。今からでも決して遅くない、真藤プランを21世紀流に練り直して、着実で実行可能なプラン(研究ではない)を策定し、再スタートしたら良い。

 所でリクルート事件である。リクルートの未公開株を秘書が受領したことは事実のようであるが、真藤さんがそれをわたくしするようなことは一切無く、また、リクルートに何か便宜を図った事実も全く無い。それにもかかわらず、清廉潔白な真藤さんは罪を着せられ、収監までされたのである。

 検察は正義の味方などと喧伝されているが、私にはどうも腑に落ちないのである。

 図らずも今、パーティ券問題で検察が色々と動いているようであるが、ふと思い起こすのは、検察の真藤さんに対する対応である。

 改めて真藤さんのご冥福を祈りつつ、この辺りでボケ老人の追懐を一先ずお終いとする。

 

「現場に密着した技術開発」

 さる大会社では、OB連中がつくる同窓会誌がある。そこには色々な記事が載っているが、主要記事の一つとして、会社の、研究所における活動の報告と附属病院の健康促進に関するモノがある。

 何れもかなり専門的な用語などが用いられた高度な内容である。

 健康促進にかんする方は、医学にかんしてはずぶの素人であるが、毎日の健康が気になる老人にとって、結構理解でき面白い。これは現場というか、現実密着である故であろう。

 一方、研究報告の方は、横文字の羅列でサッパリ分からない、こちらに関してはロートルとは言え技術者の一人と自認しているのだが。

 嘗てこの会社は、通信という一つの事業に特化していた。研究とその実用化も通信事業を行う現場に密着した、極めて現実的な性能向上と事業コスト削減を目指したものであった。

 ところが、ある時から会社は、事業の多角化戦略を目指して色々な事業に手を出して、それぞれが子会社化された。それらの中の主要な子会社には自分で研究所を持つ所もできた。

 こうなると、親会社(持株会社)に附属する研究機関には直属する現場が無くなってしまい、大学の研究所のような研究活動を行わざるを得なくなる。

 採算性を重視しつつ、事業の発展に寄与する生きた実用化研究は、現場に密着せざるを得ないのではないか。企業における研究は、「現場に密着した技術開発」を第一義とすべきとおもうのであるが、如何であろう。料簡が狭いかな。

 

「再びIOWN」

 嘗て、此処でIOWNは分からないと嘆いた事がある。

 その後、色々と勉強してみたが、相変わらず分からない。よっぽど耄碌してしまったのだろうか。

 ここで思い起こすのは、昔、喧伝されたINSである。これも分かったようで分からない話であった。

 実際、世の中を席巻したのはインターネットである。インターネットはINSとは似て非なるものであった。

 IOWNは、何がどう変るのか具体的に、耄碌老人に成程と分かるよう、ご説明頂けないものであろうか。


2023.11.27会報No.111

ゼロからのソフトづくり余話(その3)

当会特別顧問 石井 孝

 

 本誌第103号に、ソフトウェア開発の経験が全くない素人集団を率いて、100%外注に頼っていた基幹のソフトウェアを内製に切替えるプロジェクト、特にIGSプロジェクトに取り組んだことを記した。IGSとは、NTTと同時に生まれた新電電会社とNTTの市内網を接続するゲートウエーのことである。今回は、まとめとして日本のソフトウェア開発について筆者なりの考えを述べたい。

 

 コンピュータは社会システムのあらゆる所に広くかつ深く浸透しつつある。これに伴いソフトウェアは空気や水のように人間の生活に欠くことができない存在になっている。今後、社会システムひいては、カルチャーそのものが「ソフトウェアオリエンテッド」になっていくであろう。このためソフトウェアには、安全性を含めた高い品質が求められると同時に、開発と保守の即応性と価格に対する要求が極めて厳しくなってきている。

 

 昨今におけるソフトウェア開発環境の変化をいくつか挙げてみよう。

①顧客の浮動化。かつての資本系列を基にした顧客の固定化は崩れた。価格や保守体制など実利的なつながりによってソフトウェア開発は発注されるようになった。

②市場のグローバル化。ソフトウェア先進国からのパッケージソフトウェア商品が輸入されている。労働コストが安く技術力に優れた開発途上国のマンパワーも参入している。

③不安定で予測困難な市場。既存システムの拡大と見直しを同時進行させるケースが多く、従来の延長線の仕事は考えにくい。

④開発期間の大幅な短縮化。インターネット技術の急速な進展を契機に、開発期間と要求価格は短縮と激減の傾向を強めている。

⑤安定性の要求。システムダウン、セキュリティ対策強化など、高度の信頼性が必須である。

⑥行動規範の多様化。コンテンツ活用にかかわるソフトウェア著作権の問題など、従来より広範な目配りが要求される。

 

 このように考えると、コンピュータを利用する企業、コンピュータメーカー、ソフトウェア開発会社などはそれぞれの立場から、自己のソフトウェア戦略を改めて問い直し、ソフトウェアを真に自らの糧とするには何を、どうすべきかについて、一人称で考える必要があるし、また考えざるを得ないであろう。

 とりわけ安易な外注体制に依存するソフトウェア開発体制、事業主体そのものと言えるシステムのアウトソーシングなど、再検討すべき重要な問題がある。

 昨今における日本のソフトウェア開発の状況を概観すると、請負中心の外注体制が当たり前になっている。一次受注会社は、丸投げに近いかたちで下請けに仕事を委ねる。実際仕事を行う下請け会社は、人材派遣を主とする会社であるか、コストの安い外国企業の場合が多い。これでは、国内企業の中に技術が蓄積され、これが熟成し発展していくとは考えられない。まさに空洞化そのものである。現在並行して進行しているハード産業の空洞化現象とは異質であって極めて危険な姿である。

 色々苦労を重ねてでき上がったNTTの内製体制も、日本のソフトウェア開発状況を覆う安直な外注化の潮流に押し流されたかのように、現在は見る影も無い状態になってしまった。NTTグループはかつてのソフトウェア開発丸投げの体質に戻っている。

 ただし、私は悲観していない。ゼロからであっても、ソフトウェアづくりの体制を築くことは可能である。やり直すことも必ずできる。

 戦後の日本は、荒廃の中から世界に冠たる工業技術を築き、ハードを主体としたものづくりにより経済大国となった。これは、国民性の中に細かい技術を磨き、蓄積し、総合化するDNAを有する証左と言える。この特性はソフトウェアの開発に求められる要件とまったく同根であることが、実際にやってみるとよく分かる。

 ハード産業も下請けを使う階層構造になっているが、下請けを担当する中小企業は組織的にまとまった仕事を受け持ち、自己の仕事に対し自前で技術開発を行い、これを基にその後大きな付加価値をつけ、独自の発展を遂げているケースが多々存在している。ソフトウェアもそうなってほしいし、そうあるべきである。

 それには根源の発注者から姿勢を改めるしかない。重要なソフトウェアを責任を持ってつくり上げる内製体制があってこそ、ソフトウェア開発産業と健全な関係を築ける。ソフトウェアを事業の中心に据えるものは自ら開発経験を積まなければならない。


2023.9.21会報No.110

NTT西日本 国際室の活動

当会顧問

NTT西日本 技術革新部 技術戦略部門

国際室長 竹中 寿啓

 

ICT海外ボランティア会の皆様、NTT西日本 国際室の竹中寿啓です。この度、会報へ寄稿する機会を頂き、誠にありがとうございます。NTT西日本のグローバル活動をご紹介させていただきます。

 

はじめに

現代はVUCAの時代といわれ、地球規模においては感染症や気候変動といった予測困難かつ未経験の課題を、国内においては人口減少や少子高齢化、労働力不足などの諸課題を抱えています。NTT西日本グループは、このような社会を取り巻く環境変化がもたらす様々な課題を解決し、持続可能な社会の実現に貢献してまいりたいと考えております。先達から受け継ぎ磨き上げてきた伝統的な技術や知見をベースに、国外の革新的な技術を取り入れながら、地域の課題解決や活性化を実現してまいります。また、高度なスキルを有する人材をさらに育成するとともに、国内外問わず協業の輪を広げ、積極的に新たな事業の創出やNTT西日本グループ各社の新領域ビジネスにおける海外展開に取り組んでいます。

 

海外キャリアとの活動

NTT西日本では、2018年より韓国の通信会社LG Uplus社に対して、つくばフォーラムやマイスターズカップといったイベントの視察やFTTH関連の研修の場を提供してまいりました。近年は、通信事業だけではなく、両社が社会課題解決ソリューションへの取り組みを推進していることから、スマートファクトリー等のテーマを定め、サービス企画を担う部署を交えて、オンラインでの意見交換やディスカッションを実施し、リレーションを深めています。今後、互いの取組みや課題感を共有し技術交流を続けることで、新たな知見や技術を活用したサービス強化、海外展開の検討につなげ、新たなビジネス連携が生まれることを期待しています。

 

新領域ビジネス

NTT西日本では、グループ会社による海外事業展開や海外技術を取り入れたサービス創出をめざしています。

NTT西日本グループのNTTソルマーレは、国内最大級の電子書籍サービスの一つである「コミックシーモア」の運営で培った経験を活かし、近年拡大している米国の漫画市場に向けて、幅広いジャンルのマンガ作品を全米最大級(40,000点以上)の品揃えで配信するデジタルマンガストア「MangaPlaza(マンガプラザ)」のサービス提供を2022年3月1日より開始しました。今後、米国での販売拡大や海外事業ノウハウ蓄積に取り組むとともに、更なる海外市場を探索し、漫画事業の海外展開を拡大していく方針です。

またNTT PARAVITAでは、国内で提供している睡眠データを活用したオンラインヘルスケアサービスの海外展開を検討しています。今年7月に英国政府関連機関National Innovation Centre Ageing (NICA)主催のイベント「Healthy Ageing Accelerator - The Showcases」に英国スタートアップ企業OXLABS社と共同参加し、OXLABS社のAIを活用した宅内見守り端末とともに、NTT PARAVITAが日本で展開している高精度な睡眠分析システムによるヘルスケアサービスを紹介し、今後両社でコラボレーションを計画していることを発表しました。

NTTグループでは、世界から注目を集めているスタートアップ大国であるイスラエルの商都テルアビブにおいてNTT Innovation Laboratory Israelを2021年5月に設立しました。NTT西日本としても、新たなビジネス領域の連携、ネットワーク等の設備高度化を目的に、イスラエルのスタートアップ企業との接点創出やグローバル連携パートナーの探索を開始しております。昨年3月にNTT西日本本社敷地内に創設したオープンイノベーション施設「QUINTBRIDGE(クイントブリッジ)」にて、今年6月にイスラエルのスタートアップ企業約15社によるピッチイベントをNTT Innovation Laboratory Israelと駐日イスラエル大使館経済部と共催し、デジタルヘルスケア・AI・ネットワーク・セキュリティ分野における最先端ソリューションを持つイスラエル企業に登壇いただきました。イベントでの交流を通して、海外の優良なスタートアップ企業とのビジネス連携を図り、サービス強化や事業拡大を図りたいと考えています。

 

人材育成

地域通信事業に限らない営業収益の拡大に向け、海外の先進事例・技術を活用した競争力のある事業創出や新領域ビジネスの海外展開が期待されており、社員のグローバル意識の醸成、育成が不可欠になっております。

NTT西日本では、業務の専門性とグローバルスタンダードなスキルを合わせ持ち、国内外問わずビジネスを遂行できる人材の育成に向け、2011年よりグローバル人材育成研修を行っております。本研修は、一定の英語力を持つ社員を対象にしておりますが、昨年度は、より多くの社員にグローバルを自分事と捉えてもらえるよう、英語力を問わない「グローバルマインドセット研修」を開始しました。世界規模で考え、足元から行動する“Think Globally, Act Locally”をテーマとした研修であり、グローバル対応が無い部署においても、海外ソースを活用し、新たな気づきを持って業務に取り組むことをめざしています。

 

最後に

新型コロナウイルス感染症の経験により、新しい価値観やライフ/ワークスタイルが生まれています。リモートが当たり前となり、地域のお客様に首都圏や世界からもアクセスできる時代になりました。こうした目まぐるしく変化する状況下であっても、変化をリスクではなくチャンスと捉え、地域で培った社会課題解決をグローバルに展開し、より一層貢献して参ります。

ご支援くださっている会員の皆様に心より感謝を申し上げるとともに、今後とも変わらぬご支援を賜わりますようお願い申し上げます。


2023.9.21会報No.110

岩槻日記(25)

当会特別顧問 石井 孝

「ウェッブサロン」

 JICAのシニアボランティア経験者が中心となった集りが主催する「ICT海外ボランティア会(ICTOV)ウェッブサロン」(7/22)に参加させて貰った。

 JICA青年海外協力隊事務局の南川真海子さんという方の経験談とJICAのこれからについての話を中心に、大変盛り上がった会合であった。

 南川さんは、大変若い方であったが極めて聡明な人で、質疑応答も的を外さぬ素晴らしい受け答えをなされた。

 JICAもこれまで、長い間、青年海外協力隊を軸にした開発途上国に対する「草の根」的な援助活動を軸に活動してきたが、そうして援助してきた諸国も、中進国に成長を遂げている。

 これからは、こうした中進国が先進国への道を力強く歩めるべく支援する活動を、JICAは展開すべきではないかと思う。

 JICAも支援する(支援した)途上国と共に、成長・発展しなくてはならない。

 

「国際教育団体(Toastmasters International)」

 昨夜(9/16)の ICT海外ボランティア会(ICTOV)ウェッブサロンは、Toastmasters International リーダー、エグゼクティブコーチの川内 和子氏による『国際教育団体「NPO組織が100年続く訳」』と題するお話であった。

 全く恥ずかしい次第であるが、「Toastmasters International なるモノを全く知らなかった。

 全世界に広がり、100年の歴史を誇る英語教育の小集団活動のようである。

 英語を必要とする人達が小集団で集い、楽しみながら、英語の作文や講演を競う、極めてユニークな自主的な教育活動のようである。

 我々のような老人には些かしんどいのではないかと思ったが、ふと、余計な事を考えてしまった。

 気心の合った連中が集い、英語をいい事にして、遠慮会釈もない政治批判や回顧談などに興じてみては如何であろうかと。

 

「藪にらみ」

 マイナンバー問題が、どうも泥沼にはまってしまったような気がする。

 これから先は、昔、いささかソフトウェアシステムに関わった老人の寝言(感想)である。

 今、現在は違う、何を言っているかとお思いになる方は、忌憚のないご意見を頂戴出来れば、真に有り難い。

 

その1,ソフトウェアは完全な人工物で、神が創ったモノではない。

 ハードウェアは、必ず物(物質)を対象とする。この物質なるモノは神様が創造した世界であるから神様とのコミュニケーションが出来ないと優れたハードウェアシステムは造れない。

 物性理論の面では、優れて巧みなコミュニケーションが出来ればノーベル賞が頂ける。

 また、処理・加工の面では、神業などと言われる熟練した職人技(コミュニケーション)が求められるケースも少なくない。

 これに対してソフトウェアは、全て人知の世界である。

 巧みなアルゴリズムも人間が見出して創造したモノである。全知全能の神は知っていたかもしれないが、その神様が教えてくれた訳ではない。

 また、ある機能を創り出すやり方は、上手・下手を含めて造り手によって千差万別である。

 ソフトウェアシステムは極めて複雑な論理体に成長してしまうケースがまま発生する。こうなると、それを創った人でないと、何故そうなっているのかは、中々分からない。

 トラブル発生の際、手間取るのはこのあたりに大方の原因があるが、時間をかければ必ず人知で解決出来る。

 

その2、ソフトウェアは成長する生命体である。

 銀行システムなどをみると、初めは単なるソロバン代わりであったものが、今や顧客情報など銀行業務に関わる一切の情報管理システムに成長・発展している。

 そして今やこのソフトウェアシステム無しでは銀行業務自体がなり立ち行かぬのである。

 何も此の事は銀行システムに限ったものではない。

 ソフトウェアシステムは一旦開発を終え、使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生する。

 これを続けていくとソフトウェアはいつの間にか増殖(成長)し、気がつくとソフトウェアが全てを支配してしまい、それ無しでは仕事が出来なくなってしまう。

 こうしてみると、ソフトウェアの開発とそのメンテナンス(広義)は、ある意味で子育てに似ている。

 子育てを他人まかせにして、うっちゃらかしておいては、ろくな者にはならないと私は思う。

 

その3,ソフトウェアシステムの構築(機能追加を含む)に当たっては、ハードウェアシステムと同じような「品質、コスト、納期」の管理体制が必須である。

 ソフトウェアは目に見えない生産物だけに、その生産管理はハードウェアの場合以上に大事である。

 開発に従事する個々人の日報を工夫して、日々コンピュータ処理出来るようにして置けば、かなりの確度の日次管理が出来る(内製体制の場合)。

 しかし、手っ取り早いやり方は開発部隊の総責任者の適宜な現場巡回チェックである。

 開発作業は全て人が行っているのであるから、職場に足を踏み入れただけで職場の雰囲気から状況が大凡感じとれる。

 うまくいっていれば、その職場は明るく活気がある。何かトラブっておれば、その反対である。

 そんな時は担当者に事情を聞けば大体の内容とそれに対する手当のアドバイスが出来る。

 出荷に遅れが出るような問題であれば、逸早く相手方に連絡し対策を講じて置けば最悪の事態は回避出来る。

 「犬も歩けば棒に当たる」の道理である。

 

 以上は内製体制の場合であるが、建設作業のような多段下請け体制を採ったソフトウェア開発体制の場合はどうであろうか。

 建設作業の場合は、出来形が目に見えるのでそれなりの人が現場チェックを行えば、進捗状況や出来上がり状況が比較的容易に判断出来る。

 所がソフトウェアの場合は目に見えぬだけに、発注者からかなり離れた業者に属する開発者の作業状況をどの様にしたら上手く把握できるか、私にはよく分からない。

 以上、下らない事を書き連ねて来たたが、思い起こすのは、嘗て日経BPの谷島さんがお書きになった「ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国 」とした論考である。

 如何にもソフトウェア先進国アメリカの理合を言い表したモノと改めて敬服する。

 

「技術開発とその実用化」

 IOWNについて色々と想いを巡らしている中に、ふと真藤さんの語録を思い出した。

 開発というのは、いままで全然経験のないようなものの開発ではなくて、いまあるものをさらに性能をよくする、使いやすくする、程度を上げるという意味の開発が焦眉の急である。これが第一義的な開発の方向である。

 もう一つは、自分の持っている技術をベースにして、それから枝を出して新しい機種に手を出していく、この二つを並行していかなければならない。新しい機種を出していくことに対しては、マーケティングということが主になって、どんなものをやるべきだという判断が出てくる。

 いまあるものに何かプラスアルファをつけていくという一義的開発の場合でも、やはり、その機種にプラスアルファをつけたら、さらに伸びるかどうかというマーケティングの判断が主になる。開発というのはマーケティング即開発であり、開発即マーケティングであるといえる。

また結局、開発というものはスタンドプレーでハデにみえるところからは、本当の意味の将来機種はなかなか出てくるものではない。いつとはなしに時間をかけて、じわりじわりと変わっているように、だれが手柄をたてたかわからないようにして、伸びていくのが本然の姿であって、決してハデなものではない。

 分割前の初期のN社の本社機構の中には、こうした技術開発を地道に実現するための、現場と直結した「技術局」や「通信ソフトウェア開発本部」があったのであるが。

 

「マイペンライ」

 タイに二年間住み着いて仕事をしましたが、その中で「マイペンライ」という言葉に強い共感を覚えたものです。

 英語で言いますと「Do not mind」に当たるのかもしれませんが、他力本願の意味では無く、大丈夫。今やれる事だけをしっかりやろうという意味で使って居り、タイ人は決していい加減な意味で使っている訳ではないようです。

 さて、畏友中島 汎仁さんの投稿「80歳の壁」を拝見し、同著をさっそく購入し読んでみました。

 「長生き、マイペンライ」です。おすすめいたします。


2023.7.24会報No.109

NTT東日本におけるソフトウェア開発の内製化

当会顧問

NTT東日本 国際室長

日下 玲央

 

ICT海外ボランティア会の皆さま、こんにちは。NTT東日本の国際室の日下と申します。本欄の過去の記事において、特別顧問の石井様が、企業にとってソフトウェア開発の内製力がいかに重要か繰り返し語って下さっています。この度は、NTT東日本が遅まきながら取り組んでおります、ベトナムのグループ会社と連携したソフトウェア開発の内製化の取り組みを紹介させて頂きますので、どうぞご笑覧ください。

 

NTT東日本は通信事業者としてFTTHの普及に取り組んで参りましたが、これからは、その通信インフラの上で、地域のお客様と様々な新たな価値を生み出す、ソーシャルイノベーション企業になりたいと考えております。それは例えば、データドリブンな農業によって、地域が持つアセットの価値を再設計するような試みです。

それを進める上では、お客様のご要望を聞き、スムーズかつ安価にITでご要望を実現するための内製力は必須ですので、様々なIT技術を自ら扱うことができるデジタル人材の育成を社内で進めております。一方、IT技術にも色々ある中で、ソフトウェア開発については、これまで業務システムの開発の多くを他社にアウトソースしてきた経緯もあり、自社に多くのエンジニアを抱えているとはいいがたいのが実情です。

 

そのため、NTT東日本では、ソフトウェア開発の内製力強化に向け、NTT東日本社内の内製化プロジェクトチームの立ち上げと、それに加えて、関連会社であるベトナムのOCG Technology JSC(以下OCG)でのオフショア開発体制の確立に取り組んで参りました。

 

OCGは、ベトナムの国営通信キャリアVNPT社と、NTT東日本の子会社であるNTTイーアジアとの合弁会社として、2016年にベトナムハノイにて設立されました。現在は、オフショア拠点として、ソフトウェア開発に加え、データ分析や管理指標の見える化などのサービスを提供しております。案件の急拡大に伴い、積極的にエンジニア採用を行っており、現在100人近い従業員が在籍しています。日本語でシステム要件ヒアリングが可能な優秀なベトナム人スタッフが多数在籍していることから、日本国内のお客様とスムーズな開発が実施できることが強みの一つです。

 

ベトナムのオフショアでの開発にはセキュリティ上の懸念を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、OCGにはNTT東日本と同水準の情報セキュリティ運用体制を確立しました。 認証装置などのハード面の充実だけでなく、 従業員に対する教育も徹底し、日々情報セキュリティリスクの低減に努めています。2023年5月には、ISMS認証(ISO/ IEC 27001 )を取得しましたので、 安心して開発やITO(Information Technology Outsourcing)をできる環境にあります。

 

また、NTT東日本は、ソフトウェア開発手段として、ローコードのマーケットリーダーであるOutSystemsに着目してきました。NTT東日本の社員がソフトウェア開発の上流工程を実施しつつ、OCGのエンジニアがOutSystemsを使った開発を実施することにより、開発スピードの向上とコスト削減を実現できました。

ローコード開発プラットフォームでは、あらかじめ用意された部品を組み合わせる手法で、機能設計の段階からGUIによる視覚的な操作で開発を進めることができます。コーディング作業が減り、テスト工程を削減できるため、開発期間を大幅に削減しつつ品質も高くなるというメリットが証明されています。

 

OCG×OutSystemsの取り組みは、まずNTT東日本の業務システム開発から始めましたが、専門性の高い複雑な業務や、多数の他システムとのAPI(Application Programming Interface)連携という要件に対しても、柔軟かつスピーディーに開発することができました。開発過程において、OCGのエンジニアが来日し、システム利用者と顔を合わせた集中議論を行うなど、エンジニアが実業務を深く理解することで、真の目的に沿ってユーザインタフェースを改善し、提案型のシステム構築を行ったことが重要だったと考えております。

現在までに、通信設備の在庫管理システム、緊急情報連絡システム、 調達RFP(Request For Proposal)管理システムなどをリリースしておりますが、手前味噌ながら、利用者からは、これまでのシステム開発よりも、 安価かつ短期に実現でき、 驚くほど品質も高いとの声を頂いています。

また、OCGではデータ集計・分析業務のようなIT関連業務も始めました。例えばNTT東日本が食材のムダを防ぐために行っている食堂データの集計分析業務をOCGが行っております。維持管理稼働に悩んでいたNTT東日本の社員は、新たな課題に取り組めるようになり、生産性が上がりました。

 

OCGでは、そのようなNTT東日本の業務システムの実績をベースに、社外のお客様向けのシステム開発も行っております。例えば、顧客情報や折衝記録などをファイルベースで管理しており、情報が個人に偏ってしまっているというお客さまの課題に対しては、OutSystemsを用いて営業情報のデータベース化を行い、簡易なプロトタイプを作成した上で、機能追加や改善を行うアジャイルな開発手法をおすすめしました。

 

私共は、お客様ご自身がソフトウェア開発力を身に付けることをお手伝いするパートナーになりたいとも思っており、エンジニア育成のお手伝いもしております。NTT東日本では、新入社員や中堅社員が、日本でソフトウェア開発の基礎を学び、さらにベトナムに滞在し、OCGの社員と実開発案件に取り組む研修プログラムをくみ上げました。このプログラムでは、ソフトウェア開発の上流工程や下流工程の技術を習得できることに加えて、異文化理解力、語学力を鍛えられる良さもあります。デジタル&グローバル人材の育成の場として、お客様にもお使い頂ける場だと考えております。

 

NTT東日本は、これまで通信事業者として保有する通信関連の技術を各国に提供してまいりましたが、ソフトウェア開発では、IT人材大国に成長したベトナムの力に助けられております。日本の技術を諸外国に提供するだけではなく、東南アジアの優れた力を日本に取り込んでいくような、建設的な相互関係を形成していきたいと考えております。また、通信以外の領域、ソーシャルイノベーションを、東南アジア各国にも広げて、新たな価値をご提供できるようになることが今後の目標です。


2023.7.24会報No.109

岩槻日記(24)

当会特別顧問 石井 孝

「内製化」

 「KDDIが固定電話系システムを内製化、仕様変更や保守の現場を刷新」という記事を日経クロステックの中に発見した。

 全く同じ様な試みをNTTは、民営化直後1985年から実行し、通信に関わるソフトウエアシステムすべての内製化を実行し実現した。以下に掲げるものは、この内製化を実行した通信ソフトウェア本部の「通信ソフトウェア本部発足10年史」(平成7年6月発行)の中における当時の児島社長のコメントである。

「『事業運営への更なる貢献と発展を』

 日本経済はいま、大きな転換期にさしかかっています。いままでのモノを作れば売れた時代、めざましい経済成長の時代が終わり、土地神話の崩壊、年功賃金や終身雇用制度の見直し、世界に例を観ない高齢化の急激な進展、国際化の波など、日本経済を支えた経営構造や価値観が根底から変貌をとげようとしています。産業面ばかりか、社会・文化の面にも大きな質的変化が波及しつつあります。

 情報通信サービス産業は、21世紀に向けた日本経済の牽引役として期待されているところですが、電気通信市場についてみると、公衆線と専用線の接続などのネットワークのオープン化、携帯電話が一般加入電話を上回るなど、新たな動きがみられ事業環境も大きく変化を続けています。

 民営化によって電気通信事業は、独占から競争の時代に入りました。他事業者との厳しい競争に伍していくためには、いかに迅速にコストの低減と品質を確保しつつ、多様なサービスをお客様に提供していくかにあります。

 電気通信サービスは、通信ソフトウェアを中心に実現されているわけですが、各種新規サービスの根幹を実現している組織が通信ソフトウェア本部であり新規サービスの効率的な開発だけでなく、それらのメンテナンス及びソフトウェア改善をつうじて、信頼性の高いサービスを可能にしてください。

 これからの情報通信産業の進展には、情報通信ネットワーク、コンテンツ、端末などを一体とした総合的ソフトウェアの実現力が大きく求められており、通信ソフトウェア本部の役割と責任はますます高まっております。この10年間の成果に安住することなく、新たな時代に向け果敢な挑戦を期待します。また、この10年史がこれまでの通信ソフトウェアを中心とする実用化開発の歴史を脈々と伝え、今後の事業運営に多大の貢献と発展をもたらすことを心から切望する次第です。」

 当時としては、真に先見の明のある𠮟咤激励である。

 さて、「この10年史がこれまでの通信ソフトウェアを中心とする実用化開発の歴史を脈々と伝え、今後の事業運営に多大の貢献と発展をもたらすことを心から切望する次第です」と言われたが、その後はどうなっているのであろうか。

 児島さんは、つい先ごろ鬼籍に入られてしまった。

 

「時代が変わっても変わらないものがある」

 「時代が変わっても変わらないものがある」と思っていたが、最近の世の中の出来事を観ていると、「時代が変われば全て変わる」のではないかと思えてならない。

 「人間の本質は変わらない」という人もいる、それは確かにそうかもしれない。

 しかしながらが、人間の本質の一つに「人間は環境に作用され、それに順応する」という特性があるとするなら、時代が変われば全て変わってしまっても仕方ないのかもしれない。

 

「本社機能」

 現在、多くの日本企業で試みられているデジタルトランスフォーメーションと称されるものは、現代企業におけるある意味で究極的な組織改革と言えるものではなかろうか。

 このために、そうした各社に共通する狙いはIT部隊を事業戦略の中枢に置くこと考えているようである。

 かつて子会社として切り離したIT部隊を本社に呼び戻すことで、迅速で柔軟なデジタル施策を実行できる体制を整えているようである。

 嘗て、親会社はシステムの企画機能のみを本体に残し、開発・運用機能をシステム子会社に切り出していった。

 しかしながら、システムの開発・運用機能が別会社にある体制がDX時代には非効率になっていることがわかってきたのである。

 ここで大事なことは、こうした組織改革を組織を使って全体的な改革として実行するには、強力で且つ的確な判断力を有する優れた本社機能が必須である事である。

 持ち株会社が所謂本社で、実質的には機能と権限が完全に子会社の各社に分散されてしまっている所では、先ずは本社を抜本的に改革・強化が必須ではなかろうか。

 

「𠮟られてしまった」

 先日、久しぶりに嘗ての仕事仲間から電話があり、昔話に興じた。

 その際、N社もIOWNなる構想を打ち出して、いよいよGAFAに対抗出来る、全く末頼もしいと言うので、「実は私には、そのIOWNなるものがサッパリわからない、一体何なんだと言うと」。

  「N社のOBとして何と恥ずかしい男だ、お前は」、と厳しく「𠮟られてしまった」。

 彼の説明によると、大雑把に言ってIOWNのポイントは次の三点だと言う。

1.電子に代わる光技術(オールフォトニクス・ネットワーク)

2.現実と瓜二つの仮想空間(デジタルツインコンピューティング)

3.AIなどを活用した通信サービス(コグニティブ・ファウンデーション)

 1.については,現在進行形で、何となくわかる気がするが、これは基本的にはハードウェア技術と言えるのではないか。

 2.3.については、いずれ黙っていてもそうなるだろうという漠然としたものでないか。

 GAFAの対抗軸になるようなIOWNの新しいソフトウェア技術は何なのかと聞いたら、明確な話は聞き出せなかった。

 そう言えば、IOWNではないが、電話番号をベースにしたナビゲーションシステムはN社が創ったのかどうかは知らないが、面白いシステムである。電話番号をキーにしたデータベースの利用価値はまだまだ大いに期待出来る。

 恥を忍んで教えて頂きたい。「IOWNとは、一体何なのですか」ぼけ老人に分かり易く。


2023.5.30会報No.108

男脳と女脳、その違いを踏まえた賢い生き方

当会特別顧問 宮村 智

はじめに)

 全くの門外漢ではあるが、会報100号に続いて、脳の話をしたい。今回は「男脳(おとこのう)と女脳(おんなのう)の違いを比べた上で、その違いを踏まえた人生の賢い生き方を考えてみよう」という実践的な話である。

男女の脳の違いというが、私が調べたところでは、脳の構造や機能は、MRIを用いてミリ単位で脳を測定しても、男女間の違いは殆どないようである。他方で、脳の使い方やホルモンの影響は男女間で差異があるので、その差異によってもたらされる男脳と女脳の働きの違いを紹介する話となる。

脳の使い方が違うために、脳の働きが違ってくる例として理解しやすいのは、男女による左右の脳の使い方である。周知のとおり、左脳は思考や論理を司る人間的な脳とされ、文字や言語などを認識する。男は左脳優位に脳を使ってきたため、歴史に名を残している数学者・物理学者や将棋・囲碁の一流棋士は圧倒的に男が多い。これに対して、右脳は動物的な脳とされ、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの五感や直感、感情などを認識する。女は右脳優位に脳を使うため、「女の勘」と言われるように直感が鋭く、家庭では家族の絆を大切にし、職場では人間関係を円滑するのが得意である。男女の脳の働きの違いは、これ以外にも沢山あり、1.で詳しく説明するが、基本的には男が左脳優位、女が右脳優位の使い方をしている影響が大きいと思われる。

 

1.男脳と女脳の特徴と違い

 まず、文末の参考文献を参照しつつ、男女の脳の特徴、得手・不得手、傾向などを、できるだけ男脳と女脳を対比しながら取り纏めてみた。

1)男脳は、空間認知能力が高く、空間を立体的に理解し、地図を正確に早く理解できる。これは、その昔に狩りに出かけて獲物を獲ってくる役割を担っていた男が長年磨きをかけてきた能力が受け継がれているためとされる。また、そうした遺伝的要因に加え、男性ホルモンであるテストステロンの働きもあるとされる。

他方、女脳は一般に空間認知能力が劣っており、英国での調査によると、ぴったり縦列駐車できた男は82%だったが、女は22%しかいなかったという結果が残っている。統計数値は見付けられなかったが、方向音痴も女の方が多いといわれている。ちなみに、20年ほど前に世界的なベストセラーとなった本の表題に、「地図が読めない女」という表現が使われた。これは正に、女の空間認知能力が劣っていることを揶揄する表現である。

2)男脳は、論理を重視し、目的志向が強く、結果や解決を効率的に追求する。これは左脳優位の特徴だが、その昔、狩猟者であった男が「獲物を確実に仕留める」という目的を果たすべく懸命に脳を使った名残という遺伝的要因もあるといわれる。

他方、女脳は右脳優位なので、感情や共感、周囲の人々との人間関係や協調性を大事にする「きずな脳」であるといわれる。昔、女はいつ猛獣などの外敵から襲われるかもしれないため、常に周囲と頻繁に会話をしてお互いの存在を確認する必要があった。また、いつも女同士で助け合いながら、日常生活を送り、子育てをしているために、コミュニティ内での協調も非常に重要であったが、そうした名残でもあるといわれる。

さらに、女脳には、①勘が鋭く、相手の態度や雰囲気で何かを察することができる、②自分が体験したことをその時の感情と一緒に鮮明に記憶する、③自分の感情に共感を求め、相手の感情に共感を示したりする共感性が高い、などの特徴もある。

3)男脳は、「きずな脳」の女脳とは対照的に、一つの物や事に拘る傾向が強い「オタク脳」であるといわれる。例えば、買ったカメラの画素数など様々なスペックについて、友人と延々と議論することを好む。パソコンのプログラミングにのめり込むと寝食を忘れ、人間関係をおろそかにする嫌いがある。また、男脳は一つの事に集中すると、それを片付けてから次に進みたいと思うシングルタスクの脳でもある。他方、女脳はマルチタスクが得意で、例えば、掃除、洗濯、料理といった家事などを同時にサクサクこなすことができる。

4)話す能力は、女脳が男脳より高く、女は周囲との協調を図りながら、円滑なコミュニケーションを築くことが上手いといわれる。その理由は、女は男より左右の脳の連携がよい(注)ので、右脳で生まれる感覚や感情を左脳が司る言語としてアウトプットすることが得意なためといわれる。その上、2)で先述したように、過去の体験を感情と一緒に記憶しているので、過去の出来事を容易に持ち出すことができ、口喧嘩では、女が圧倒的に男より有利となる。(注)左右の脳を繋ぐ脳梁(のうりょう)が女の方が太いためとの説明もある。

5)会話については、男は情報交換か事実伝達という明確な目的があり、相手に内容をしっかり伝えようとする。他方、女の会話は話すこと自体が親密さの象徴だったり、単に共感を求めるだけだったりして、特に目的や脈絡がない場合が少なくない。

このため、職場の会議などでは男の発言が目立つのに対して、家庭での会話では、男は黙ったままで、女が一人で話し続けている状況がよく見られる。なお、強いストレスを感じた場合、男は喋るのを止めて、沈黙する。これに対して、女はひたすら喋り続ける傾向があるといわれる。

6)男は何かに集中している時に話が聞こえなくなる。また、自分自身が話す時は明確な目的があるので、目的や脈絡が不明な話をされると、上の空状態に陥って、話がわからなくなり、聞こえなくなることもある。1)で引用した本の表題で、「話を聞かない男」という表現が「地図が読めない女」と並べて使われた所以である。

7)その他、①男は危険(リスクテイク)やチャレンジを好むが、女は安全が好き、②男は公正な競争を歓迎し、その結果を受入れ、順位をつけたがるが、女は人間関係のバランスを重視し、順位はつけずにフラットが好き、③男は秩序や決まりを重視するが、女は物事の整合性をあまり気にしない、④先述のとおり、結果重視の男に対して、女はプロセス重視の傾向がある、などの違いも指摘される。

 

 上記で列挙した男女の脳の違いはあまりにも大き過ぎて、そもそも男と女がお互いを完全に理解し合うことは不可能ではないかと感じてしまう。現に、1990年代に世界的ベストセラーとなった「男は火星から、女は金星からやってきた」と題する本の著者である米国の作家兼人間関係カウンセラーのジョン・グレイ博士もそう述べている。でも、彼は男女の行動・思考パターンの違いを理解することで、男女間のトラブルを避け、敬意と信頼、純粋な愛情の上に成り立つパートナーシップを築くことが可能だとも指摘している。

 男と女は異星人ほどではないにしろ、別の国からやって来た外国人同士の如く違うとの見解もある。でも、大げさに言えば人類の存続のために、個人レベルで言えば幸せな一生を送るために、男と女はパートナーとして上手に生きて行く必要がある。また、男の「オタク脳」の深い専門性と女の「きずな脳」の共感性を賢く組み合わせれば、世の中を変えるようなイノベーションを生みだすことも可能という前向きな見方もある。

 なお、これまで専ら男女の脳の違いにハイライトを当ててきたが、①脳は、男女間の性差より個人差の方が大きい、②脳は、その構造や機能には男女の違いはなく、様々な使い方を柔軟に受け入れる器官なので、訓練次第で男脳優位とされる能力を女性が身に付けることもできる、といった見解があることも、指摘しておきたい。

 

2.男脳と女脳の違いを踏まえた賢い生き方

ここからは、1.男女の脳の特徴や違いで学んだことの応用編として、違いを踏まえた賢い生き方を2つのケースについて考えてみたい。2つのケースは、当会の男性会員の多くが自らの体験として、過去に直面したか・現在直面中か・未来に直面しそうなもので、(A)「家庭における妻との関係」と(B)「職場における女性部下との関係」とした。

 

(A)家庭における妻との関係

1)黒川伊保子編著「妻のトリセツ」のお勧め

 (A)は、迷うことなく、脳科学研究者・黒川伊保子著「妻のトリセツ」の紹介と要約とした。2年ほど前に、友人の勧めでこの本を読んだ時、正に「目から鱗」の思いがして、多くの方々にお勧めしたいと思ったからである。こんな本を結婚前に読むことができたならば、結婚生活が随分と楽になり、家庭の居心地も良かっただろうと心から残念に思った。本稿を読んで、多少なりとも心当りを感じた方は、是非とも、この本をお読み頂きたい。

2)この本は、最初に、近年「妻が怖い」という夫が急増しているが、殆どの夫はその「怒り」の本当の理由がわからないし、理由を聞き出しても、有効な解決策を打ち出せないと指摘する。そして、妻の怒りは過去の関連記憶の総決算であり、女脳は感情に伴う体験記憶を長期にわたって保存して取り出せるので、過去のものも含んだ増幅した怒りが溢れ出たものと解き明かす。こうした怒りは特に周産期と授乳期に強く現れ、夫一筋の妻ほど、一生、不機嫌や怒りの爆発を繰り返し続ける。これが「結婚の真実」だと言い切る。

怒りを減らすためには、脳科学に基づく戦略を立て、過去の怒りの記憶が数珠つなぎで引き出されるきっかけとなるネガティブトリガーを減らし、他方で、幸せな記憶を引き出すポジティブトリガーを増やすことが有効であるとして、両方のトリガーについて、女脳の特徴を勘案した効果的な対策を具体的に解説している。下記は、そのほんの一部を例示したものである。

3)辛い記憶「ネガティブトリガー」を作らない方法

・周産期や授乳期の妻への接し方に注意する:両時期の妻は満身創痍の状態にあり、夫の乱暴さや存在自体がネガティブトリガーとなるので、女友達として接するのがよい。

・女の会話の目的は共感:妻の話には「わかる、わかる!」と共感するだけよく、「こうしたら」といった注意やアドバイスをすべきではない。

・地雷を踏むセリフに気をつけよう:例えば、妻が家事・育児が大変な時期に愚痴った時に、「俺の方が大変だ」、「一日中家にいるからいいじゃん」などのセリフは絶対に禁句。

・女問題では妻をえこひいきすべし:母対妻、妻対娘といった女同士の対立が家内で起きた場合は、夫は必ず妻に味方すべきである。

・意識して「名もなき家事」を手伝おう:家事にはトイレに行くついでにコップを下げるといった目立たない家事が沢山ある。これらの家事もできる限り手伝おう、等々。

4)笑顔の妻が戻って来る「ポジティブトリガー」を作る方法

・事前に予告して旅行や外食の楽しみを長く味わえ:女脳はプロセスを楽しむので、予告から計画終了まで機嫌が良い。サプライズは女性を傷付けることもあるので、要注意。

・いくつになっても愛の言葉が欲しい女脳:妻の機嫌が良いタイミングで、「愛している」と言おう。欧米の男たちを見習って、エスコートをルールとして身に付けよう、等々。

5)それでも別れない方が良い理由

最後に、夫は、上記2)や3)などで機嫌をとっても、文句ばかり言う妻なら別れる方が良いと思うかもしれないが、別れると夫の健康余命が約10年短くなる。妻の文句は夫を病気や危険から守る言葉であり、夫自身のためにも、別れない方が良いと結んでいる。

 

(B)男性上司が女性部下に接する際の望ましい対応要領

 私は現役を辞めて10年ほど経つので、(B)では、男性上司が、男女の脳の違いを踏まえて、女性部下と接する際の望ましい対応要領を記したネット情報を紹介することにした。

1)男性は誰が言ったかが大切で、女性は何をするかが大切:秩序重視の男性は上司からの仕事は受けるが、女性は何のためにするかを納得しないと仕事を受ける気にならない。

2)男性は結果重視、女性はプロセスを知ってほしい:仕事の報告を求めると、男性は結果のみ報告するが、女性はプロセスも重視する傾向があり、結果に至る努力や繋がりとか、どうやって進めたかやその間の苦労なども報告したがる。

3)男性は結果を自分の力と考え、女性は周りの力でできたと考える傾向が強い。

4)先述したとおり、男性は一つの事に集中するのが得意だが、女性は同時並行的に仕事ができる。また、何か相談されると、男性は解決したいと考え、女性は共感したいと思う。

5)上記した留意事項を踏まえつつ、女性部下に対して、次の対応を取るべきである。

①話を最後まで聞く、②説明をしっかりと行う、③約束は絶対に守る、④言動一致を貫く、⑤仕事が完了したら、「ありがとう」と声に出して言って、感謝を伝える。

6)女性部下特有の反応として、難しい仕事や上の役職を打診されると、「私には無理です」と言ってくることがある。そうした場合は、「やる気がないのか」と思ったり、言ったりせずに、「あなたなら、できるはずだ。信頼しているor期待している」と声に出して言って、信頼や期待を伝えるのが良い。

7)私自身も現役時代を思い出して一言だけ付け加えたい。女性部下それぞれが今の職場で働いている理由・事情・居心地とか将来のキャリアパス・人生設計についての考えなどは、昔以上に多様化していると思われる。従って、女性部下を持った際は、できるだけ早めに個人面接等の機会を設けて、彼女たちの身上・不満・将来の希望等を把握し、個々人の事情を踏まえつつ、上記の対応要領を勘案して、彼女たちに接するのが良いだろう。

 

おわりに)

 今回も、脳の活性化には難しいことへの挑戦が有益と考えて、「脳」をテーマに選んだ。この身勝手な想いもあって、長い寄稿になってしまい、誠に恐縮だが、最後までお読み頂いたことに感謝したい。拙稿が、多少なりとも、奥様の心の内の理解や家庭での居心地の改善、さらには女性部下との望ましい関係の構築にお役に立てば、望外の幸せである。

 昨年秋に、若い友人から娘が結婚することになったという連絡があった。そこで、(心ときめき物質の)ドーパミンが脳から放出される幸せな新婚時代の暫く後に訪れる「結婚の真実」を知る時期に備えて、花婿は「妻のトリセツ」、花嫁は「夫のトリセツ」、そして二人で「夫婦のトリセツ」を読むように勧めておいた。そうしたら、最近、友人から「新婚夫妻のみならず、我々夫婦にも、とても役に立っています」との感謝の言葉が届けられた。最後に、この嬉しい感謝の言葉を紹介して、拙稿を閉じることとしたい。(了) 

 

【参考文献】①「男脳と女脳」茂木健一郎著、②「ベスト・パートナーになるために:男は火星から、女は金星からやってきた」ジョン・グレイ著、③「話を聞かない男、地図が読めない女」アラン&バーバラ・ピーズ、④「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」「夫婦のトリセツ」黒川伊保子著、⑤「人生がときめく脳に効く言葉」中野信子、⑥「女性の部下を百パーセント活かす7つのルール」緒方奈美、⑦インターネット検索で入手した様々な文献や情報など。


2023.5.30会報No.108

岩槻日記(23)

当会特別顧問 石井 孝

「徒然日記」

 割とチャンとした数学の入門書を読み始めた、半分ぐらいは丁寧にノートを取りながらフォローした。しかしながら、直感的に分かり切った事を馬鹿丁寧に証明する「くだり」にはうんざりして放り出してしまった。

 では、次は何をやろう。エンタメ時代小説ばかりではバカが更にバカになってしまう。たまには文学とか言われるモノに挑んでみるか。

 漱石の「こころ」、太宰の「人間失格」をたて続けによんでみた。

 両者の筆づかいは全く異なるが、話は、人生の「破滅」である。何とも後味が悪い、口直しが必要だ、やっぱり「エンタメ時代小説」が、罪が無くてよい。

 

「徒然日記」(乱読の極み)

 とても重たくて、真っ暗な「こころ」や「人間失格」の世界にうんざりして、門田泰明のエンタメ時代小説を開いた。

 こちらは、照明要らずの明るさであるが、何とも軽く手応え不足である。適当に明るく、ずっしりとした手応えのある小説が無いモノか。

 高校生の時分、モームが流行り出し、その中の英文が大学受験にも出るという事もあって、文学青年を気取る仲間たちが「人間の絆」を盛んに読んでいた。

 自分も読んでみたいなと思って居たが、ずーっと読まずじまいで来た。偶々「月と六ペンス」が入手できたので、早速、読んでみた。

 評論家諸氏は、この作品を通俗小説などと言って居るようであるが、私にとっては、適度な明光とずっしりとした質量を感じる立派な文学作品に思えた。

 老い先短い者に、人生(生きること)に対し改めて興味をそそらせる巧著ではないかと思ったからである。

 

「なの花漬け」

 桜が咲き出すと、あちらこちらに、菜の花も黄色い花を咲かせ、上から下から春の訪れを告げる。

 特に美味しいとは思わないが、「なの花漬け」の後味に残るほろ苦さが好きである。

 どういうわけか分からないが、あのほろ苦さは、漸く暖房器具が要らない季節がやって来るかとホッとさせるのである。

 昔この辺りは、畑や田んぼばかりで、ちょっと足を運ぶと、農道や田んぼのあぜ道で、なの花などは いくらでも容易に摘めた。

 所が、最近は畑も田んぼもすっかり無くなってしまい、16号の国道が通り、その周りは住宅やファミレスなどの密集市街地になってしまい、なの花などは、すっかり消えてしまった。

 仕方がないので、行き付けの河川敷のゴルフ場の河岸で、なの花摘みをするのだが、河岸沿う満開の桜と鮮やかな黄金のなの花の競演は見事というほか無い。思わず見とれて花摘みを忘れてしまう。

 

「除草剤」

 わが家の庭はそう広くもないが、この夏場になると雑草が蔓延って仕方がない。

 折角、庭師さんに二日もかけて色々と手入れをしてもらっても、一週間も立つと新芽が出始め放っておくと元の木阿弥である。

 「雑草の如く強く」とはよく言ったものである。

 これは何とかしなければと思い「除草剤」のお世話になる事にした。色々と試みてみたが、此れは良く効く。

 

「寝押し」

 ファッションと言うと女性専用かと思っていたが、男性にもあるようである。

 最近、電車の中で見る男性サラリーマンの背広姿を拝見すると、ズボンがやけに細く、折り目に筋などは見えず、ストーンとした感じである。

 我々が現役の頃のズボンは、幾分太めで、折り目には、ピンと張った筋目を付けるように心掛けたものである。

 このため、夜寝る前に、「寝押し」などと言って、布団の下にズボンを丁寧にセットして綺麗な筋目出来るよう、翌日の出勤に備えたものである。

 畳からベッドの生活に変わり、おまけに、近頃はコロナで自宅勤務流行りとなっては、「寝押し」などという言葉は、死語になってしまったであろう。

 昭和は、至る所で遠くなってしまった。

 

「訃報」

 「訃報」に接すると、お付き合いのあった往時を思い起こし、いろいろな想い出に浸り、衷心より冥福を祈ることが常であった。

 ところが、このたびの訃報には何の情動も起こらなかった。ああそうか、といったところである。

 彼は、権力者には徹底して媚び、自分に媚びない者に対してはいじめまくる。それでも結構偉くなった。

 阿-阿-、俺はいくつになっても枯れきれないのか。

 

「ご教授ください」

 最近、AIに関して喧しいが、小生は、残念ながらAIに関して全く無知蒙昧であるのでご教授賜りたい。

 池波正太郎や宇江佐真理等々、人情の機微に精通した作家の小説などを学習データとして積極的に活用したAIを創り、義理人情味に溢れた「人生相談」チャットGPTのようなものができないものだろうか。


2023.3.20会報No.107

昨今の世界情勢に思う~アルゼンチンびいきの独り言

当会顧問 飯塚 久夫

 

 サッカーのFIFAワールドカップ(W杯)は2022年12月19日、アルゼンチンが3度目の世界一に輝いた。マラドーナを擁した1986年メキシコ大会以来のことである。

 それを遡ること10日あまり、アルゼンチン高等裁判所は12月7日、クリスティーナ副大統領に道路建設汚職などの罪で、禁固6年の有罪判決を下した。また詐欺的な行政犯罪に責任があるとして、生涯にわたり公職に就く資格を剥奪した。さらに、848億ペソの罰金を科した。ただし、不逮捕特権により実質的影響はない。

 一方昨今、アルゼンチンの物価上昇率は深刻で、衣類や文房具などの日用品は日本より数倍の値段だ。パソコンひとつ買うにも、30万円を超える値がつくため、多くのアルゼンチン人は買い物のために越境してチリなどの隣国まで足を伸ばすという。失業率は増加の一途を辿り、貧困率も40%に達する勢いだ。アルゼンチンには政権に金を搾取されないため、給料を手渡しで受け取る人が40%近くいると言われている。

 

 以上の最近の状況は、コロナ禍前まで毎年アルゼンチンを訪れていた私には、実に象徴的な出来事である。

ブエノスアイレスの随所にマラドーナの像や土産物が溢れていた。いよいよマラドーナに替わってメッシの土産物になるのだろうか?

NECビッグローブ時代(約15年前)にNECアルゼンチンのオフィス移転披露に訪亜した時には、当時のクリスティーナ大統領(現副大統領)が、開所式に来てくれ記念植樹までした。クリスティーナもNECオフィスに来た時は実に美人だと思ったが、数年前の訪亜の際、クリスティーナの自宅はホテルから2ブロックほどの所だったが、丁度警察(アルゼンチンのFBI)の家宅捜索があり、野次馬で現場まで行った。あの美人が何でこんなに醜い顔になるのか?!とつくづく思ったりした。

数年前行った時は趣味のバンドネオン(5台目)を15万ペソで買ってきたが、当時は40ペソが1ドル。今なら180ペソが1ドル、何ということだ!と言いたい(今はバンドネオン自体が値上がりしているかも知れないが)。

 

 そもそも私とアルゼンチンとの関わりは、中学時代からの趣味のタンゴ。今と違って日本人がタンゴを広く聴いていた頃は、趣味が高じて、多くのCD解説・雑誌記事やテレビの番組制作にも関わったが、現在ではさみしい限り。しかし、聴く人たちの集まりである「日本タンゴ・アカデミー」と、踊る人たちの「日本アルゼンチンタンゴ連盟」というのを主宰している。

今世紀に入り世界的には、社交ダンスのタンゴ(所謂コンチネンタル・タンゴ)ではなく、アルゼンチン・タンゴのダンスブームが復活しており、昨年9月、ブエノスアイレスで行われた世界選手権大会には世界から500組が出場し、50万人の観客が訪れた。この分野でもかつては“タンゴ第二の故郷”といわれた日本が、今や韓国や中国に追い抜かれそうというのも、社会経済現象と軌を一にしている。

 

 仕事の面では、1980年頃からNTTで資材調達部門をやっていた関係で、NECを筆頭に日本メーカーが海外に雄飛した象徴がNECアルゼンチンであることを知っていた。そこの工場から日本の交換機を世界中に輸出していたのだ。NTT仕様では海外に売れないので、メーカーが独自仕様で売るのも黙認した。

近年では、テレビ放送のデジタル化のことが記憶に新しい。私はNTTコミュニケーションズが提供している全国テレビ中継網の「地デジ化」の責任者でもあった。これは伝送、交換(番組切換)のみならずMASCOTという無線屋が誇りにしてきた大規模コンピューターシステムの更改も伴った。その更改にとんでもないトラブルが起き、死ぬほど?の苦労をしたが、NTTの諸先輩、NTTコムウェア、NTTデータ、関係メーカーなどの総力を結集して乗り切れた。

画期的なことはその後。地デジ化主幹の総務省が日本方式を海外にも普及させようということで、欧米方式と中国方式の手が伸びていなかった南米を狙って、当時のT総務審議官を筆頭に獅子奮迅の活躍をしてくれた。総務審議官というのは英語ではVice Minister、つまり大臣の次、彼はそれを最大限に活用して、見事に南米の殆どの国に日本方式採用を決めた。私もアルゼンチンについてはタンゴのおかげもあり、当時の官房長官クラスの知人等々をT審議官に繋ぎ、多少(かなり?)のお手伝いをした。問題はその後だった。テレビ中継網だけではなく、端末、つまりスマホを含むテレビ受信機も日本から入れてくれないかという各国の通信担当大臣の要請でT審議官はこれまた東奔西走したが、当時、日本のメーカーは国内の高価でおいしい携帯端末に満足して、安い南米市場には目を向けなかった。そこで進出してきたのが韓国勢。情けないことに今日では南米の受信機は殆どサムソン、LGになっている。4億人市場であったのに!これも日本電機メーカーの世界凋落を象徴する裏面史の一つだ。

 

 最後に、アルゼンチンびいきとしては改めて以下のことを強調しておきたい。昨今の世界情勢はエネルギーと食料をめぐる争奪戦。それがベースとなった戦略的紛争に伴うプロパガンダとフェイクの情報戦争・経済戦争でもある。こうした際に、日本の致命線は言うまでもなく、資源と食料の低い自給率。食料で38%、エネルギーで12%である(2021年)。穀物自給率でみると日本は28%、179カ国中127番目、OECD加盟国38カ国中32番目(2019年)である。それにひきかえ、アルゼンチンの穀物自給率は277%、エネルギー自給率は141%(2006年)である。

多くの日本人にとっては、アルゼンチンというと、昔は『タンゴの国』今は『経済破綻の国』という印象。確かに10回程も破綻している。しかし、実情を知る者からすると、それでも国民は怒り悲しむが“明るい”のである。その根本は言うまでもない。豊かな食料と資源だ。日本の対極である。

 

 偶然にもペリー来航の年から民間外交を含め日本との親睦の歴史が始まった国、日露戦争の勝利に結びついた戦艦日進・春日(元は巡洋艦リバダビア、モレーノ)を譲渡してくれた国、太平洋戦争後、真っ先に日本に援助食料を届けてくれた国、1961年、当時タンゴ界の大御所フランシスコ・カナロ来日に併せて訪日したフロンディシ大統領を天皇陛下が羽田空港まで迎えに行ったほどの国、それがアルゼンチンであるということを、日本人は歴史の教訓として想い起こしていたい。

幸い(日本側が弱くなっているが)、アルゼンチン側は極めて良好な親日感情が続いている。最近は、何が「真」で何が「虚」なのか極めて分りにくく、日本を取り巻く状況も複雑さを増す世界にあって、食料や資源という基本的な人間の条件は(言うまでもなく)極めて重要である。その点で全く相補関係にある親日国と仲良くしておくことも安全保障の核心というものではなかろうか。今や狭い地球の真裏という距離は問題でない。国と国の関係においても、歴史や文化に根ざした、人間と人間の関わりということを根本に置いた発想こそが大切な時代を迎えている。


2023.3.20会報No.107

岩槻日記(22)

当会特別顧問 石井 孝

 

「体験的アジャイル開発」

 小生の現役当時はアジャイル開発などという言葉はなかったが、実質的なアジャイル開発を行っていたような気がする。 

 そこで、先般アジャイル開発を進めているという方の話を聞く機会があったので、我々が行っていた「体験的アジャイル開発」が真っ当なものであったか如何か聞いてみたのであるが、ピンとくる解答が得られなかったので、諸賢のご意見を伺いたく投稿する次第である。

 ソフトウエアシステムというものは、最初の初期開発はほんの手始めであって、これに色々な機能が順次追加され、拡大し成長して行くものである。そして、システムは企業などが必要とする限り永遠に生き続けるのである。

 その機能追加であるが、緊急を要するものは即刻行うが、そうでないものは複数項目を纏めて定期的に実行する。

 定期、不定期にかかわらずプログラムを追加・変更するに当たっては、単に機能が間違いなく追加されるだけでなく、ソフトウエアシステム全体が整理整頓された形で拡大し成長して行けるような配慮が不可欠である。俗な言い方をすれば、子供が将来不良にならないように、愛情を持って厳し育てると言った感じである。

 これを実行するためには、作業チームの構成を工夫する必要がある。出来上がりを速くするために、追加する機能ごとに担当者(仮称ファンクション・オナー)を設定して同時並行で作業を進める。

 このファンクション・オナーが各々勝手にプログラムの追加・変更の作業を行っては、母体のソフトウエアシステムがめちゃくちゃになってしまう。

 そこで、母体のソフトウエアを適当な機能モジュール単位に分割して、夫々に管理責任者(仮称モジュール・オナー)を置き、各ファンクション・オナーの追加・変更作業の交通整理を、モジュール・オナーが厳格に管理・サポートする。

 こういったマトリックス体制を構築することが極めて重要なのである。こういった措置は、ソフトウエアシステム開発全てに留意すべきではないかと思うが、スピード開発をモットーとするアジャイル開発体制には特に大事である。

 また、こういった仕掛けは内製体制が整っていないとうまくいかない。多重下請け体制などでは、とても無理な相談であろう。

 

「何故」

 今日、一月二十六日は、真藤さんの命日である。真藤さんは2003年1月26日92歳で、遥か遠くの方に逝かれてしまった。

 真藤さんの思い出についてはこのフェイスブックにも幾たびか投稿させていただいたが、電電公社生活に慣れ親しんだ私にとっては全く途方もなく大きな方であった。

 ここの所、電々民営化を機に第二電電を創設された、真藤さんと縁がある稲盛さんの逝去を偲び、氏の経営者としての実績と偉大さを評価した書籍が色々と出版されえている。

 真藤さんも、氏に勝るとも劣らない極めて傑出した技術畑出身の優れた経営者であったと思うが、リクルート事件に巻き込まれたが故に、正当な評価が十分になされていない現状は残念至極である。

 所で、かのリクルート事件である。田原総一朗のリクルート事件の実録「正義の罠」を読むと、愕然とする。真藤さんは、「何故」罪を着せれたのであろうか。

 「正義の罠」によれば、真藤さんの主要な罪状として、リクルート社のクレイ社のコンピュータ購入に関する電々側のリクルート社への便宜供与が挙げられている。

 しかしながら、事実は真逆で、リクルート社が日米間の貿易摩擦に苦戦する電電公社の国際調達業務の応援に一役買ってでたものであったと、「正義の罠」には、その様子が詳しく書かれている。

 

「改めて変ったなー」

 通院などで比較的早めの電車に乗ると、サラリーマンとして通勤していたころとは全く違った光景に戸惑うこと暫しである。 

 その第一がスマホ・オンリー、十人が十人、全てスマホとにらめっこ、新聞など読んでいる人は誰一人として居ない。 

 そして服装、シャツなどは、わざわざ外にはみ出している。そのうち、プロ野球のユニフォームもはみだしになるのだろうか。 

 それか目に付くのが女性の素晴らしい体格。嘗て美人と言えば、小柄で細身、小股の切れ上がった一見なよなよとした女性が相場であった。所がどうだろう、最近の美人は堂々としているではないか。身長も体重も男性に比べて全く遜色が無い。うかうかしてしいるとはじきとばされそうである。 

 そうだ、こういった女性の代表に政治も任せたら安全保障も万全になるかもしれない。

 

「マイナンバーカード」

 「マイナンバーカード」と健康保険証の統合について、色々と喧しいが、この種の統合化の進行はIT本来の姿で、どんどんと進めるべき話である。こうした統合化が上手く行けば、将来的には税務申告なども自動的に行なわれる事になるであろう。 

 ビジネスシステムのコンピュータとソフトウエアによるシステム化は、此れを使い始めると、次々に機能追加を重ねいく事により、極めて便利になる一方で、ソフトウエアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウエアがすべてを支配してしまい、それなしでは何もできない状態になってしまう。 

 このため、秩序ある成長・発展ができるように管理することが肝要である。 

 それには、土台となるソフトウエアシステムがしっかりしているか、また、こうした増殖するソフトウエアシステムの維持管理する人的管理体制が整っているかが極めて重要なポイントとなる。 

 複数の銀行が統合したみずほ銀行のケースに於けるソフトウエアシステムの混乱状態をみれば、複数のソフトウエアシステムの統合とその維持管理が如何に注意を要するかが明白である。 

 この辺り問題を官庁体質のデジタル庁は十分に認識されて、万全の体制を整えて居るのであろうか。一番心配されるのはこの点である。


2022.11.27会報No.106

海外技術協力の素晴らしさと楽しさ

-海外ボランティア活動のお勧め-

当会顧問 加藤 隆

 

 私の人生の後半は「海外技術協力」が主であり、現在もその余韻で生活に潤いを頂いている。最初に私と開発途上国との関わりに触れてみたい。

 私が電電公社(当時)で初めて海外業務に携わったのは、今から41年前、JTEC(海外通信・放送コンサルティング協力)に配属になったことに始まる。ここで私はJICAによる中南米のドミニカ共和国の電話網拡充プロジェクトのコンサルティングに従事した。

 これが私に大きなインパクトを与えた。私の業務は日本からの支援が主であったが、プロジェクトの締めくくりに現地に赴いた。見るもの聞くもの皆新鮮で、完成式典には大統領も参列し、陽気な国民性も手伝って、国を挙げての喜びは一方ではなく、わが国のODAの素晴らしさとその効果を強く実感した。

 続いてバンコック海外事務所に赴いた。当時電電の海外事務所は7カ所しかなく、バンコック事務所はアジア及びオセアニア一帯をカバーし、業務内容も多様であった。即ち電電の技術を移転することを目的として、覚書を結んだ多くの国の電気通信運営体と、幹部や職員の交流の促進の他、電電から派遣されたJICA専門家や海外青年協力隊員の支援等であった。またバンコックには日本が大きく支援しているAPT(アジア・大洋州電気通信協同体)の本部もあり、これを通じて多くの国と接触する機会を頂いた。タイは勿論、スリランカ、マレーシア、フィリピン、ミヤンマー等々、オーストラリアやニュジ―ランドにも及んだ。このようなことが出来たのは、高い技術を有し、且つ誠心誠意対応する日本の技術協力が行き届いており、わが国に対する高い評価があったからであろう。

 帰国後は、当時の日米貿易摩擦緩和に寄与した国際調達業務に従事し、その後日本コムシス(株)に転出した。当時コムシスは世界各地で通信網拡充の仕事をしていて、タイ・マレーシア・フィリピンにも会社があり、チリ等の同業会社にも出資し人材も派遣していた。その後私は同社のバンコック通信エンジニア会社に転出し、日系の同業他社とタイアップし、タイの電話の大幅な普及に努めた。

 そして自由の身になってから、JICA のシニア海外ボランテイア(以下SV)として、三度目のタイに赴き、バンコック郊外にあるラチャモンコン工科大学で2年間教鞭をとった。このSV制度は「長年培った技術と経験を開発途上国のために生かすだけでなく、その国の人々と直接触れ合い交流することから生まれる草の根レベルの国際交流」(JICAホームページより)である。そしてタイ政府からの要請は、産業振興に直ちに寄与できる技術者の育成であった。私が担当したタイの学生は皆純朴で、クラスの纏まりもよく、目上や教師を敬う良き慣習があり、若い学生との交流は清々しく、何物にも代えがたいものであった。

 ここで電電公社及びNTT民営化直後の海外技術協力の様子に触れる。この技術協力には3分野があり、第1に海外の研修者受け入れで、電電は年間約50数ヵ国から150名、累計で120ヵ国から約6,000名受け入れた。その他、短期研修生も多数あった。

 第2は任期2年強の海外技術専門家の長期派遣で678名に及ぶ。その内訳は、JICA504名、ITU85名、電電自主派遣65名であり、アジア地域への派遣が多い。加えて他短期派遣は多数あった。第3は青年海外協力隊員で49ヵ国に490名を派遣している。アフリカ諸国への派遣が多かった。

 ここでかつて電電の技術協力の一例としてタイのモンクット王工科大学ラカバン(KMITL)を紹介する。これは1960年に開始されて、当初は「電気通信訓練センター」として発足し、その後大学に昇格した。そして今や医学部を始め9学部で、学生数は2万9千人に及んでいる。学生の質も高くタイの大学で4位で、特に工科系ではトップで、タイを代表する大学である。

 当時電電は教官として長期25名の他、短期の多くの職員を派遣した。この功績は高く評価され、電電の総裁を始め幹部が国王から叙勲や大学から名誉博士号を授与された。

 現在NTTは海外で大きく事業展開がなされご同慶の至りである。それには電電時代から地球規模で培い、高い評価を得て来た基盤があったことも忘れてはならない。

 そこで皆様へのお勧めである。

 皆様のようなNTTのOB の方々は多くの技術・業務の知識と経験をお持ちで、しかも海外業務に携わられた貴重な存在である。それで自由の身になられたら、海外ボランティア活動への参加をお勧めいたしたい。例えばJICAのSVの応募もコロナ禍で一旦中止されたが再開の兆しがある。任期は2年だが何度も重ねられる方もいる。そして帰国後は「シニアボランティア経験を活かす会」に入会される方が多い。この会は業種を問わずSV経験者が設立し自主運営しているもので、国内の学校で出前授業をし、自分の経験を基に世界の国々を紹介したりして、楽しみながら各種の社会貢献をしている。そしてそれを通して多くの仲間と協調し、生き甲斐を感じている。年齢制限はない。私もそのメンバーである。(以上)

【冊子「The Contributions to Thailand’s Telecommunications by Japan」(45ページ、国会図書館蔵、加藤隆編)を無料進呈いたします。ご希望の方は、下記までご連絡下さい。】

kato2415@jasmine.ocn.ne.jp


2022.11.27会報No.106

岩槻日記(21)

当会特別顧問 石井 孝

「人事」

 会社など、ある組織が良くなるか、悪くなるかには、色々な要因があろうが、何と言っても一番大事なことは、組織が人で構成されていることを考えれば、その組織の人事ではなかろうか。

 あれほど出来る優秀な人間が何故評価されないのだろうか。また、あのずる賢い「悪(わる)」が、何故あんなに偉くなるのか。こんな事は、残念ながらまま見受けられるのである。

 こういう事になるのは、人事担当の重大な問題である。しかし、よくよく考えれば、またそういった人事担当を選んだ以前の人事担当の問題でもある。

 こうしてみると、この問題は、その組織風土にひそむ潜在的な問題なのかもしれない。

 些か飛躍した結論になるが、組織改革とは、先ずここの所に抜本的なメスを入れなければいけないのだろう。

 

「ランダムサンプリング」

 NHKの世論調査では回答者率が55%、凡そ半数であるという。

 最初に選ばれた全ての人達については、確かに「ランダムサンプリング」されていると言って良いだろう。

 しかし、回答を回避した約半数を除いた人達が「ランダムサンプリング」されたと言えるのであろうか。

 回答を回避した人達は、所謂、くせ者である。この人達の本音を聞いたら、回答した人達と全く同じ結果になるとは、とても思えないのだが。

 数学的には、こういった状況下においても「ランダムサンプリング」が成立すると言えるのであろうか、何方かご教授賜りたい。

 

「返事が来ないメール」

 現役当時は読み切れないほどの仕事絡みのメールが入ってきた。面倒くさいが、大事な話も結構混じっているので丁寧にチェックし、即刻、返信を試みたものである。

 所がリタイヤして仕事が無くなると、何処でアドレスを調べたものか、広告宣伝絡みのメールばかりである。

 また、こちらから現役時代の仕事仲間や友人達に時候の挨拶メールを送っても、さっぱり返事が来ない。偶々会った時に「如何したのか」と聞くと、訳のわからん下らないメールばかりなので、最近は「メールは観ていない」と言う。

 

「ソフトウェア内製」

 ソフトウェア内製部門は、ベネフィットを創造するプロフィットセンターです。単純なコストセンターではありません。

 ソフトウェア内製部門でソフトウェア開発を行う社員は、ハードで言うなら、ハードウェア製造にかかわる製造装置のようなモノです。

 ソフトウェアは、基本的に人が創造するものです。

 この人達の人件費を、単純に費用と見なすのではなく、内製による「費用対効果」を正当且つ定量的に評価・分析するシステムを創らなければ、ソフトウェア内製部門の弥栄はないと思いますが、いかがでしょうか。

 特に、我が国のソフトウェアに対する意識(低さ)の現状を考えるとき。

 

「手を汚す」

 有形無形のさまざまのサービスやモノを生産する企業の生命線はどこにあるかといえば、やはり、それはサービスやモノを創る第一線つまり現場にある。

 最近、現場以外の本社組織とか管理部門とかいった所が幅をきかせるようになっているようだが、現場を軽視して企業が成り立つはずはない。

 真藤(恒)さんの語録を拝借すれば、優れた企業の成果(アウトプット)は現場から生み出されるのである。現場の頭脳と汗にまみれた汚れた手が企業にとっては、肝心な鍵なのである。

 現場はすっかり下請けに任せ、本社などの管理部門はリモートワークで、企業が繁栄すると言うのであろうか。

 

「技術開発の目標」

 「技術開発の目標」はそれぞれの立場によって異なるものと思うが、いずれにしても、技術で生き残りをかける企業は、自社の「技術開発の目標」を明確にして置くことが肝要ではないか。

 私が嘗て働いた組織では、当時、電話の積滞解消と全国自動化が大目標で、そのために必要な膨大な設備投資を如何に効率化するかが重要なテーマであった。

 このため、電話網を構築する諸設備(機器)の経済化が「技術開発の目標」であった。

 経済化といっても旧式の機器の二三割程度のコストダウンを目指すのではなく、少なくとも五割削減で且つ性能も抜本的に改善する事を求められた。

 こうなると、システム的(方式的)な見直しは勿論の事、構成部品の見直し等全面的なやり直しになる。

 そして、こうしたプロセス中から新しい実用的な新技術が生まれた。

 こうした傾向は昭和の戦後復興期に於ける各企業の大きな特徴であったが、現在、技術で生き残りをかける諸企業は、それぞれの明確な「技術開発の目標」を持って居るのであろうか。

 

「スコータイ旅行」

 この時期になると、タイでのスコータイ旅行を思い出す。

 シニアボランティアの仕事も結構忙しく、タイの見物旅行も、なかなかままならなかった。

 タイ滞在も、あと半年と思った頃、思い切って、シニアボランティア仲間を誘ってスコータイ旅行を敢行した。

 スコータイは、タイ族が建てた初の王朝「スコータイ王朝」が1238年に開かれた都市で、スコータイとは「幸福の夜明け」という意味だそうである。

 バンコクの喧騒から離れ、タイの古い歴史を偲ばせる美しい緑の古都であった。


2022.9.26会報No.105

ウイルスの話

当会顧問 

鈴木 武人

ここ数年、コロナによって仕事や生活まで、すっかり変えられてしまいました。

この会の集まりも、リモートになって久しく、我々も案外これに慣れてしまったといっても良いでしょう。

 

我々のような高齢者は特に気つけなければならないとされ、7月にはワクチン接種4回目を終えましたが、どうもその効力は5ヵ月から6ヶ月らしく、これからも年2~3回くらい受けなくてはならないようです。副反応のある方は、薬を用意、安静に努める等の対策にも努めなければなりません。コロナの特徴はウイルスがどんどん変異することです。傾向としては、伝染性が増加して感染者が激増、ただ死者や重傷者がその割に少ない、すなわち病原性が少なくなってきている話と、今までのワクチンが効かなくなってきたとの話も聞きます。抗コロナウイルス薬品も出てきています。ウイルスには抗生物質は効かないというのは常識になっていますが、それどころか予防の為とかでむやみに使用すると耐性菌を作ってしまう事になるそうです。コロナウイルスはタンパク質からなる複数の突起(スパイク)を持っており、そのタンパク質が結合する相手、すなわちこの場合は人間の細胞を選んで、結果的にその細胞に取り込まれ、その細胞のメカニズムを利用してウイルスを増殖し、周辺の細胞へと完成したウイルスを再感染させ爆発的に増殖するのだと言われています。当初いきなり強度の肺炎を起こしたのですが、最近では鼻や喉に炎症を起こす様に変わってきています。これはスパイクのタンパク質が鼻や喉の細胞に取り付きやすくなったと言う事かも知れません。その分感染はしやすくなり、その代わり肺炎の頻度は下がり、軽症で済むようになりつつあると見る向きもあるようです。

ウイルス恐るべしですね。

 

そこでウイルスについて調べてみましょう。

10年程前のものですが、山内一也氏の著作『ウイルスと地球生命』が大変面白いと思いました。ウイルスの専門研究者で、人間も受精から胎児の生育にウイルスが重要な役割を果たしているとの説を唱えておられました。

 

過去に遺跡が見つかるのにその民族が地球上から消えたとの話は沢山ありますが、有史上で最も有名なのはスペイン4風邪でしょう。1918年から1920年にかけて世界的に流行しました。発生はアメリカという説が有力とされていますが、丁度第一次世界大戦の時で、米国兵がスペインに持ち込み、そこから世界中に大流行したのでスペイン風邪と呼ばれるようになったのだそうです。インフルエンザの一種だが、世界人口の30%ともいわれる膨大な感染者と、約4000万人の死者を出したとされています。なぜ、スペイン風邪が治まったかには諸説あるようですが、あまりにも毒性が強かった為に感染者は死に絶え、結果的に感染が阻止されたという説もありました。

 

ウイルスには様々な種類があるそうです。

ヒトやブタ、ネコ(猫のAIDSは有名ですね)などの動物にはそれぞれの種だけに感染するコロナウイルスが存在し、現段階ではヒトに感染するコロナウイルスはこれまで6種類が見つかっているそうです。以前から普通の風邪を引き起こすコロナウイルスが4種類知られていたが、小生がフィリピンに居た頃にSARS(重症急性呼吸器症候群)というコロナウイルスが流行し、とても恐れられました。ガスマスクの様な米国製のマスクが送られてきたり、マニラ空港でも到着時に検温やら殺菌機能を持ったマットの上を歩く等が義務化されて感染を防いでいました。(不思議に日本の空港ではこのような対処は全く無かった)。また2012年にはMERS(中東呼吸器症候群)が一部で流行しました。いずれも致死率の高い病気で、その後、これらのコロナウイルスについての研究が進められてきました。

ウイルスには沢山の種類があります。コロナウイルス、インフルエンザウイルス、ノロウイルスなど、よく聞く名前ですが、これらは大きくその構造から2通りに分類されるそうです。

エンベロープタイプのウイルスには、コロナウイルス、インフルエンザウイルス、ヘルペスウイルス、風疹ウイルスが含まれます。

非エンベロープタイプのウイルスには、ノロウイルスやロタウイルスが含まれます。

これら2種類の大きな違いは、その構造にあります。エンベロープタイプは、外側にエンベロープと呼ばれる主に脂質からなる膜があります。この油脂膜が、エタノールや界面活性剤などと作用するので、膜を壊すことが容易の出来ます。コロナ対策でアルコールが有効なのはこれが理由となります。

一方で、非エンベロープタイプは強固なタンパク質の殻に囲まれているため、外からの影響を受けにくく、消毒剤などが一般的に効きにくい傾向にあります。

ところで、コロナウイルスの仲間は共通して、複雑な侵入と増殖のメカニズムを持っています。これらのウイルスは通常、油脂表面から突き出たタンパク質のスパイク(突起)が、宿主の細胞表面にある特定のタンパク質に結合することによって侵入します。

このスパイクに謂わば蓋をして感染を防ぐのが現在のワクチンと理解しています。

多くの病の原因として認知されるウイルスですが、TVの解説で、ウイルスは我々人間も含めて原始動物からの進化を担って来たとの話がありました。どこでどのように進化を担ったかまでは聞けませんでした。どなたか教えてください。

これもTVからの情報ですが、ウイルスを用いた癌の治療で実績を上げているという研究が直ぐ拙宅近くの東京大学医科学研究所で行われているそうです。

ウイルス療法とは、遺伝子工学技術によってウイルスゲノムを「設計」し、がん細胞でよく増殖しても正常細胞では全く増えないウイルスを作成し、これを臨床に応用するそうです。適用したのは悪性脳腫瘍の内の膠芽腫(グリオブラストーマ)だそうです。これは最も頻度が高く、さらに予後も悪い悪性度4の神経膠腫です。現在までの治療法では手術をしてから放射線治療と化学療法を行っても、平均余命は診断から18カ月、5年生存率は10%程度とされます。これがウイルス療法によって全快に至ったというのです。

この実績からこの研究を幅広く活用するよう全国的に広まりつつあるそうです。

医学的には現在までの汎用適用の医学から、個人・個体へ特化した医療への革新かも知れません。

今はコロナを殲滅出来ないので仕方なくWith Coronaの生活をと言い始めていますが、将来は“By Virus”になるかも知れませんね?


2022.9.26会報No.105

岩槻日記(20)

当会特別顧問 石井 孝

「八十七年」

 

 今年の12月に87歳(米寿)になるということで、電電のOB会から記念品を頂戴致しました。まことにありがたいことです。

 よくぞここまで生き延びたものと我ながら感心する次第であります。

 戦争中から戦後にかけたあの惨憺たる食糧事情の中で栄養失調寸前、もしくはそれに陥っていたかもしれないのに。

 また、学校生活と申せば、新たに取り入れられた六三制というシステムが定着しない中の新制中学でした。

 一例をあげますと、英語は「Jack and Betty」という教科書でしたが、一年生で教科書の半分も消化出来ないのに、二年生になると二年生の教科書を初めから始めるといった乱暴なやり方でした。

 何とか学業を終え、電電公社に就職することが出来ました。

当時、申し込んでも付かない電話が山積みになって居り、これを解消した上で、全国に亘って交換手を介さない自動的に接続する仕事に大わらわでした。

 仕事にも職場にも恵まれたサラリーマン生活であったと思っております。

 ただ、定年を迎え電々生活おさらばという時に聞こえた陰口「アイツは何かやったと思っているらしいが、やったのは名刺の肩書きだ」には参りました。

 これは、何とか自分の力というものをチェックしておかなければならないと考えておりました所、ワイフがJICAのシニアボランティアに関する新聞記事を見付けてきて、やってみたらと言うではありませんか。

 この仕事であれば「名刺の肩書き」とは全く無縁です。早速応募(受験)しタイの高専で若者たちへのIT教育システムの開発と実践に奮戦したのです。

 これに関しては、2000年度のJICAシニアボランティアの代表として天皇皇后両陛下に報告する栄を賜りました。

 これで満足したと云うわけではありませんが、正直に言って「まあまあかな」と思ったことは事実です。

 それから家庭生活の方ですが、結婚してから60年にもなります。

 生まれてから87年、家庭を持ってから60年と云う年月の中で、いうに言われぬ色々な過度現象を経験致しました。

 これらを乗り越えられたのは、ワイフをはじめとする家族の協力によるものと感謝しております。

 下らない話が長くなりました。大変失礼いたしました。

 

「大規模通信異常障害」

 

 昨夜(9月24日)、ICT海外ボランティア会(ICTOV)が実施した「大規模通信障害を振り返ってみたら」と云うテーマでのウェッブ・ミーティングの感想である。

 現役を離れ、不勉強になっているので誤解等も多いと思う、忌憚ないご指摘等頂戴できれば幸いである。

 現代社会における通信システムは電気、ガス、水道につぐ必要不可欠なモノである。従って通信業者は自己のシステムの運用に万全を期するべきである。

 以下、気が付いた点について列挙する。

1. 先ず、現在の主流であるインターネット網(パケット交換網)の設計である。

 従来の電話のような回線交換ネットワークでは其処を流通するトラフィックがアーランと云う単位で定義され、輻輳に関する問題が数学的に整理されていた(測度は呼損率)。

 このため、ネットワークの設計は極めて理論的且つ合理的に行われ、ネットワークの運営と保守もシステマティックに実施されていた。

 これに対して現行のインターネット(パケット交換網)に於いては、呼量はパケット数やパケットの大きさなどで計るのであろうが、伝送路の帯域との関連においで輻輳状況などを数学的に把握・整理されているのであろうか。

 ネットワークの設計(回線設定など)はどの様な論拠・手法に基づいてに行われているのであろうか。

 そして、輻輳状態の解消には、ネットワークの耐力以上の負荷はカットせざるを得ない。従来の電話網における発信規制のような機能は何れのネットワークに於いても必須である。

2. 次はネットワーク運用面である。

 此処で思い起こすことは、37年前、NTT初代社長真藤さんのご指導である。氏は、電子交換機ソフトをはじめとする電話交換網に関わる全てのソフトウエアシステムを内製化し、ネットワークの設計から維持管理に至る運営を全て自前で行うよう厳命された。これが完成した後、私の在任中、ネットワークに関する異常障害は皆無であった。

 昨今、シャープなど色々な会社がソフトウェア開発要員を大幅に増やして自社のDXにかかわるソフトウェア開発の内製化に取り組んでいると報道されている。

 通信業会も下請け・外注任せての体質から脱皮し、真藤さんやシャープなどのやり方に脱皮することが「大規模通信異常障害」を回避し、事業の健全化を図る基本的な道筋ではなかろうか。

 些か振りかぶった言い方になるが、これからの時代の事業経営において事業自体を司るソフトウェアシステムを事業者自体が内製化し、管理する。これこそがDXの基軸なのではないか。

3. .蛇足であるが、車にあたるのがパケットで、高速道路にあたるのが広帯域伝送路と考えると、インターネット(パケット通信網)の輻輳は高速道路の渋滞に類似しているような気がする。先ず遅延が起こり、さらに進むとスタック(遅延時間が無限大)する。高速道路の渋滞理論をインターネット網の輻輳問題に応用できないものであろうかなどと素人は思ってしまうのである。

 

『ソフトウエアは生命線 利用者が内製し管理せよ』

 

 漸くここまで来たか。以下は、今から約40年前、昭和60年当時の話です。

 「事業の根幹である電子交換機が故障した時、自分達の手で直せないのはおかしい。交換機用のソフトウエアの開発をコンピューターメーカーに丸投げしているからだ。石井君、どうだ。自分達で直せるように、ソフトウエアを内製してみないか」

 日本電信電話公社(当時)の真藤恒総裁は私を呼びつけるや否や、こうまくし立てました。1985年4月に公社が民営化される直前の出来事でしたが、コンピューターや交換機を動かすソフトウエアの重要性を熱く語った真藤氏の姿を今でも鮮明に覚えています。NTTの誕生と同時に、内製化を手がける「中央ソフトウエアセンタ」が新設され、私は所長に任命されました。

 折に触れ、真藤氏とソフトウエアについて話し合ったので、その真意を知ることができました。よく聞いてみると、交換機の修理うんぬんはきっかけに過ぎず、真意は「これから社会のあらゆるところにコンピューターが浸透し、社会そのものが“ソフトウエアオリエンテッド”になる。その時に備え、高品質で高い信頼性を持つソフトウエアを開発する力をNTTの中に蓄えておきたい」ということだったのです。

 ソフトウエアの内製化は取り組んでみると大変な難業でしたが、真藤氏の後押しもあって、丸5年後には交換機ソフトウエアを自力で開発し、直していける体制を築けました。悪戦苦闘を通じて体感したのは、「ソフトウエアは成長を続ける生き物であり、その成長をきちんと管理しなければならない」ということです。

 いったん開発を終え、ソフトウエアを使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生します。この作業を続けていくと便利になる一方で、ソフトウエアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウエアがすべてを支配してしまい、それなしでは仕事ができない状態になってしまう。従って、秩序ある成長ができるように管理することが肝要です。最初の開発は手始めに過ぎず、使い出してからが本番なのです。

 二十数年経った今、真藤氏の言った通りになりました。ソフトウエアは社会の仕組みや企業のビジネスの至る所に入り込み、増殖しています。残念なことに、年金問題や証券取引所の不具合に象徴されるように、品質と信頼性の問題が表に出てきてしまいました。しかも、これは氷山の一角に過ぎません。多くの企業は、自社のビジネスを支配しているソフトウエアの開発や維持管理の仕事を外部に丸投げしており、自力で管理する力がありません。

 この問題を解決するには、ソフトウエアを利用する組織や企業が内製できる力をつけるしかありません。その力を持ってこそ、たとえ開発を委託したとしても、外部企業の仕事ぶりを見極められるのです。内製化は難業です。真藤氏がソフトウエアに関心を持ち、現場を鼓舞してくれたように、経営トップが問題を認識し、ソフトウエアの維持・管理を担当する部門が意欲を持って継続的に取り組めるよう目配りすべきです。

 ソフトウエアを恐れることはありません。ソフトウエアは100%人間の手で作る生産物ですから、それにまつわるすべての問題は人知の及ぶ範囲内にあります。だからこそ、担当者のモチベーションが重要なのです。「企業は人なり」と言われます。これをもじって言えば、「企業はソフトウエアなり、ソフトウエアは人なり」です。


2022.8.1会報No.104

Covid-19で

当会顧問

東京大学名誉教授

吉田 眞

注 本稿は、過去2年間に開催された定期イベントの開会挨拶の内容(要約スライドのみ公開)を纏めたものである。

 

ここ2年以上にわたり、世界中の活動がCovid-19に支配されてきた。

Covid-19は、社会的動物と言われる人間の行動様式と考え方に大きな制約・変更を強いた。筆者の関係している複数の一般社団・財団法人、学協会等においても、理事会、委員会、イベント類の全てが、最初の蔓延以降オンライン化された。現時点で近い将来にこれが元に戻る気配はない。

2020年1月-6月の第1波の時期には、Covid-19の蔓延自体も、これで必要になった行動様式の制限・変化の多くも、一時的なものであって時間がたてばCovid-19は終息して(あるいは少なくとも従来のインフルエンザ並みになって)、生活の大部分は元に戻るものと考えられていた。しかし、2年半たった現在、第7波の到来とウクライナ情勢も重なって、その気配は一向に感じられず、先行きの見通しは不透明である。

本稿では、Covid-19による社会の変化について個人的に感じていることを述べる。気楽な”雑談”の種としていただければ幸いである。

 

Covid-19によって社会の変化はどうなるか

 

当初は、社会の変化へのCovid-19による活動制約による影響は、以下のように分けられると想定されていた:

1)既に存在する、あるいは伸長しつつある動向(トレンド)が、変わらず継続する、

2)これらが一層増幅・加速される、

3)新たに起きた変化で、将来は元に戻る、

4)将来も元に戻らない - これは「新常態(new normal *1)」と呼ばれている。

 

これらの代表例を図に示す(省略)(本図は2021年4月時点のものであるが、大略は変わらない)。

 

1)の例で、自然と人間活動が相互に作用する温暖化の傾向は、人間活動の制限により、一時的に緩和するとも考えられた。しかしながら、実際には進行の度合は増しているようである。

2)については、現状ではほぼ予想通りで、種々の行動制限は、その影響が少ない者と大きな影響を受ける者(弱者)を一層分断して格差を拡げている。また、異なる意見の者(集団)の間での分断は以前から拡大していたが、行動制限で“一見”が減って“百聞”が主になることによって、判断情報が狭隘化して偏り、個々人が考える習慣・力を弱めることになり、一層拡大している。そしてフェイク情報の氾濫・ビジネス化がさらに分断に一層拍車をかけている。

3)での移動制限や物理イベント類の中止・延期などは、解除されてきているが、人数制限、予約制などは継続している。これが完全に「元に戻る」時期は見通せていない。

4)については、テレ・遠隔-XXが「基本」となるという予想された。ICTの進化によって、以前からも遠隔講義、TV会議、Webinarなどが利用されていたが、これらが「常態」となるというわけである。しかしながら、現時点では、従来のリアル-XXを全面的に置き換えるような状況になったとは言えない。例えば、テレワークは第1波で増えたが、その後は全国平均の普及率は30%前後で変動しており、完全にテレワークとなっているのは、全国で6%、東京でも16.4%に過ぎない。(内閣府 2021年1月)(*2)

 

 これには、後述のように、人間は本来「動く、集まる、語る、によって創造する」ことが基本であることと、日本社会特有の、一旦決めたら規則と習慣に従うことを変えないこと、によっていると考えられる。

一方で、会議やセミナー類の遠隔・オンライン化については、最初に触れたように格段に増え「常態化」しているといえる。一時は、年次の定例産業展示会や学協会の大会などのイベント類のリアル開催は無くなり完全にオンライン化された。現在はリアルも復活しているが、オンライン開催も多く、オンライン配信を同時・事後に行うハイブリッド方式も基本となっている。

 

3つのシフトへの対応 

 

社会活動として最も顕著な変化は、否応なしに人間同士の直接接触や物理的なモノを介した接触を避けることが要求されたことである。この観点からの変化は、以下のように3種類ある。(3つのシフト *3)

 

1)コミュニケーションの非対面化 - オンラインによる(上記4)

2)サービス・モノ提供の非接触化 - EC、宅配、など

3)省人化・無人化 - サービス、製造現場

 

1)については、Covid-19禍に関係なく、ICTの発展によって、個人的・社会的な交流、ビジネス活動が物理的に直接に会わずとも可能になり、ICTは重要社会インフラとなった。これで個人的な活動でも仕事でも活動範囲が広がり、効率が上がり、社会の範囲がグローバルにまで大きく広がった。〔前節の4)関係の議論〕

2)では、物理的な接触を避けるために、ネットで注文し、配達者との直接接触をせずに指定のボックスや宅配ボックスなどで受け取ることが普及した。ただし、理容・美容などの身体的な処理を伴うものは、接触なしには難しく、ロボット化も当面困難であろう。Covid-19禍によって一層加速している変化の例としては、物理的なものを扱う店舗数の減少があり、例えば、市井の書店数は急減している、

3)では、非接触化における間接的な接触がさらに進んで無接触・無人化の流れとなる。これは、配達等の人手不足の解消から従来から志向されている。また、無人化の例は農家の無人販売所などで以前からあったが、特にCovid-19対応で都心でもICTを活用した新しい試みが行われている。関連記事(*4)によれば、これも既に停滞が見られ、次の段階を模索しているようであるが、特に問題となるのは、セキュリティの確保とこれに対するプライバシーの保護(このためのデータ保護に関する厳格なルール)である。

 

人間と社会の在り様はどうなるのか

 

Covid-19による人間活動の制約が長期化するに従って、人間そのもの、及びその将来に変化をもたらすものになるのではないかという懸念が生じてきている。

人間は、社会的動物として(五感、肌で感じる)場、空気の物理的共有、他人との協働がその存続の基本であり、個人としても、集団としても社会なくして存続することはできない。人間は、常に他者との関係において、さらに多くの場面で、コミュティ・組織において存在している。

これが、Covid-19によって、人間活動に直接の物理的な活動が制限されることになり、交流の主要手段がICTとなった。これによって、種々の自由が制限されることになり、本来の人間活動を歪めている。

京都大学の前総長で、現総合地球環境学研究所の山極壽一所長は、以下のように述べている。(*5)

「人間が社会生活をする上で、3つの自由があると思っています。動く自由、集まる自由、語る自由です。」「人間の創造性は、異なる人たちが出会って、新しいことに気付くことによって生まれる。出会いがなければ気付きも生まれない。だから、新型コロナウイルス禍で巣ごもりをして、誰とも会わなかったら創造性はゼロになってしまう。情報には出合えるかもしれないですが。」

人間の交流が遠隔でネット経由に限定されることによって、以下の問題が生じる。場の共有は、ディスプレイの枠内だけで、風は流れない、匂いもしない。「声」は「音」となり、音は一定量以下に制御され平板になり、強弱の調子やニュアンスは失われる。

遠隔の画面は、その切り取られた見える範囲だけである。物理的にその場にいれば、自然とその周辺に何があるか、ないか、並行して何が起きているかが、そのままでも視界に入り、首を振れば周囲を確認できる。よそ見して思いがけない発見もできる、ツアーに行ってよそ見したものが想い出に残ったりする。オフィスに居れば、他人が話す声も聞く気がなくても漏れ聞こえてきて、それに反応することもできる。そしてこれで何か新しいことが起きる可能性もある。このことは、コロナ禍以前からよく言われていた。

そして何よりも、ディスプレイの中に写る映像は毎回変わっても、その外側(つまり自分の居る場所)は、いつも同じであり、書斎かせいぜいサテライトオフィスである。その結果、全ての場合で「環境」、「体験」が同じものとなってしまい、どのイベントをどのように経験したかは記憶に残らなくなる。

これらが長期化すれば、以下が生じる:

 

・「肌感覚、触れ合い、身で知る痛み」 の喪失 ⇒ 人間の創造性の阻害

・「自分で考える力」の喪失と結果としての2項対立  - on/off, yes/no以外無しで「余白と余裕」のない世界へ ⇒ 社会の創造性の阻害

 

以上、日頃気になっていることについて述べてきたが、ここ2年半の経過を振り返って、かつ第7波の到来している現在の状況において、人間と社会が将来どう変わっていくのか、先のことを見通すことは殆ど不可能と言えよう。

本稿では教育への影響の議論はしなかったが、教育への効果は30年後に現れると言われる。ここで挙げたような様々な制限・変化が、将来の人間と社会にどのようになって現れるのか、気になる兆候、キーワードについて定点観測を続けていくことは無駄ではないであろう。皆さまの議論の種となれば幸いである。

 

(*1) Wikipediaによれば、もともとは「ビジネスや経済学の分野で、2007年から2008年にかけての世界金融危機、それに続く2008年から2012年にかけてのGreat Recessionの後における金融上の状態を意味する表現」  https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュー・ノーマル

(*2)内閣府: 第4回 新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査: https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/covid/pdf/result4_covid.pdf

(*3)「アフターコロナ時代に加速する『3つのシフト』DBJの視点: https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00326/00001/

(*4)「無人レジ店舗で海外諸国が目指すもの、そして日本の行方」:https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01113/062700032/?n_cid=nbpnxt_mled_itmh

(*5)「健康社会学者の河合薫氏とニホンザルやゴリラの研究で世界的に有名な総合地球環境学研究所所長の山極壽一氏のオンライン対談 第3回https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00185/?n_cid=nbpnb_mled_mre

以上


2022.8.1会報No.104

岩槻日記(19)

当会特別顧問 石井 孝

 

「DXと内製化」

 

 最近、盛んに喧伝されているDXと、従来から言われているIT利用の相違は一口で言えば次のようになるであろう。

 製品・サービスやビジネスモデルの変革にまで踏み込むのがDXの特徴ではないかと思う。それに対してIT利用の多くは、既存プロセスの効率化や強化のためにデジタル技術を活用するものであった。

 全社の変革に踏み込むDXを推進するためには、経営トップによる明確な目的の策定と、これに対する全社的な実施体制の整備が不可欠である。

 この体制に関して現在、「DXと内製化」がクローズアップされて来ているのは当然の成り行きである。製品・サービスやビジネスモデルの変革ということは、その会社自身の大問題であり、こうした問題を社外に頼んだり、任せたりできるわけがない。自分自身で模索し解決しなければならない。これが内製化の真の意義である。

 今を去る37年前、1985年の電電公社民営化にあたり、NTTの初代社長に就いた真藤さんは、文字通りこの「DXと内製化」にチャレンジされた。

 電話を主体とした通信事業では先々、限界があると見越した真藤さんは、人員さえ整えれば、前途有望なソフトウエア産業への逸早い進出が見込めると判断され、さし向き、電話サービスに関わる商売道具すべてのソフトウエアを内製する部隊をつくることを命じ、将来に備えたのである。

 真藤さんの試みは、成功するや、に見えたのであるが、氏の止むを得ざる引退と共に、完全に挫折してしまった。

 今想えば、残念至極である。しかしながら、半世紀近くも前に、まさにDXと呼べる発想とそれに対する具体的なアプローチを試みられた、所謂「先見の明」を持たれた先人の経営感覚を色々な角度から改めて研究してみることが今や必須ではなかろうか。

 

「大変だ!」

 

 昔、通信手段が「電話」一本だった頃、何処かの電話局の交換機がダウンして、一部の地域が数時間通信不能にでもなろうものなら、マスコミなどは「急病人でも出たらどうするか」などと大騒ぎ、電電公社はたたきまくられた。

 通信事業の自由化で事業者も増え、技術開発も進み、固定電話に加え携帯電話やメールなどと言った通信手段が豊富になり、今回のような大きな事故が生じても、マスコミはとてもおとなしい。

 話は異なるが、ウクライナとロシアの問題も、色々と問題にはするものの、マスコミの取り扱いは、基本的には「他人事」である。

 これは、「大変だ!」 

 問題の本質を探り、どうすべきかを世に問うのが「社会の木鐸」の役目だろう。

 

「21世紀の世界」

 

 今回の紛争を見聞きして、ふと思い起こした事がある。

 それは30年以上も前の事になるが、経済使節団の一員として、ハンガリー、アイルランド、スペイン、キプロスなどの欧州諸国を初めて訪問した時に思った事である。

 ヨーロッパ諸国は「幾重にも重なる歴史のうねり」の中に存在するのではないかという事である。

 民族や宗教の違いなどからくる数百年の長周期に亘る国家間の因縁の流れ。

 それから、昨今においては、ECやEUなどと言った各国の共存を模索した中周期的な流れ。

 これに加えて突発的な誘因から来る各国の齟齬。

 こうした一見性質を異にする幾多の潮流の重なりの上で現実が成立しているように思えたのである。

 この点で、我が国は民族的にも地理的にもかなり特異な環境で大変穏やかに過ごして来たのではないかと思えた。

 「21世紀の世界」の大きな特徴はグローバル化であると言われる。政治・経済・軍事等全ての面で地理的有利性は無くなった。

 そしてまた、今回の紛争で分かった事は、人間の本性(強欲と残忍性)は、文明の進化によって変わる事は無いという事である。

 我が国は、「21世紀の世界」の中での生き方を、改めて抜本的に見直す必要があるのではないだろうか。

 

「みずほ銀行」

 

 今朝のフェイスブックに「みずほ銀行」のトラブルに関して、ソフト開発のベテラン技術者である堂山さんが色々と貴重な意見を述べられている。

 私が何時もこの問題について思う事は、もし彼の「真藤さん」が、みずほ銀行の頭取として乗り込んで居られたら如何されたろうかと考えてしまう。

 真藤学校の三流卒業生としては、真藤さんなら、必ずや、可成り厳しいが、真っ当で且つ先々を見通した正解を出し、それを実行するよう強く求めたと思う。

 真藤さんの思想とその行動に関しては、嘗てフェイスブックに数回に亘って投稿させて頂いた。

 真藤さんのような実業家が、昨今、一向に見当たらない。如何してしまったのだろう。

 

「デジタル田園都市構想」

 

 都市構想として、それなりに成功をおさめたものとしては、筑波の学園都市構想やインドのバンガロールなどを思い起こす。

 これらは、政府などの行政機関が主導的に実行したものではないのか。

 何か新しい試みを行おうとする場合、実施しようとする側に腹案があって、これに対する意見を求めるのが審議会である。「土光臨調」などは、その最たるものである。

 さあ、「皆さんどうしましょう」では、百花斉放・百家争鳴、さて、どうなるのだろうか。


2022.5.23会報No.103

ゼロからのソフトづくり余話(その2)

当会特別顧問 石井 孝

 

 本誌第94号に、ソフトウエア開発の経験が全くない素人集団を率いて、100%外注に頼っていた基幹のソフトウエアを内製に切替えるプロジェクト、特にIGSプロジェクトに取り組んだことを記した。IGSとは、NTTと同時に生まれた新電電会社とNTTの市内網を接続するゲートウエーのことである。今回は、その続きについて述べる。

 ソフト開発の進捗を何とかつかめるようになった頃には、周囲の予想とは反対に、IGSソフトウエアは着実に完成に近づいていった。周囲の眼も変わってきた。「もしかしたら本当にソフトウエアを作り上げるかもしれないぞ」という見方が社内外で出てきたのである。

 しかし、最後の難関が待ち受けていた。それは、IGSの正式稼働日までの残り日数である。当初予定していた時期までに完成できない可能性が大きいことが分かってきた。ここで遅れては、せっかく静かになってきたソフトウエア内製化反対派が盛り返してくる。ソフトウエア開発の遅れで交換機の設置や取り替えが進まずに新電電に影響を与えることになれば、間違いなく「NTTは営業妨害をしている」と非難を浴びることになる。

 困り果てた私は真藤社長のところへ行き、遅れの状況を説明した。「このままですと間に合いません」。真藤社長はこともなげに言った。「(遅れても)構わん。任せるから思い切りやれ。外野のことなど気にするな」。

 てっきり「遅れは許されない。メーカーの手を借りてでも期日までに仕上げろ」と言われるだろうと覚悟していた私はあっけにとられた。そして「そこまで信頼してもらっているなら、なんとしてでもやり遂げよう」と意気に感じて社長室を後にし、勇んで開発現場へ戻った。

 もっとも、ずいぶん後になって知ったことであるが、真藤社長は巨大石油タンカーの開発で総責任者を務めた経験があった。あれだけの巨大プロジェクトを陣頭指揮した人であれば、ゲートウエーの一つや二つが動かなくても平気の平左であったのだろう。つまり私を特に信頼していたわけでなく「小さいことで何をびくびくしているんだ」ということだったのだ。

 数々の苦労を経て、1987年にIGS用ソフトウエアは期限どおりに完成した。稼働直後はトラブルが起きたが、自作したソフトウエアだけに、すぐさま修正することができた。素人集団が手作りしたソフトウエアは無事デビューを飾ったのである。

 その後、中央ソフトウェアセンタは名称を変え、成長を続けた。念願であった交換機のソフトウエア完全内製化も達成した。10年後の1994年には「通信ソフトウェア本部」という一大組織になり、現場のネットワーク運用部門も含めると5000人の体制になった。

 ただし、真藤氏から再三言われながら、できなかったことがあった。それは「ソフトウエアのモジュール化」である。「xxソフトウエアを期日どおり仕上げました」と報告に行くと、いつも怒られた。「また一から作ったのだろう。ただ作ればいいというものではない。ソフトウエアを部品にしておいて再利用することを考えろ」。

 これも後から知ったのだが、モジュール化の発想もタンカーからであった。巨大タンカーは大きすぎて通常のドックでは作れない。いくつかのブロックに分割して作り、最後に組み合わせる。共通ブロックをうまく用意しておけば顧客の個別注文に素早くこたえつつ、しかもコストダウンが図れる。ソフトウエア部品化は今日においても大きな課題である。


2022.3.1会報No.102

NTT東日本の国際室活動

当会顧問

NTT東日本 国際室長

長江 靖行

 

NTT東日本 国際室の長江靖行です。この度はICT海外ボランティア会に寄稿する機会を頂き、誠にありがとうございます。本稿ではNTT東日本の国際活動の主な取り組みを紹介させて頂きます。

 

◆はじめに

 

NTT東日本は、事業構造がデジタル化・グローバル化の加速により劇的に変化する中、これまで利益成長を支えてきた基盤事業をDX等により生産性を高める取り組みを加速させつつ、地域活性化に貢献する新たな事業領域・業務分野へチャレンジし、非回線・非通信を含めた地域課題解決ソリューションの提供に取り組むことで、NTTグループ全体の持続的な成長・発展に貢献しております。

国際分野においては、1社時代から築きあげた、「海外通信キャリアや政府機関との長年のリレーション」と「地域に貢献するというDNA」をベースに、現地国パートナーと共に地域密着の課題解決を通じて共存共栄を実現する事業展開に取り組んでいます。

これまで、国内の地域通信事業で培った豊富なノウハウと優れた技術を活用し、開発途上国における電話網構築プロジェクトやネットワーク品質の向上、人材の育成、光アクセスの展開支援などに貢献してきました。

2020年6月には、ベトナムで長年培ってきたノウハウやビジネスモデルを東南アジアの国々へ展開するために、NTTイーアジアを発足(NTTベトナムからの社名変更)しました。現在は、NTTイーアジアと連携し、ベトナムを中心に更なる国際事業の推進に取り組んでいます。

 

◆ベトナムでの活動

 

NTTベトナム(現NTTイーアジア)がベトナム国営通信会社(VNPT)と締結した事業協力契約に基づき、ハノイ市北部での約24万回線の電話回線の建設および事業運営指導を1997年より実施してきました。その後2016年1月には、NTTベトナムとVNPTグループ傘下のVMG社との間で、ベトナムでの付加価値サービスの展開を目的に合弁会社(OCG)を設立しました。また2018年1月より、現地小学校での日本型ICT教育ソリューション導入に向けたトライアルを実施し、その後VNPTで商用開始しました。

現在は主に、ベトナム南部ビンズオン省のスマートシティ化の実現(①)と定型業務(BPO)やソフトウェア製造(開発)をベトナムで受入れるオフショア開発(②)に取り組んでいます。

 

①【ビンズオン省のスマートシティ化の実現】

ビンズオン省の公営デベロッパーBECAMEX社の子会社であるVNTT社との間で、同省のスマートシティ化の早期実現に向けた事業協力契約を締結し、ICTインフラ整備事業を実施しています。NTTイーアジア社員が現地に駐在し、VNTTと一体となって、高品質な光回線サービスの提供や加入者の獲得に取り組んでいます。光回線の設備構築/開通工事/運用保守やマネージドWi-Fi提供に関する技術指導、営業力強化に向けたアドバイス等の現地活動に加えて、日本での設備点検や改修等に関する研修等を通じて、NTT東日本の経験やノウハウの移転を行っています。

 今後は、ICTインフラのみならず、VNTT社を通じたNTT東日本やグループ会社などの強みを生かした同省でのDX事業の展開にも取り組んでいきます。

 

②【オフショア開発】

長年にわたるベトナムでの事業で得たノウハウを活用し、NTTイーアジアにてオフショア開発に取り組んでいます。NTTイーアジアをベトナムでのソフトウェア製造拠点とし、NTT東日本およびグループの開発業務や定型業務をアウトソースすることによる、ソフトウェア製造のコストダウンとスピードアップの実現を目指します。また、非通信分野事業への多角化を実現するNTT東日本グループ会社における、迅速かつ低コストのサービス開発にも貢献していきます。2021年12月にはOCGにて人工知能(AI)学習のためのアノテーションサービスを開始し、今後も開発体制を充実させながらオフショア事業を推進して参ります。

 

◆インドネシアでの活動

 

民間資本活用による中部ジャワ地域電話網増設事業のため、1995年に現地企業などとの合弁会社PT MGTI社を設立しました。PT MGTI社は、インドネシアPTテレコム社と共同事業運営のための契約を締結し、約35万回線の電話網設備建設を完了しました。同国におけるこれまでの実績、人脈を利用して、幹部交流、研修員の受け入れ、光アクセスの展開支援などを通じ、インドネシアPTテレコム社とのパートナーシップを継続してきました。2016年には光アクセスの開通工事のコンサルティング、2018年には運用保守のコンサルティングを実施しました。

現在は、コンサルティング活動で提案してきたワークフロー含めた開通工事手法や故障修理手法をインドネシア全国のラインマンセンターに展開する研修を企画・実施しており、今後もインドネシアの光化推進に貢献していきます。

 

◆ブータンでの活動

 

2018年11月より、JICA(独立行政法人国際協力機構)の技術協力プロジェクト、ブータン国「災害対策強化に向けた通信BCP策定プロジェクト」を実施してきました。NTT東日本グループの各組織と連携し、NTT東日本が培ってきた災害対策の経験とノウハウを活かして、ブータンテレコムに対するBCP策定・運用の技術移転を実施しました。なお、本プロジェクトは、NTT東日本とジャパンリーコム社との共同で実施、2022年1月に全行程を完了し、現在はブータンテレコム自身がBCPを運用しています。本プロジェクトはJICAから高い評価を受け、ジャパンリーコムの山口順也さんはJICA理事長賞を受賞され、弊社のプロジェクトメンバーの峯村貴江は日本ITU協会国際協力奨励賞を受賞いたしました。そして2018年11月~2020年6月迄、東日本大震災を含む災害対策経験等を活かし弊社のプロジェクトマネージャとして本プロジェクトを推進された志鎌昌宏さん(現 株式会社ミライト東北支店)に改めて感謝申し上げます。

また、本活動期間中にブータンテレコム幹部とNTT東日本幹部との交流が深まり、2020年7月27日、ICT分野における技術交流・人材交流(ブータンテレコム社員のインターンシップ受入れやNTT東日本グループ社員の現地派遣含めたベンチマーク活動など)を通じたBTとの関係強化と事業の発展を目的とした覚書を締結しました。

(参考:2022年1月31日付け「通信興業新聞」に関連記事記載あり)

 

◆台湾での活動

 

台湾中華電信と「NTT持株とNTT西日本とNTT東日本」で、サイバーセキュリティに関する技術交流を行いNTTグループの技術力向上を図っています。

またNTT東日本では、アクセス系設備の保守運用や災害対策分野に関する技術交流を通じて良好な関係を維持しております。

 

◆おわりに

 

このように、NTT東日本では自社の経験・ノウハウと現地パートナーとのリレーションを活用した様々な国際活動を行っています。今後も、ベトナムでのスマートシティ化やオフショア開発の事業を拡大すると共に、東南アジアを中心に国際活動を推進し、NTT東日本の事業への貢献とSDGsを意識した社会への貢献の両輪で取り組んでいきます。


2022.3.1会報No.102

岩槻日記(18)

当会特別顧問 石井 孝

 

「ソフトウエア雑感」(妄想)

 

 現役を退いてから25年、現役当時色々とお世話になったソフトウエアに関わる大家の方々とズームで久しぶりに雑談を交わす機会を得た。

 大分ボケてしまって、皆さんには甚だ迷惑であったと思うが、私自身は大変勉強になり且つ面白かった。

 最近、みずほ銀行など各所で事業運営そのものに関わるソフトウエアシステムのトラブルが社会問題化している。

 ソフトウエア工学的に観ると、現行のビジネス用のソフトウエアシステムは、事業運営機能の何もかもを一括してソフトウエア化してしまっているきらいがあるので、極めて膨大な密結合のソフトウエアシステムになって居る。

 このため、ビジネス機能の追加や変更のため、何かちょっとしたプログラムシステムに手を加えた時、そこにミスがあると全体に波及してシステムダウンを起こしてしまう。

 現在世の中を席巻している、こうした所謂レガシーシステムの行き詰まりを打開しないと21世紀に生き残れないと警告しているが、その一つに経産省レポート「2025の崖」がある。

 このレポートの中に色々と問題点が指摘されているが、これらをどう解決したらいいかについての具体的施策に関してはあまり明確でない。

 コンピューター・システムに完全依存する今日の社会システムに於いて、堅固で且つフレキシブルなソフトウエアシステムに創り直すという、一種のソフトウエアシステムに対するパラダイムシフトは、差し迫った課題なのである。

 ここで思い起こすのは、真藤(恒)さんの造船改革(パラダイムシフト)である。私は、造船工学は専門でないので詳しいことは省くが、真藤さんは先ず、船自体の形を抜本的に変え、「真藤船型」なる輸送効率の極めて高い船型を創造した。

 そして、その製造に当たっては、製造工程を機能単位としたモジュールをつくり、これらを組立てると言う作業上安全で且つ効率的な方式に改革したのである。

 真藤さんは後にNTTの初代社長に就任されたが、NTT内における商売用のソフトウエアすべてを内製化する新しい組織を創り、其処で、既存のソフトウエアシステムすべてをモジュール化し、これらを組立てる方式に組み直すよう指示された。

 所がソフトウエアのみのモジュール化では、造船の場合のハードのモジュール化のような組立方式によるメリットが出ず、巧く行かなかった。

 当時に比べると現在、マイクロプロセッサーやメモリーの技術は格段に進歩して居る。

 ソフトウエアの単なるモジュール化でなく、まとまった具体機能を単位にモジュールにして、これをマイクロプロセッサーに組み込み(ハードウエア化)、これらを電気的結合のかたちで全体を構成出来ないものであろうか。

 これが出来れば、密結合されたソフトウエアによる大規模システムの問題は解消出来るはずである。

 真藤さんがご存命であれば、必ずや、こうしたかたちのモジュール化のご下命があり、ソフトウエアシステムのパラダイムシフトに再チャレンジされたに違いない。

 今回の会合は、しばらくぶりに色々と物事を考えさせられる楽しい時間であった。

 

「嬉しいニュース」

 

 今朝一番で、私にとっては「嬉しいニュース」が飛び込んで来た。かつての仕事仲間M氏(旧姓)の常務昇進である。

 M氏は高校卒業後、電電公社に入社し、線路マンと言って、電柱を建て、そこに電線を張るような仕事をして居た。

 しかし、先々を考えるとコンピューターやソフトウエアと言った関係の仕事をしてみたいと、常々思っていたそうである。

 そこへ、民営化を契機にNTTは、ソフトウエアなどに就いてはずぶの素人を集め、ソフトウエア開発をゼロからはじめる組織を創るという話を聞き込み、M氏は早速、応募したのである。

 話が長くなるので、細かいところは省略するが、M氏達は文字通り昼夜を問わない努力の末、当時としては画期的なデジタルPBXのソフトウエアシステムを完成させたのである。

 その後、この組織も私が辞めると、内製によるソフトウエア開発の火は消え、M氏は、暫く不満を漏らしていたが、遂に意を決し、NTTを辞め大手ソフトハウス数社の中途採用試験に応募した。

 さすがに彼の実力を持ってすれば、全ての会社に合格し、各社から手厚い招聘を受けたようであるが、氏はその中のC社を選んだ。

 C社も色々と平坦な道のりではなかったようであるが、M氏はT自動車との仕事に全力投球し、この成果が認められ、還暦を迎えた今日、常務昇進を請われたそうである。

 今、還暦と言えば若い、健康に留意し、益々頑張って欲しいものである。おめでとう!

 

「有難う御座いました」

 

 沢山の皆様から誕生日祝いのメッセージを頂き、厚く御礼申し上げます。

 カレンダーをめくり、あと一枚になりますと私の誕生日です。昔は、「来年こそは」、などと思いましたが、近頃は、「もう一年か、速いな」と、何か物寂しい気分になります。

 そんな時に、こうした温かいメッセージを頂戴しますと、とても嬉しくなります。

 本当に有難う御座いました。

 さて、全く偶然ですが、今回の誕生日直前に同年の畏友Mさんから自分史が送られてきました。

 Mさんの自分史は、在り来たりの思い出話ではなく透徹した人生観で、これを読んで居ると、今までぼんやりと迎え来た誕生日でしたが、先の短い年寄りの誕生日というものをつくづく考えさせられてしまいました。

 それは、何気なく時々襲ってくる「心のすき間」(無為無聊)の問題です。

 若い頃は、毎日仕事に急かされ、先々にもそれなりの希望があり、心の中にすき間のようなものをあまり感じ無かったのですが、この頃はすき間だらけで、ただ漫然と生きているのではないかと反省させられたのです。

 すき間を如何うめるか、年寄りの生きがいとは何なのか、これは結構難しい問題です。


2021.12.5会報No.101

NTT西日本 国際室の活動

当会顧問

NTT西日本 技術革新部 技術戦略部門

国際室長 本山 智祥

 

ICT海外ボランティア会の皆様、NTT西日本 国際室の本山智祥です。この度、会報へ寄稿する機会を頂き、誠にありがとうございます。NTT西日本 国際室の活動をご紹介させて頂きます。

 

はじめに

 

NTT西日本グループは、社会を取り巻く環境変化がもたらす様々な課題に対し、ICTを活用して解決する先駆者として、社会の発展や持続的成長(SDGs)に貢献し、地域から愛され、信頼される企業に変革し続ける「ソーシャルICTパイオニア」を目指しております。

 私たちを取り巻く社会においては、「地域格差の是正」や「社会インフラ維持」、「少子高齢化に伴う労働人口減少への対処」など、さまざまな社会課題が顕在化しています。また、新型コロナウィルス感染症の拡大により、世の中の常識や価値観が大きく変わってきたと感じています。

そうした社会変容の中、多様化・高度化するお客さまの要望・課題に対し、より広い視座のもと、既存の発想にとらわれず、社内外の様々な方々とのイノベーティブなチャレンジや共創を通じて、社会課題の解決に貢献していく必要があると考えています。

 

キャリアとの活動

 

NTT西日本では、2018年から韓国の大手通信会社であるLG Uplus社とつくばフォーラムやマイスターズカップといったイベントの視察、FTTHに関連する各種情報交流や両社の設備視察などの交流を行って参りました。

2019年に提供したFTTH業務改善研修に続き、コンタクトセンタ運営研修を提供すべく、課題のヒアリングやワークショップでの議論、弊社多言語センタの視察など、準備を進めておりましたが、新型コロナウィルスの感染拡大により、本研修の提供については、一旦保留としております。

現在は、オンラインでのイベント視察後に意見交換やディスカッションを行うなどの工夫をしつつ、これまでのFTTHに関連する情報交流に加え、各種産業分野での社会課題解決ソリューションに関する情報交流を行い、更にリレーションを深めています。今後は、そうした分野でのビジネス連携など、期待されるところです。

 

新領域ビジネス

 

 NTT西日本では、FTTHサービスに関連した取り組みに加え、グループ会社による海外展開や海外の技術を取り入れたサービス展開にも取り組んでいます。

NTTソルマーレ社ではグローバルに拡大するスマートフォンアプリ市場においてゲーム事業を展開し、ジャパン・インフラ・ウェイマーク社ではNTT西日本グループで培ったインフラ点検ノウハウを強みとして、老朽化が進む日本全国のインフラ点検・保守業務の効率化という社会課題に取り組んでいます。また、2020年4月には、朝日放送グループホールディングス株式会社との共同出資で、スポーツ映像配信分野における新会社「株式会社NTT Sportict」を設立いたしました。

NTT Sportict社では、イスラエルのPixellot.ltdが開発したAIによる自動撮影や編集機能を備えた高解像度で撮影が可能な無人撮影カメラシステムを使い、スポーツ観戦×ICTで新たなスポーツ観戦体験を提供し、各地域で行われるスポーツ大会の魅力を世界に発信することで地方創生への貢献を目指しています。

 

国際協力活動

 

 NTT西日本では、これまで各国の情報通信分野の発展に貢献するため、研修生を受け入れ、技術研修を行っています。2016年より継続して、APT(Asia-Pacific Telecommunity)より、アジア太平洋地域からの研修生を受け入れていましたが、2020年については、新型コロナウィルス感染症対策のため、来日ではなく、Webでの技術研修を実施いたしました。

 タイ、ブータン、マレーシア、ミャンマー、モルディブの5ヵ国から、通信ネットワークオペレータや監督官庁職員など9名が参加し、最新の設備構築や保守運用業務、AI ・IoTを用いたDX推進に関する取り組みなどを広く学んで頂きました。

質疑では、各国の受講生とオンラインでのコミュニケーションのみならず、チャットも活用し、設備・ケーブル等の浸水対策や安全の取り組み状況、AIやIoTの活用が期待される社会課題などに関する質問が投げかけられるなど、活発な意見交換が行われました。

 

人材育成

 

 NTT西日本では、業務の専門性とグローバルスタンダードなスキルを合わせ持ち、国内外問わずビジネスを遂行し、競争力を確保した価値を生み出すことが出来る人材を育成するため、毎年、グローバル人材育成研修を行っています。本研修は2011年から、集合形式で行って参りましたが、今年からは、集合形式と同等もしくはそれ以上の品質・効果を狙い、オンライン形式への変更およびカリキュラムの刷新を行いました。

本研修をオンラインで実施するのは、今年が初めてであったため、研修終了後に効果測定を行う予定ですが、関西エリア以外の社員も受講しやすくなり、オンラインでの会議や商談でのコミュニケーションについても学べるなど、メリットも多くあるなと感じています。

 

最後に

 

 新型コロナウィルス感染症の世界的流行は、個人や社会、経済に大きな被害をもたらしました。我々の身近な所でも生活や仕事、お客様との関り方など大きく変化してきています。一方で、世界が抱える課題や今後のあるべき姿についても再考する良いきっかけになったのも事実ではないでしょうか。「ソーシャルICTパイオニア」として、社会課題解決に貢献する事はもちろんのこと、個々人のWell-beingが実現・連鎖する社会の構築にも寄与できる企業でありたいと思っております。

 まだまだ世界的には、パンデミックの状況ではありますが、一日も早い終息を祈念いたしますと共に皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

 

2021.12.5会報No.101

岩槻日記(17)

当会特別顧問 石井 孝

「転勤」

 ネット上のニュースを観ていたら、わが古巣の社長がリモートワークをフル活用して転勤を無くす。単身赴任などといった不便な昭和の遺物を解消する、といった趣旨の発言したようである。

 かく言う小生も幾度となく転勤し、その中には単身赴任も経験した。

 確かに、転勤は動くこと自体が厄介である上に、その土地の風土や変わった職場に慣れるには結構苦労する。

 しかし振り返ってみると、そう言った経験が人生に幅と深みをもたらしたのではないかと思っている。

 退職した現在でも、各地の友人から土地土地の名産を送ってもらったり、懐かしい便りが来たりすると、何とも心が温かくなる。

 勿論それだけではない。転勤の経験から日本という国の幅広さと奥深さを身をもって知った事は、仕事の上でどれ程役に立った事であろうか。

 この辺りの事は、海外への転勤にも全く同じ事がいえる。旅行で感じる外国はほんの上っ面に過ぎない、それは仮面かも知れない。其処に住み、そこで厄介な仕事で苦労して漸くその国の何たるかを漸く嗅ぎつけるのである。

 最近の若い人達は転勤を嫌がる傾向がると仄聞するが、日本のような資源の乏しい国が生き残りをかけるためには、億劫がらず、兎に角、動き回る癖をつけることが、必須ではないかと思うのであるが。これは古臭い昭和人間の妄念なのであろうか。

 

「NTTドコモ、グループ企業のコムウェアを子会社化」

 情報通信網の重心が端末に移った現在、ネットワークを強化する上で、当然の帰結であろう。

 30数年前、コムウェアの前身である通信ソフト本部は、当時ネットワーク機能の開発や異常障害時の対応をメーカー依存していたものを完全に内製化し、ネットワークのハンドリングを完全に自家薬籠中の物にした実績を持っている。

 今回、ドコモは大きなトラブルを起こし、世間を騒がせたが、先ずは早急に、嘗て通信ソフト本部が手掛けたような措置をネットワークに施し、世間に誇れる強靭なネットワークを創って欲しい。

 

「痴人の愛」

 エンタメ小説の時代物だけでは、すっかり、馬鹿なボケ老人になってしまうのではないかと恐れ、文豪と尊称される谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読んでみた。

 何故「痴人の愛」かと云うと、偶々NHKラジオの朗読の時間で「痴人の愛」の一部を聴き、何か面白そうに思えたからである。

 いざ読んでみると、うんざりするぐらい辟易する。しかし、何か惹かれるところがあり、止められない。

 馬鹿馬鹿しくなる怖ろしい話である。まさに、「痴人の愛」である。

 文学作品とはこういうモノなのだろうか。

 

再び「谷崎潤一郎」

 先般の「痴人の愛」で、かなりうんざりしたが、不思議と後を引くので、「刺青」「秘密」「春琴抄」と続け様に読んでみた。

 中身は、何れも「痴人の愛」と同質と云うか、あと味は似たり寄ったりである。

 しかし、心理描写の鋭さと言おうか、作家としての感性と文章力・表現力はもの凄い。特に「春琴抄」は。文豪の文豪たる所以かも知れない。

 如何も、私にはエンタメ時代小説が似つかわしいようだ。

 

「金色の死」

 谷崎潤一郎の小説に表題の「金色の死」と云う異色とも思われるモノがある。

 谷崎はこの自分が書いた小説を忌み嫌い、自作の全集に載せる事を決して行わなかったようであるが、三島由紀夫が選んだ谷崎全集には「金色の死」を乗せ、巻末の解説で、この作品を高く評価して居る。

 私のような文学的センスに欠ける者にはよく解らないが、「金色の死」は、谷崎の芸術論で「芸術とは人間の感性に訴えるモノで、理性に訴える科学(自然・社会)とは本質的に異なると言って居るのではないかと、単純に思った。

 だから、谷崎は「何を今更、青臭い事を書き並べたか」と想って居たのではないか、と感じたのであるが、諸賢のご意見をお教え頂きたい。

 

「小説の神様」

 文豪、谷崎潤一郎に続き、「小説の神様」志賀直哉の「暗夜行路」に挑んでみた。

 残念ながら、つくづく、自分には文学的才能が劣るのではないかと思えてならない。「小説の神様」が長年かけて書き上げた唯一の長編小説だと云うのに、正直の処、全体的には退屈であまり面白いとは思えなかった。

 しかし、随所の情景描写や心理描写に対し、何か突き刺すような不思議な感動を覚える真に迫った記述があり、ついつい、一気に読んでしまった。

 また、余計な事かも知れないが、小説の中の話とはいえ、全くお金に不自由する事の無いお坊ちゃまが、気儘に遊び惚けながら小説を書く。全く良いご身分だなと思った。

 貧乏育ちで、職を得てからは夢中で働いて来た我が身を振り返ると、負け惜しみではないが、小説を読みながら、寧ろ、こちらの方が余程、幸せではなかったかと思ってしまうのである。

 まあ、それにしても「暗夜行路」とは、よくぞ命名したものである。

 

「夜の橋」

 谷崎潤一郎、志賀直哉と文学作品と称される小説を読み、些か重たい気分に落ち込んだ。

 鈴木英治のエンタメ時代小説で口直しを試みた。とても面白かったが、もう一つ飽き足りない。

 偶々、手元にあった藤沢周平の短編集「夜の橋」を読んでみた。藤沢周平の世界は、年を取って心が乾いて来たせいかもしれないが、ぐっと胸にしみるモノがある。


2021.10.1会報No.100

脳のお手入れとトリセツ

当会特別顧問 宮村 智  

(元駐ケニア日本国特命全権大使)

はじめに)

 

当会の会報が、本号で100号を数えることとなった。最初に、記念すべき100号の発行を皆様と共にお祝いし、石井特別顧問、加藤前事務局長、山川現事務局長を始めとするコア・メンバーの方々による当会の創設と発展に向けた長年のご尽力に心から敬意を表したい。当会HPのご挨拶に記したように、私は当会の活動を着実に継続して、未来に繋いでいくことが極めて重要であると考えている。その意味では、100号も通過点に過ぎないともいえる。そう思って、特別寄稿のテーマを自然体で選び、近頃、最も気になっている脳の話にした。100号に相応しくないかもしれないが、どうかご理解を賜りたい。

 

さて、私は本年11月にとうとう後期高齢者入りすることになった。そのためか、最近、自分の脳が今後とも正常に機能してくれるかどうか、気になり始めた。何が何でも長生きをしたいとは思わないが、生きている限りは健康で健全な脳を維持したい。そして、元気に楽しく老後の日々を送り、認知症などで家族や友人に迷惑を掛けたくないと願うからである。他方で、私は、身体については、毎日、ストレッチ・筋トレ・散歩等を欠かさず、それなりに鍛えているものの、脳については特に何の手入れもしていない。果たして、それで良いのか。そんな疑念を抱きつつ、脳に関する本を何冊か読んでみた。そして、自分なりに理解した脳の手入れと取扱い説明書(トリセツ)を取りまとめ、高齢となって、同様の疑念を抱いておられる多くの皆様の参考に供することにした。

 

1.脳とは何か

 

脳は全身の様々な器官をはじめ、運動・五感・感情・記憶・思考・言語を管理し、コントロールしている人間の生命活動全般の司令塔である。脳内には固有の役割を有する多くの部位があり、神経細胞でつながっている。神経細胞は細胞体と沢山の突起からなり、神経細胞同士で電子信号や神経伝達物質を出して情報をやり取りして、脳を動かしている。

脳には約1000億個の神経細胞があり、神経細胞同士がつながっている場所の数は1000兆にものぼる。神経細胞の細胞体・突起をすべてつなげると、その長さは地球25周に相当する100万キロにも達する。ヒトの脳の中には、まるで1000億個の星が輝き、それらの星がつながっている壮大な宇宙が広がっているようだ。後ほど、記憶について触れるが、脳全体の記憶容量は約1ペタバイト。これは書類を目いっぱい収納した4段式キャビネットの2000万個分の文字情報で、図書館1館相当分にもなる。こうしたヒトの脳の凄さに敬意を表して、表題では「手入れ」ではなく、「お手入れ」と尊敬の接頭語を付すことにした。なお、脳は未だに解明できていない多くの謎を抱えた器官でもある。例えば、「物質にすぎない脳にいかにして意識や心が宿るか」は現代科学の最大の謎の一つである。

 

2.脳の健康を維持するためのお手入れ

 

最初に、脳の健康維持に不可欠である食生活・睡眠・病気予防について調べてみた。実は、適度な運動も脳の健康維持に重要であるが、皆様は既に実行済と想定し、省略した。

 

1)バランスの取れた食生活

脳の重さは約1400gで体重の2%しかないが、脳はヒトが摂取する全エネルギーの20~25%を消費している。脳に必要な栄養素としては、まず、脳の活動に不可欠なエネルギー源であるブドウ糖が挙げられる。ブドウ糖はブドウ・バナナなどの果実や蜂蜜に多く含まれるほか、ラムネ・ブドウ糖タブレット等で補給できる。また、お米やパンなどに含まれる澱粉からも作られる。その他、脳に良いとされる栄養素としては、DHA(オメガ3)、必須アミノ酸チロシン、同トリプトファン、ポリフェノール、ビタミンB₆などが挙げられる。それぞれの栄養素の効能とそうした栄養素が含まれる食品やサプリメントは、本やネットで調べれば容易に分かる(例えば、最後の参考文献 ①「脳の話」p53)。もし、特定の栄養素の不足が気になるなら、専門医に訊くなり、自分で調べるなりして、補給すればよい。ただ、一般的には、無理なダイェットなどは行わず、好き嫌いの無いバランスの取れた食生活を続けていれば、脳に必要な栄養は十分に摂取できるようである。

 

2)適切な睡眠の確保

睡眠は起きている間に精神活動や運動制御のために絶え間なく働いている大脳の休息時間である。望ましい睡眠時間は個人差があるものの、多すぎても少なすぎても脳には不適切で、多くの統計的なデータによれば、健康で最も長生きできる最適な時間は6~7時間のようである。その6~7時間の睡眠を夜は遅くとも12時までに入眠、朝は6時頃起床という形で取るのが、体内時計のリズムに合った適切な睡眠の確保になる。

脳は睡眠中に完全に休むわけではなく、生命維持活動を司る脳幹は勿論、大脳の一部も働き続け、昼間とは違ったモードで活動する。睡眠中の活動モードは2種類ある。一つはノンレム睡眠で、この時は大脳の活動が殆ど停止し、大脳は溜まった疲れを取る。他の一つはレム(REM:Rapid Eye Movement)睡眠で、体が眠っていながらも、眼球や脳が活発に動く浅い眠りで、レム睡眠中に日中に体験した記憶の整理や、必要な記憶の定着が行われるようである。いずれにせよ、大脳の疲れが取れ、前日の記憶の整理や定着が済むような質の高い睡眠を取り、毎朝、気持ち良く起床することは脳の健康にとって重要である。

なお、昼間でも昼食後などは眠気を感じがちだが、そんな時に15分~25分間の短時間の仮眠を取ることは、疲労を回復させ、気分をリフレッシュする効果がある。

 

3)脳の病気の予防

脳の病気は多種多様であり、その予防法は一部を除き、殆ど確立されていないようである。そうした状況なので、素人の私がにわか勉強で軽々しくコメントするのは不適切で危険でもあるので、心配があれば、早めに医師にご相談するようにお勧めするに留めたい。

病気ではないものの、調べて気になったのは「加齢に伴う脳の萎縮」である。ヒトの脳は20歳頃にほぼ完成し、30歳代位から少しずつ脳の萎縮が始まり、65歳位では明らかな萎縮が見られるようだ。萎縮の主な原因は毎日10万個もの神経細胞が脱落するためだが、神経細脳には強い代償能力があって、残った神経細胞が代わりを担うので、脳の機能は失われにくい。ただ、萎縮は脳機能を低下させ、様々な障害を引き起こす恐れもある。脳の萎縮は、加齢のほか、飲酒・喫煙によって進行する一方で、有酸素運動や脳を使うことによる脳内の血流の活性化は萎縮の進行を防ぐ効果があるようなので、参考にしてほしい。

 

以上、脳の健康を維持するためのお手入れについて、私なりに調べて分かったことは、通常は、脳には特別な手入れは必要なく、バランスの取れた食生活・適切な睡眠の確保・脳の病気への適切な配慮に心掛け、規則的な生活を送っていれば大きな問題はないようである。勿論、専門家である医師の特別なアドバイスがあれば、それに従うべきであろう。

 

3.脳を活性化し、若さを保つためのトリセツ

 

脳の健康を維持するだけでなく、もっと積極的かつ前向きに脳を活性化し、若さを保つには、どうすればよいか。効果を期待できそうなメニューをいくつか紹介したい。

 

1)何か新しいことや難しいことに目標を設けて挑戦してみる。この対象は学習・仕事・ゲーム・スポーツなど何でもよい。挑戦の期間も短くても、長くてもよい。練習や努力の結果、目標をクリアできると、神経伝達物質のドーパミンが中脳から放出されて、大きな喜びや快感を得られ、一層やる気や意欲が向上して、心身とも若返ったと感じられる。

 

2)コロナ終息後となろうが、これまで行ったことがない土地に旅行に出掛ける。旅先での新しいものとの出会いは、脳の好奇心を活性化させ、ドーパミンを大量に分泌させる。

 

3)意欲的に良い本を読み、美しい絵画や感動する映画・演劇などを鑑賞する。脳は間接的な体験であっても、新しい出会い、美しいもの、感動するものと接すると喜びを感じて、活性化する。

 

4)ゲームや脳トレを楽しむ。ゲームは囲碁・将棋・麻雀・ブリッジ・スポーツなど何でもよい。脳トレも近年流行りのナンプレ・数字の逆唱・計算・思考力テスト・クイズなど何でもよい。これらを楽しみながらやっていると脳は喜び、活性化する。

 

5)積極的に他人と交流する。人間は社会的動物であり、他人との交流が脳を刺激し、若さを保つ効果がある。コロナで同窓会や仲間との飲み会は開催が困難になっているが、オンラインによる交流や少人数のゴルフなどは可能である。いろいろと工夫をしながら、脳の活性化に役立つ他人との交流の機会を維持していきたい。

 

上記のメニューを全てこなす必要は無いものの、独りで家に閉じこもって、ぼーっとしているだけ、もしくは、受け身的にテレビを観ているだけだと、脳は錆び付いて、退化する。トリセツの要点は、とにかく脳を使って・できれば外で・できれば友人等と一緒に・何か楽しいことに興じることである。そうすれば、脳は活性化し、若返るだろう。

 

4.記憶力を維持・強化するためのトリセツ

 

年を取ると記憶力が衰えたと自覚させられることが少なくない。新しいことはなかなか覚えられないし、覚えていた筈のことが思い出せない。こうした加齢に伴う記憶力の衰えに対処するトリセツを考えてみたい。

右図(省略)のとおり、記憶にも様々な種類があり、記憶力の衰えが特に問題とならない記憶もある。例えば、出前を注文する時の電話番号のような何かの作業をするための短期記憶は、作業が済めば忘れても問題がない。また、自転車の乗り方や泳ぎ方のように身体で覚えた記憶(手続き記憶)も、一度覚えると何年たっても忘れないので問題ではない。

残る記憶は、思い出や知識といった言葉や図で表現することのできる陳述記憶である。陳述記憶は、さらにエピソード記憶と意味記憶に分かれる。エピソード記憶は、実際に体験した出来事の記憶で、覚えようとしなくても自然に覚えるし、自らの感情・感覚・イメージなどが伴った記憶なので、忘れにくく、長く記憶として残りやすい。他方、意味記憶は、言葉の意味・数式・人や物の名前など一般的な知識に関する記憶で、学習やその他の努力で覚えたものである。この意味記憶は覚えにくい上に、非常に忘れやすいという特徴があり、その傾向は加齢とともに強くなる。

こうした意味記憶の困った特徴に対処する第1のトリセツは、 意味記憶を長く記憶に残りやすいエピソード記憶に変換して覚えるテクニックである。人の名前なら、例えば、色が黒いから黒田さんとか、頭が山型だから山野さんのように、その人のイメージと結び付けて覚える。さらには、五感も総動員して、会った時の感想を口に出し、似顔絵も描いて覚える。教科書を覚える時は、視覚だけで黙読しないで、音読して、聴覚も同時に使う。音読しながら、紙に書き写して、触覚も動員して覚えるなどである。

第2のトリセツは、復習して、記憶の定着率を上げることである。ある実験では、一度学習しただけの場合と、学習した後に3回復習した場合では、記憶の定着率が3~4倍も違うという結果が出ている。授業や講演などで習ったことの復習は勿論重要であるし、出会った人の名前と顔を忘れないために、復習を兼ねて名刺を整理するのも有効であろう。

忘れやすい意味記憶でも、エピソード記憶に変換したり、記憶の復習を繰り返していると、短期記憶から長期記憶へ、さらには記憶の場所が海馬から大脳皮質へと移動し、記憶がしっかりと定着する。覚えるべき事があれば、このトリセツを活用してみればどうか。

 

5.アイデア力を伸ばすためのトリセツ

 

年を取っても、後輩から仕事上のアドバイスを求められた際や仲間との私的な打合せの場で、面白いアイデアを出せば、評価され歓迎される。頭が柔軟な若い頃と違って、もはや斬新なアイデアが浮かばないと諦めがちだが、実はアイデア力は年を取っても、伸ばすことができる。その理由とアイデア力を生み出すためのトリセツを記してみたい。

新しいアイデアがひらめいたとよく言うが、実は「無から有を生み出すような全く新しいアイデア」なんて、この世に存在する可能性は殆どない。なぜなら、世界の総人口は先祖も含めれば何百億人にもなるのに、その中の誰も思い付いていないアイデアなど無くて当然だからである。従って、周りの人々が評価するようなアイデアは、人より半歩先を行く程度の新しいアイデアが相応しいと言える。では、そうしたアイデアを生み出すには、どうすればよいか。そのための基本的なトリセツは、過去から良いアイデアを拾ってきて、現在の問題に応用することである。そうした過去のアイデアは、書物・ネット情報・テレビ番組・その分野の先人が作成した論文や作品などから集めることができる。歴史小説は、過去の素晴らしいアイデアの宝庫とも言われる。

ここからは脳の働きになるが、こうして集められた過去のデータは脳の側頭葉に蓄積される。そして、アイデアが必要となり、ヒトが頭を絞り始めると、脳の前頭葉は側頭葉に「こういうものが欲しい」というリクエストを送る。リクエストを受け取った側頭葉は蓄積している膨大な記憶情報をさまざまに組み合せて編集し、イメージにいちばん近いアイデアを前頭葉に送り届ける。送られてきたアイデアが素晴らしいものならば、前頭葉では喜びが爆発して、ドーパミンが放出される。これが、ひらめきが生れるプロセスである。

そういうことなら、新しいアイデアが生まれるかどうかは、側頭葉の働き次第ではないかと言われそうだが、それだけではない。なぜなら、訓練によって、側頭葉が新しいアイデアを生み出す可能性を高められるからである。例えば、おもちゃメーカーの新入社員にアイデア出しをやらせると、はじめは一日中考えても1個も出せなかったのに、しばらくすると30も40も出せるようになってくるという。トリセツ的に言えば、問題を本当に真剣に考えて、脳をフル回転させ、脳が活性化する状態を作り出す訓練を繰り返すとひらめきのクセをつけられる。また、最近の研究では、脳には「ひらめきの回路」とよべる前頭葉と側頭連合野を結びつける神経細胞のネットワークがあり、このひらめきの回路を繰り返し使えば、ひらめきの頻度が上がってくることも分かってきた。想像するに、プロのデザイナー、画家、お笑い芸人などは、それぞれの分野の過去の知識・データの膨大なストックを有している上に、ひらめきの回路を脳内に築いているのだろう。

要するに、高齢者は側頭葉に沢山の過去のデータを蓄積しているのでアイデア作りに有利であるが、さらにトリセツに記したようなアイデアがひらめくクセをつける訓練をすれば、十分にアイデア力を伸ばして、周りの人々に評価・歓迎されることとなろう。

 

おわりに)

 

「新しいことや難しいことへの挑戦は脳を活性化し、若返らせるために有益である」という勧めに惹かれて、全くの門外漢であるにも拘らず、「脳」をテーマに選んで、拙文を披露することになった。汗顔の至りであるが、少しでもご参考になれば、幸いである。

個人的には、脳の勉強の過程で、「脳は生きている限り、何歳になっても学び続けることができる。そして、そのように作られている」という説明を知って、大いに勇気づけられた。冒頭に記したように、「生きている限りは健康で健全な脳を維持し、認知症などで家族や友人に迷惑を掛けない」ことを目標に、後期高齢者になっても、楽しく、元気で毎日を送りたいと願っている。(了)

 

【参考文献】①「脳の話」茂木健一郎著、②「最強に面白い!! 脳」久保健一郎監修、③「あなたの脳のしつけ方」中野信子著、④「記憶をあやつる」井ノ口馨著、⑤「脳を司る『脳』」毛内拡著、⑥インターネット検索で入手した様々な文献や情報など。


2021.10.1会報No.100

岩槻日記(16)

当会特別顧問 石井 孝

「最近想う事」

 

 我々が勤めを始めた頃を想うと、電電公社は、自己の礎を築くため大層R&Dに力を入れて居た。技術をベースにした電気通信事業にとって、これは至極当然な事であった。

 所がどうであろう、昨今、このR&Dという言葉が、我が古巣からも一向に聞こえて来なくなったような気がしてならない。

 嘗てのR&Dの主たる目的は、ハードウェアを軸にした機器や装置の技術革新を事業経営に取り込むことであった。

 社会システムが高度化・複雑化の道を急速に辿る今日、単なる機器や装置の技術革新だけでは事足らなくなった。社会システム全体の高度化・合理化する術として、優れた機器等(ハードウェア)を有機的に連結した総合的な仕掛け(システム)を創る必要性に迫られている。

 見方を変えると、今世紀は従来の「もの造り」から「システム創り」へ進展する秋と言えよう。「製造」主義から広義の「設計」主義への転換である。

「設計」とは考案を具現化するモノで、それはソフトウェアに他ならない。

 21世紀の技術は、まさに、ソフトウエアを軸にしたR&Dの世紀なのである。

 

「ウエッブミーティング」

 

 昨夜、ICT海外ボランティア会が主催した、インドに関する「ウエッブミーティング」に参加した。

 7時半から始まった会合は、話が弾んで10時近くまで続いた。

 色々な話が出たが、途上国と言われて来た大国が20世紀後半、急速な経済的な成長を遂げている現実を改めて考えさせられた。

 昨今、停滞気味の我が国の現状を観るにつけ、何か眠れぬ夜になった。

 

「ガイヤーン」

 

 JICAのシニアボランティアで、タイに赴任して居た当時、色々なタイ料理に遭遇し、タイ料理のファンになってしまった。

 タイ料理の中でも、タイ東北部の郷土料理「イサーン料理」の一つであるガイヤーン(鶏の炭火焼)がお気に入りである。

  鶏肉をナンプラー、唐辛子、にんにく、パクチーの根、シーユーカーオ(タイの醤油)などでブレンドしたタレに漬けおき炭火で焼いたものである。

 日本では、中々これが見つからない。そこで、色々な焼き鳥を試食し、似たモノが無いかとずっと探して来た。

 偶々、先日コストのコロティサリーチキンを購入し、「豆板醬、醤油、蜂蜜」でタレをつくり、食してみたら、とても美味しかった。これにパクチーの香味が加われば、かなり「ガイヤーン」に近づくのではないかと思った次第である。

 

「生涯現役」

 

 90歳を超しても頭脳は明晰、判断力は若いころと変わらない、衰えと言えば、歩行に杖を使用するぐらいである。

 こうした方々の中には、「生涯現役」を維持して居る方も結構いらっしゃる。羨ましくなる。

 愚生も70代の頃は、半ば本気で「生涯現役」などと内心思って居たが、80近くなると大分あやしくなり、今や絶望的である。

 兎に角、物忘れと耳が遠くなっては、人前で満足な会話も覚束ない。これでは仕事など出来る筈がない。

 大病もせず、あまり他人に迷惑をかけず、SNSで憂さ晴らしをする。これぞ、我流「生涯現役」、幸せと思うべきか。

 

「名医」

 

 長い事、味覚障害で悩んでいた。年を取って、先ず耳がおかしくなり、音楽が聴けない。今度は、味が分からないので食う楽しみも失せる、人生何が楽しいのだろうか。さる有名病院の耳鼻科部長に掛かっていたが、年を取るとこんなものだと、あしらわれていた。

 ある機会に、別の病院の先生に何気なしにこの話をしたら、うちの耳鼻科を訪ねてみてはと誘われた。実際に掛かってみると、大学を終了したての極めて若い女医さんであった。正直の所、大丈夫かなと思った。

 しかし、先生は年を取るとこんなものだ、などとは決して言わず、恐らく大学で習った通りの処置なのであろうか、丁寧な診断と対応を凡そ二年近くに亘って行ってくれた。そして、味覚障害は見事回復した。本当の名医とは経験を積んだ人なのか、いや、真面目に病に立ち向かう人なのだろう。

 

「イヤホン」

 

 耳が遠くなり、音量を大きくしないと良く聞こえない。すると、家内から、うるさいから小さくしろと苦情がでる。

 其処で、少々値の張った「ヘッドホン」を購入して聴くことにした。

 しかし、低音はよく聴こえるが、どうも高音がはっきり聴こえない。従って、音楽などは調子はずれになり、人の話は、アナウンサーのような発声訓練の行き届いた人の場合は兎も角として、素人の話は明瞭でない。

 そこで、安価なカナル型の「イヤホン」を使ってみた。すると、如何した事か、高音も明瞭に聴こえるではないか。

 

「役に立った」

 

 聴力が劣化して、音楽がまともに聴けなくなってしまった。オーデオも無用になったなと思っていたが、ユーチューブなどを聴くと、どうも音量不足を感じる、もう少し音量が欲しい。そこで、PCの音声出力にプリメインアンプをセットしてみたら万事オーケー、「役に立った」。

 

「惜別の歌」

 

 あの太平洋戦争中、東京は米軍飛行機(B29)の焼夷弾爆撃で焼け野原にさらされ、多くの東京人達が地方に疎開した。

 疎開の中には、学校丸ごと、集団で疎開するケースもあり、これを「集団疎開」と呼ばれた。

 我が柏崎村加倉(現在はさいたま市岩槻区加倉)にも、東京は神田の名門、錬成小学校の皆さん(高学年)が先生方共々、浄国寺に集団疎開して来られ、午後、柏崎小学校で錬成小学校の皆さんだけで、授業を行って居た。

 柏崎小学校では、当時、地元の子供達と集団疎開の子供達が、二部授業の形を採っていたのである。

 学習のレベルは、地元の子供達と東京の子供達では大変な開きがあったようで、錬成小学校に通学して居たが、偶々、加倉の親戚に個人的に疎開して、地元組に通学して居たK君は、是が非でも集団疎開組で授業を受けたかったようであったが、それは叶わなかった。

 K君は、とても良く出来る少年で特に国語が得意であった。彼の書く「綴り方」には、田舎育ちの餓鬼どもには思いもつかぬような、ませた言葉が散りばめられており、今想うと、代用教員であるらしかった担任の先生も啞然として居た。

 集団疎開の皆さんが東京に帰る時、お世話になったお礼として、東京から運んできたピアノを柏崎小学校に寄贈され、併せて、当時、ラジオ放送などで有名であったソプラノ歌手の「大谷洌子さん」を招かれて小音楽会を開催してくれた。

 大谷さんは、「月の砂漠」などの童謡を含め、それは、それは、ラジオ放送などで聴くモノなどとは全く異なった生の音楽の世界を垣間聴かせてくれた。

 そして、最後に「惜別の歌」を歌われた。歌詞の意味は殆ど分からなかったが、別れを惜しむ哀切を佩びたあのメロディーは、子供心にもジーンと心に染み込むモノを感じた。

 ふと、傍らのK君を観ると、蒼白い顔をして、如何にも寂しそうの面持ちであった事が、今なお印象に残って居る。

 そして彼も、いつの間にか「サヨナラ」も言わず、東京に帰ってしまった。

 子供の頃と言うか、若い時分には先々の事しか考えなかった。かと言って、自分が死ぬなどという事も夢想だにしなかった。

 所がこの頃、頭に過ぎるのは過去の想い出ばかりである。こんな80年近く昔の事を、何気なく思い出すのも、年を取ってしまった所為かも知れないと、つくづく思ってしまうのである。

 

「朋有り遠方より来る」

 

 距離的な遠方ではない、時間的遠方である。もう半世紀近く以前に、意気投合して難しい仕事にチャレンジ友人のMさんからの、暫らくぶりの電話があった。

 氏は、色々と来し方を考えた末、自分史を書く事にしたので、私に何か書くよう、依頼して来たのである。

 快諾し、思うがままの感想などを書きなぐり、早々にメールで返信した。

 最近のコロナ禍と老いて身体能力の衰えから、外出して会合を持つ事が困難になったが、今回、電話やメール等の通信手段で旧友と再会する楽しさを、改めて発見した。

 リモートワーク時代の「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」の実現方法を、色々と考え模索してみよう。

 

「お友達」

 

 フェイスブックのお友達には色々な方がいらっしゃる。お会いした事も、直接お話をした事も無い方、昔からの友人の方など様々である。

 そうした中で、昔、職場をともにして長い間疎遠になって居た方から思いもかけず、「いいね」を頂戴し、お友達になって頂いた方も少なくない。

 メッセージでお話を伺うと、氏も疾うに会社を離れ、第二の人生を頑張って居る。昔話に当時を懐かしむ、思わず、自分も年を取ってしまったものと、改めて実感する。

 それにしても、こんなほんのりとした気持ちを抱かせる、良い職場、良い会社だったのだなと、しみじみと思う。

 

「夜空」

 

 寒さが増し、空気が乾燥して、透き通った夜空を眺めると、30年以上前に訪ねた十津川村の星空を思い起こす。

 当時、大阪は船場のど真ん中にあるオフィスに務めていた。休日を挟んで、気晴らしに友人の車で十津川村への一泊旅行を楽しんだ。あのつり橋(谷瀬つり橋)は高所恐怖症の小生はギブアップであったが、つり橋をバイクで通行する村人たちにはビックリした。夕食に出されたキノコ鍋は絶品であった。食後、外に出て夜空を眺めると、如何だろう。文字通り星が降るような満天の星空である。当時すでに、都会の夜空では天の川ですらよく見えなくなっていたのである。

 翌日、帰ってきて大阪の街が近づくと、何か大都会にやって来たような感じにとらわれたものである。

 あの時の友人も、今年の正月に遠くの方へ旅立ってしまった。あの十津川村は如何なっているだろう。開発が進み姿を変えてしまって居るのだろうか。

 

「一茶」

 

 藤沢周平の「一茶」を読んだ。俳句に関しては全く素人であるが、一茶の二万句以上とも言われる句の中で、次の二つぐらいは知って居る。

 痩せ蛙負けるな一茶ここにあり

 やれ打つな蝿が手を擦る足を擦る

 「一茶」の壮烈とも言える人生の中で研ぎ澄まされた感性から、こんな句が生まれるとは、やはり優れた芸術家なのであろう。

 藤沢周平の世界は実に面白い。心惹かれる。

 

「シナリオライター」

 

 藤井邦夫の「秋山久蔵御用控」が面白かった。岡本とおるの作品も同様で面白かった。

 ご両人ともTV番組などの「シナリオライター」出身だそうである。

 抑々、「シナリオ」とは映像作品の設計図であり、「シナリオライター」は映像作品の設計者である。

 そう言えば、モノづくりの場合も、その設計者如何でモノの良し悪しが決まる。

 文学性如何は兎も角として、エンタメ小説は「シナリオライター」出身の作家が面白そうだ。もう少し極めてみよう。


2021.8.1会報No.99

オンラインコミュニケーションツールの可能性

当会顧問

一般財団法人 海外通信・放送コンサルティング協力

専務理事 牛坂 正信

 

 JTEC は、通信・放送を含めたICT分野の国際協力を実施している財団です。その協力の対象は、主に途上国を中心とした海外であるため、人の移動を止めざるを得ないコロナ禍の影響を直接受けることになりました。本稿では、1年間Web会議ツールなどのオンラインコミュニケーションツール (以下、オンラインツールと略す。)だけを使った業務実施状況について、個人的感想も含めお話ししたいと思います。

 JTECの活動は、途上国等へ渡航して直接面談しながら、調査を実施したり、案件形成のためのヒアリングを実施したり、或は現地で、又は本邦に招聘して集合形式での研修を実施するというスタイルです。渡航ができない、本邦に招聘できないという環境下で、試行錯誤が始まりました。

 

1.在宅勤務が始まった

 職員等のウイルス感染予防のため、オンラインツール利用による在宅勤務を2020年3月下旬から開始しました。JTECでは、2020年のオリンピック・パラリンピック開催期間中の通勤混雑回避策として在宅勤務の実施を想定し、2019年10月に1~3回程度在宅勤務を試行的に経験し、在宅勤務導入の課題把握、対策検討をしていました。今回はこれが役に立ちました。比較的スムーズに在宅で業務ができる環境が実現できました。しかし、問題はここからでした。

 

2.不安はあるけどオンラインツールで頑張るしかない

 緊急避難的に在宅勤務を始めましたが、在宅勤務中心で業務をどのように推進していけば良いのか職員一同しばし戸惑うことになってしまいました。4月の時点でいつまでコロナ禍が続くのかさえ分からない中で、「渡航できるようになるまで待って何もしないでいるとJTECの存在意義が問われる」、「使えるオンラインツールを駆使して渡航できない前提でやれるところまで進めよう」、「オンラインツールを使いこなし新しい業務実施形態を作っていこう」等々、オンラインツールを使った業務運営を積極的にやっていこうと覚悟を決めて在宅での業務が始まりました。

 最初に記載しましたように、調査業務や案件形成のための業務など、その殆どは現地出張を核に活動するスタイルです。また、研修業務も日本に招聘したり、現地に出向いての対面形式で実施するものが主です。つまりJTEC業務の殆どが、途上国の方々と対面で実施するスタイルです。そのような業務のやり方をオンラインツールだけでどこまでできるのか手探りでの模索が始まりました。

比較的順調に立ち上がったのは、前年度から継続している業務でした。決まった相手がいて比較的問題なくコンタクトも取ることができ、不慣れなオンラインでのコミュニケーションも次第に慣れ、業務を継続しそれなりの成果を出すことができました。勿論、全てが継続できたわけではなく、工事監理業務実施中のコンサル業務では、現地へ渡航ができず、現地でのコンサルができないため工事中断せざるを得ないケースも生じました。ただ、総じて言えば、コロナ禍以前から継続していた業務は相手側のコミットメントもあり、オンラインツール利用そのものの問題も少なく、従前のように業務を継続できるのだろうかという懸念は杞憂に終わりました。

 他方で、苦労したのが、新たに取り組もうとしている新規の調査・案件形成、研修活動などでした。ここでは例として、調査業務と研修業務について実施状況を記載します。

 先ず、調査業務です。コロナ禍の状況では、現地に出張し面談を重ねることができないので、主にWeb会議ツールを利用して実施することになりましたが、コロナ禍の影響は日本だけではなく、途上国でも同様で、出勤しない・できないなどにより、相手国政府職員とのコンタクト、アポ取り等ができない、或はたらい回しにされたりとミーティング実現までに従来以上に時間がかかることもあれば、コンタクトすることすらできない状況も生じました。また、ミーティング時に依頼した情報の提供や回答も期限内に返送してもらえないため予定通りに業務が終わらない状況になり、調査対象や対象国を縮小せざるを得ない等々、業務が思うように進められないケースが多く生じました。総じて、進捗は遅れ気味、調査内容も制限されるものが多くなりました。

 次に、研修業務です。JTECでの研修は、理解を深めるため、また、受け身にならないよう座学だけではなく、研修生同志によるグループディスカッションやワークショップの組み合わせ等を含めて実施するようにしています。このような研修をどうすればオンライン研修として効果的・効率的に実施できるのか、チャレンジが始まりました。商用Webinar ツール使用方法の習得を始め、研修方法や研修資料に多くの工夫が必要となり、担当者個人の能力だけでは限界もあり、職員同士の協力や外部支援の活用などにより、3つの研修を実施することができました。参加国の地理的広がりのため、日本からの時差が大きすぎて、1回の研修で終わることができず、2回のグループに分けて実施するなど工夫も必要でした。オンライン研修に不慣れのため必ずしもすべてがスムーズに問題なく実施できたわけではありませんが、参加者からの評価はまずまず好意的な内容でした。オンラインでの運営が不慣れであることが大きいと感じていますが、ディスカッションが思うように進まないとか研修時間が制限されているため質疑応答の質が深まらないケースが生じるなど課題も見えてきました。また、一部の国では、ネットワーク状況が悪くなり、短期間ながら参加できなかった事例があったり、参加者側の回線状況やPC能力などにより、PCがフリーズしてしまい講義全体に影響が出るようなケースもありましたが、総じて、オンラインツールによる研修は実用的でした。

 

3.オンラインツールは業務運営に大きく貢献できる可能性が高い

 この1年間、オンサイトでの途上国の方々との面談なしにオンラインツールだけで業務を実施してきました。ここでは、前述した調査業務と研修業務でのオンラインツールの可能性について、個人的に評価してみたいと思います。

 まず、調査業務です。継続している業務においては、比較的早期に立ち上がり、それなりの成果を出しているものが多くあることから、有効なツールと言えるのではないでしょうか。他方、新規案件での調査業務は、「総じて進捗は遅れ気味、調査内容も制限されるものが多くなりました。」と記載しました。オンラインツールを使った業務形態の問題なのでしょうか?要因は何でしょうか?個人的には、その要因はオンラインツールを活用した業務のやり方の問題というよりは、コロナ禍の特異な環境下における途上国側の稼働問題や関心の有無に起因しているのではないかと推察しています。つまり、途上国側でもコロナ禍対策を手探りで実施している状況で、我々からのミーティング要請に応えられる余裕がない、遠隔コミュニケーション対応が遅れている、在宅勤務の導入で調整に時間が掛かかってしまう、或は、そのような状況下で自分たちのメリットの有無を考慮するとJTEC対応の優先順位が低下したなど、新規ならではのハードルの高さ(相手国にとっては稼働工面や組織としての承認を得る必要がある等)がコロナ禍の影響でより顕著になったことが主要因ではないかと推察しています。途上国側のネットワークの制限でWeb会議ツールが十分な効果を発揮できないケースや、コンタクト先が限定されるなどの影響が出たケースもありましたが、業務推進への影響は限定的でした。コロナ禍が続いている中では、大きく状況が改善する可能性は少ないのですが、コロナ禍が収束すれば、新規案件でもそれなりに有効に使えるツールとなるのではないでしょうか。

 次に、研修業務への適用についてです。講義形式の研修では、ある程度の質を維持しながら受講人数を増やすことができるため、受講希望者の研修機会を増加させるということで有効でした。また、講師を始めとした研修を提供する側の負担軽減にも貢献してくれるものとなりそうです。時差の問題を考慮する必要がありますが、時差がある範囲内に収まるようにグルーピングするなど工夫することである程度解消できそうです。また、オンラインでの時間制限があるため、質疑応答の質維持のための時間確保やオンサイト研修では可能な休憩時間での講師と研修生の会話を通じた理解を深化させる機会が確保しにくいので、チャットを活用するなどその改善のための努力が継続して必要となるでしょう。他方で、ハンズオン研修のようなものにはまだハードルが高いと感じています。コロナ禍のような特殊な環境下でなければ、これらの研修は実際に集まってのオンサイト研修として実施するのが妥当のように感じました。また、受講者側での通信回線の容量不足やPC能力の影響で、フリーズしてしまう事例も発生し、進行に影響を与えた事例も起きていましたが、この種の問題はいずれ解消されていくものと思われます。

 

4.最後に

 コロナ禍という特異な環境下、オンラインツールを活用してきて、一つ言えることは、「オンラインツールはJTECの業務に十分使えそうだ」ということです。現状、人と人とのコミュニケーション全てをオンラインツールで代替できるという状況にはありませんが、ポストコロナ時には、コロナ禍における稼働の不自由さもなくなり、日常的にオンラインツールを使うことが一般的になることが期待されます。対面での交流はオンラインとは違った効果・メリットが期待できますので、オンラインツールの活用と実際の対面での交流を使い分けながら業務が進められるようになるのではないでしょうか。例えば、新規の調査業務などでは、その後の関係維持の取っ掛かりとしてとても重要な機会となりますので、オンサイトでの対面での面談を取り入れる一方、その後のフォローアップなどはオンラインツールで対応する、或は、誤解を避けなければならない重要な事柄を含んだ議論や相手の反応を見ながら交渉が必要なケースなどの場合はオンサイトでの面談形式で対応するというように、オンラインとオンサイトでの面談を効果的に組み合わせることで、コスト削減、時間短縮しつつ、業務の質を更に向上できるようになるのではないかと思っています。

 研修への適用についても、例えば、1つの研修コースを、オンライン研修部分と本邦での集合研修と組み合わせることにより、全体のコスト削減、研修効果の向上などに貢献できるようになるではないでしょうか。

オンラインツールが補完的な役割から、オンサイトでの面談と同様な重要な役割を担うことが普通になる時代が、すぐそこまで来ているという事を実感した1年でした。

以上

 

岩槻日記(15)

当会特別顧問 石井 孝

 

「現場巡視」

 現役当時、暇さえあれば現場を見て歩いた。いちいち報告などを聴くよりは、自分の眼で現場を観たほうが手っ取り早い。

 一足、現場に踏み込めば、うまくいっているか、何か問題が起きているか、その場の雰囲気ですぐに感じ取れる。

 そこでチェックするかどうかはともかくとして、何かあった場合、迅速な手当が出来る。

 現場は生き物であるから、親が子供を視るような所謂「手塩に掛ける」感覚が大事であると常々想って居た。

 所で、昨今のリモートワークである。リモートワークに於ける「現場巡視」のコツとは、どんなものになるのであろうか。

 

「何時まで経っても、先生は先生」

 今日、ウェッブ・ミーティングで、大先輩でもあり、私にとっては大切な恩師である方の、技術開発のあるべき姿についての講演をじっくりと聞かせて頂いた。

 とうに90歳は越しておられるが、明晰な記憶力と明快且つ理論的な論旨には驚くばかりであった。

 元々、跳びぬけて優れた頭脳と論理・経験に基づく勇敢な実行力には、追い付いて行くのが精一杯であったが、今日のお話を伺って、一向に先生との距離間隔は縮まって居ない事を痛感した。「何時まで経っても、先生は先生」なのである。残念ではあるが。

 

「何時まで経っても、先生は先生」(その2)

 恩師の講演を聴いて思い出した事がる。それは、我が恩師の更にその上の師が、コンピューター・システムについて語った言葉である。

 「在来形交換機は一般の動物のようなもので、寒くなると体毛が生え、暑くなるとそれが抜け変るといった方式で環境の変化に対応する。

 しかしこのような手段による適応には限度があり、外部条件が急激に、あるいは過度に変化すると死滅してしまう。

 一方人間はこのような環境の変化に対して家を造り、着物を着、火をたくといった方法、つまり自分自身は変化せず頭脳の所産である道具を使いわけることによって対処する。

 電子交換機の外部条件に対する適応のしかたは、ちょうどこの人間の適応のしかたと似ており、ハードウエアはそのままで、ソフトウエアの変更のみによって次々と新しいサービスを提供していくのである」

 これは、電子交換機を例にした話であるが、コンピューター・システムの本質を突いた話である。

 デジタル庁も結構であるが、コンピューター・システムの本質、その人間にそっくりな限りない成長性と、一方、育て方を間違えると、とんでもない事になってしまう特質につて、世の指導者層に知らしめ、啓蒙する必要があるのではないか。

 

「何時まで経っても、先生は先生」(結び)

 最も大事なわが師の技術開発(システム開発)に対する考え方を紹介して、本投稿の結びとする。以下は師の学位論文の序説からの引用である。

 【エンジニアリングの目的は立派な商品やシステムに結実させることである。

 システムは構成要素である部品、サブシステムが優れていることは望ましいことではあるが、それを積み上げて立派なシステムができるのではない。

 システムの構築はピークの技術で決まるのではなく利用可能な技術を使って、外部条件のもとでサブシステムを選択し全体として調和のとれた構成が大切である。

 以上はシステム開発の必要条件であっても十分条件ではない。

 システムの詳細な点までを徹底した検討がなによりも大切である。

 零戦の開発で堀越二郎氏は1gでも軽くするためドリルで穴をあけるまでしたといわれている。

 全体の構想から詳細な点まできめ細かく徹底して検討するリーダーの指揮が大切である。

 システムの構築はオーケストラの指揮に類似しているしているのではないかと思われる。楽器の良し悪し、独奏の評価は比較的易しいが、オーケストラの場合は、直接音を出さない指揮者によって決まり、その指揮者の考え方よって同じ曲を演奏しても異なって、評価が必ずしも同じとは言えないことが多い。】

 

「梅雨入り」

 今年も、ここの所本格的な梅雨に入ったようである。コロナ禍で引きこもりに慣れてしまい、あまり外に出る事もないが、やはり鬱陶しい。

 通勤・通学を行っていた頃は、本当に梅雨は嫌であった。私の住んでいる所は、かつては本格的な農村地帯であった。通学路は泥道で、雨が降ると、ぐちゃぐちゃになってしまい、そこで、下駄の鼻緒でも切れようものなら、足元は全て泥だらけになって、全く無残な状態になってしまう。

 所で現在である、嘗ての泥道は全て舗装され、田んぼや畑は全て整地され、東京へ通勤するサラリーマンの戸建住宅が密集して、昔の面影はすっかり消え去ってしまった。

 偶に、田舎暮らしをして居る友人を訪ねると、「早起きして、田んぼ道を散歩すると気分爽快だよ」などと言われると、ああー、昔は良かったなどと思ったりする。人間とは、まったく勝手なものだ。

 

「今夜のNHK」

 夕方の七時のニュース前の番組紹介である。大きな声で怒鳴りまくっている。

 民放のお笑い番組と張り合ってでも居る積りなろうか。

 嘗てのNHK放送は、如何にも上品で、民放とは違う、NHKらしさがあった。

 NHKさんよ、東京オリンピックでの聖火リレー、最終ランナー実況中継、鈴木文弥アナの格調高い名放送を思い出して欲しい。

『-----見えました。見えました。白い煙が、聖火が入ってまいりました。赤々と燃え上がるオレンジ色の炎、かすかに尾を引く白い煙。選ばれた最終ランナー坂井義則君が颯爽と入ってまいりました。

 この一瞬をどんなに待ちわびたことでありましょう。-----』

『右手に聖火を掲げ、流れるようなロングスライドで走る田岡正廣君。

 戦後の日本とともに育ち、戦後の日本とともに逞しく明るく成長してきた19歳の田岡正廣君、その恵まれた体すらりと伸びた脚、広い肩幅、わずかに頬を紅に染め、感激に膨らむ胸を一杯に張って、美しいフォームで走るーーーーー』

 NHK放送、何と素晴らしいではないか。

 

「東京オリンピック」

 色々と紆余曲折があったが、いよいよ「東京オリンピック」開催である。

 それにしても思い起こされるのは、前回の1964年「東京オリンピック」である。

 この時も、事前の世論調査では「オリンピックには大変な費用がかかるので、いろいろな点で国民に負担をかけ、犠牲を払わせている」とか「オリンピックに多くの費用をかけるぐらいなら、今の日本でしなければいけないことはたくさんあるはずだ」など、圧倒的な国民の支持に熱狂的に迎えられていた訳ではなかったようである。

 然しながら、東京オリンピック開催を契機に、競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資がなされ、競技を見る旅行需要が喚起され、テレビ放送を見るための受像機購入の飛躍的増加などの消費も増えたため、日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらした。

 帝都高速度交通営団・東京モノレール羽田空港線・首都高速道路・ホテルなど、様々なインフラストラクチャーの整備が行われ、都市間交通機関の中核として東京(首都圏)から名古屋(中京圏)を経由して、大阪(京阪神)に至る三大都市圏を結ぶ東海道新幹線も開会式9日前の10月1日に開業した。

 開会式が行われた10月10日は、1966年(昭和41年)国民の祝日に制定され、以降「体育の日」として広く親しまれるようになった(2000年(平成12年)より10月の第2月曜日、2020年(令和2年)より「スポーツの日」となった)。

 些か長時間に亘るが、1964年「東京オリンピック」開会式の実況中継、鈴木文弥アナの名調子を、お時間があったらお聞きいただき、当時を振り返って頂きたい。

 

「苦労知らずか」

 賛否色々とある中で、東京オリンピック開催にこぎ着けた。さてその開会式である。

 著名人と言われる方々の出欠席の話である。かなりの方々が、世論を意識してか如何かは知らないが、欠席を表明して居るような感じがする。

 これだけの大きな大会を、しかも、コロナ禍の中で此処まで、与えられた仕事として持って来た方々のご苦労を想うと、何はともあれご苦労様でしたと言って、せめて出席ぐらいするのが人情というモノでは無いのだろうか。


2021.6.1会報No.98

<続>“第二の故郷”アルゼンチンへの想い

(社)量子ICTフォーラム総務理事

当会顧問 飯塚久夫

 

 数年前に表記タイトルで本欄に寄稿させていただいたところですが、改めて“第二の故郷”の近況と趣味の話を書かせてもらいます。お気軽にお読み下さい。

 

 アルゼンチンと日本との歴史的関わりは前回書きましたが、近年では当会特別顧問の石井孝さんも勤務されておられます。石井さんがおられたのはブエノスアイレスから200キロほど北西に行ったロサリオという所で(世界で一番有名なアルゼンチン人?)チェ・ゲバラの生まれた街です。私は仕事でアルゼンチンに行ったのは放送デジタル化と国交120周年のことだけで、あとは趣味のことで数年前までは殆ど毎年訪亜していました。若い頃はNTTに技術研修で来日するENTEL(当時の電電公社)の人をつかまえてはスペイン語の勉強をさせてもらっていました。私にとっては本当に“遠くて近い国”です。

 

 アルゼンチンと言えば、昨今の日本では債務超過国いわゆるデフォルトを起こした印象の強い国になってしまっているかも知れません。確かに過去9回もデフォルトしています。しかし、それでも実際に国が潰れないのが資源(含食料)のある国は羨ましいと思うところです。

 日本企業からみた印象は地に落ちて過去より残念な経済関係になっており、本当に“遠くて遠い国”になっている感ありです。でもトヨタやNECなど現地で健闘している会社もあります。

数年前“東京オリンピック”を決めた地はブエノスアイレス、当時の政権(2015~19)は中道派の大統領であったこともあり、2016年には安倍総理が、現職の総理大臣として57年ぶりにアルゼンチンを公式訪問、翌17年にはアルゼンチンの大統領としては19年ぶりにマクリ大統領が日本を公式訪問しました。さらに、両国外交関係樹立120周年を迎えた18年には、G20ブエノスアイレス・サミットに出席するため安倍総理がアルゼンチンを再訪、翌19年6月には、マクリ大統領がG20大阪サミット出席のため再訪日し、2016~19年は、日亜の長い歴史の中でも、両国首脳が4年間連続で相互訪問するという歴史的な4年間でした。

 しかし、2019年12月以降、ペロン党(あの“エビータ”で有名なペロン大統領の流れ)政権に戻り、新型コロナもありあまり進展のない日亜関係になっています。

 

 最近の状況は相変わらずの国の債務問題、IMF(国際通貨基金)やパリクラブ(主要債権国会議)は前回のペロン党政権の時は嫌がらせ的なことまで含めて極めて厳しい対応でしたが、今回はパリクラブは4月が期限の24億ドル(約2620億円)の債務支払いについて、デフォルトを宣言せず遅延を容認する方針。IMFと450億ドルの債務再編で合意できることを期待しているといわれます。

 その一方で、アルゼンチンもコロナ禍の影響は大きく、この4月に保健相が「最悪期」のさなかにあるとの見解を示しています。ロシア製ワクチン「スプートニクV」を中心に接種を進めていますが、コロナ死者が6万人を超え、ロックダウンなどの一部規制の再発動に追い込まれています。4月時点で確認されている感染者は280万人、死者累計は6万人となっています。フェルナンデス大統領は、ブエノスアイレス首都圏に導入したコロナ行動制限措置をさらに厳格化し、夜間外出禁止措置も午後8時から翌日午前6時までに拡大すると発表しました。

 しかし(私からするとこれがいかにもアルゼンチン的なのですが)、ブエノスアイレス市民は、特に学校の対面授業の停止に反対して市内各地で連日「鍋たたき」による抗議活動(カセロラッソ)を実施しているそうです。

 

 そうした中でアルゼンチンだけではなくラテンアメリカ全般ですが、中国の影響は高まるばかりです。コロナ禍で、2020年は中国国営銀行の中南米向け融資がゼロになっていますが、中国・中南米カリブ協力基金(CLAC)や産業協力投資基金(CLAI)を通じ、相変わらず中南米向けに資金を提供しているようです。 

 そして“ワクチン外交”を積極展開、むしろ、コロナ禍で中国と中南米の結び付きが一層強まったとの見方もあります。そうした中でアルゼンチンとの二国間協力は加速化。中国の対中南米経済外交の最優先国とみられるのはアルゼンチンです。アルゼンチンの現政権は19年発足以来、中国との経済関係を重視。フェルナンデス大統領は習近平国家主席としばしば電話会談や親書交換を通じて「包括的な戦略的パートナーシップの深化」を目指し、さまざまな分野での二国間協力の促進について協議してきたようです。昨年は中国人民銀行との間で新たな通貨スワップ協定を締結、国会でアジアインフラ投資銀行(AIIB)加盟法案を可決しています。さらに昨年末には、アルゼンチンの鉄道建設・整備プロジェクトに対し中国が総額47億ドルの資金協力を行う協定が結ばれました。

 21年に入ってから両国の経済関係は一段と加速化しています。リチウムイオン電池と電気自動車製造に関するアルゼンチン政府と中国企業との合意、中国企業によるアルゼンチンの鉱山会社買収も相次いで発表されました。アルゼンチン・サンタクルス州での水力発電所建設を含めエネルギー・インフラ分野での中国の協力も進んでおり、フェルナンデス大統領が訪中し、習近平国家主席らと会談し、中国側はその際、アルゼンチンで4番目の原発建設への資金援助など総額300億ドルの投資計画を提案するとの情報が流れています。

 

 国間の交流史と人的な共通感覚を有する日本とアルゼンチンは、将来的な安全保障の観点からも本当に“遠くて近い国”になっていた方がいいと心底思う私としては、昨今の状況は焦燥感に駆られるばかりです。

 

 最後に趣味(タンゴ)の話です。本場といえどもこのコロナ禍とあってタンゴのコンサートもダンスの場もすっかり閉じられており、アーティストの中にはオンラインで活躍している人もいますが、全体的にはアルゼンチンが誇る世界文化遺産に携わる人々(演奏家、歌手、ダンサーなど)は死活問題に直面している状況です。2003年来毎年8月には世界中から10万人の来訪者を集めている「タンゴ・ダンス世界選手権大会」も中止になっています。

 そうした中にあって、2021年は著名なバンドネオン奏者アストル・ピアソラの生誕100周年、3月には世界三大オペラハウスの一つであるブエノスアイレスの“コロン劇場”で「ピアソラ生誕100周年記念フェスティバル」が二週間にわたり行われました。

日本でもタンゴ・アーティストが苦境に立っているのは同じですが、この7月にタンゴ音楽祭とダンス選手権大会を企画しています。その実施の可否が注目されるところですが、いずれにしても、コロナ禍が一日も早く終息しタンゴ文化の(衰退でなく)継続・発展が改めて訪れる日が一日も早く来ることを祈るばかりです。

 

岩槻日記(14)

当会特別顧問 石井 孝

「2025年の崖」

 

 最近、世間を騒がせて居る問題にデジタル化があるが、これを起因させた要因の一つに所謂「2025年の崖」があるのではないかと愚考する。

 今や、事業経営(運営)はコンピュータ化され、ソフトウェアシステムに経営の全てが委ねられていると言っても過言ではないだろう。

 しかし、それらのソフトウェアシステムは、遺物化されつつあり、しかもそれに対する維持管理はベンダーにすっかり依存している。そして、現在、システム自体も、それに関連する人達も定年を迎えようとしているわけである。

 今日、急速に進展するIT化に、事業展開を対応するためには、事業の経営主体自らが何らかの形で、ソフトウェアシステムの開発とメンテナンスを実行する必要性を認識し出した。これが、「2025年の崖」のキーではないかと、私は考える。

 しかしながら、よくよく考えてみると、この問題は今始まった話ではない。

 NTT初代社長の真藤さんは、就任早々、当時、電話サービスの主体となって居た電子交換機のソフトウェア開発とそのメンテナンスをメーカー依存から、完全内製化に移行させた。

 また、トヨタの奥田社長は、自動車システムのコンピュータ化に逸早く気付き、これを確実なものにするため、デンソーを完全子会社化した。

 

「工業技術」

 

 ふと思った事であるが、前世紀に於ける「工業技術」の大きな眼目の一つは、どんガラに動力を付けること、言うなら効率の良いエンジン開発が重要なテーマでは無かったか。

 それに対し、今世紀に於ける「工業技術」の重要なテーマは、どんガラに如何にして高性能な情報処理機能を付与するか、である。

 コンピュータとソフト、就中、ソフトウェア開発の重要性である。

 ここで注目したい点は、ソフトウェアに関しては、エンジン製作に於ける高度な工場設備や熟練工などと言ったモノが全く不要で、極端な言い方をするなら、或る程度の頭脳を持った人であれば、何処に居てもパソコン一つで製作出来る事である。

 勿論、ソフトウェア開発をちゃんとした「工業技術」化にすするためには、経営者のソフトウェアに対する的確な認識と、それに基づいた開発部隊の組織化等、適切な実現・実行力が必須である。

 しかしながら、実情はこの点が極めて貧弱なのではないか。

 

「構想力」

 

 丸山 有彦氏のご投稿は、極めて興味深いモノである。本日のご投稿は日本人の構想力について問題提起がなされている。

 ご投稿をお読み頂ければ、良くお分かりなると思うが、一口に言うと、「日本は一度『カメラ』というようなコンセプトが与えられると、まことに精巧な、見事なもの(ハードウェア)をつくる」。それに対して「アメリカはソフトウエア。広くは発案・構想力・目に見えない思考力に価値を求め、情報化社会を創った」。これは、まさに卓見であると思う。

 所で、日本人の中でも素晴らしい構想力を持った方は結構居られるのでではないだろうか、例えば真藤(恒)さんである。

 氏は「真藤船型」と称される独特なタンカー(ハードウェア)を造られたが、その運行や船上作業の全てに亘って、半世紀近くも前にコンピュータ化(ソフトウエア)を成し遂げて居られる。だからと言って氏はコードが書けたとか、コンピュータ操作に通暁して居たわけではない、優れた構想力を持って居られたのである。

 昨今、デジタル化が声高に叫ばれているが、これをリードされる方こそ、単なるデジタル通でなく、真の構想力を持った方でなくてはなるまい。

 

「池江璃花子さん」

 

 照ノ富士も凄いが、池江璃花子さんは物凄い。不死鳥とは、まさに、「池江璃花子さん」の事だ。

 東京オリンピック開催については、色々と意見や問題もあるが、「池江璃花子さん」の為に、何とか成功させたいと思ってしまう。

さて、「たった一度の人生、悔いなく生きろ」などと言われるが、俺はどうしたらいいのだろう。

 

「オンライン同窓会」

 

 嘗ての職場のOB諸氏との「オンライン同窓会」なるものに参加させてもらった。

 オンライン飲み会は初めての経験である。どんな事になるかと思ったが、司会をされたUさんの巧なリードにより、時間の経つのも忘れる楽しい会合になった。

 遠くフィリピンからの参加もあり、「オンライン会合」の新たな可能性を考えると、リモートワークなどをも含め、コロナを契機に社会生活の改変・変貌がどうなるのか、改めて色々と考えさせられた。

 

「相撲中継」

 

 最近のNHK・TVは、ワイワイ・キャーキャー、民放と何ら変わらない。

 NHKらしさは何処へ行ってしまったかと思って居たが、NHKの「相撲中継」ラジオ放送を聴いて、これぞNHKと懐かしさを覚えた。

 男性アナウンサーの相撲に関する豊富な知識、流れるような歯切れの良い早口言葉、解説者との巧な掛け合い、昔と全く変わらない。

 絵はTV、音声はラジオがいい。ワンテンポ絵が遅れるのは仕方ない。

 

<事務局注> 「徒然日記」が「岩槻日記」に改名されましたが、号数はそのまま継続いたします。また、岩槻日記のホームページは下記のとおりです。

 https://blog.goo.ne.jp/3948kohh 

 

断絶の米国

元NTTアメリカ社長

現 株式会社ハイホーCEO

当会顧問 鈴木 武人

1:はじめに

 

 2021年3月21日コロラド州で10名(内警官1名)に及ぶ死者を出したスーパーマーケットでの銃乱射事件が発生しました。本件は日本でも大きく報道され、とんでもない事件と思いましたが、同様のテロの規模の「言われなき大量殺人」が、この数日後にはカルフォルニアでも発生、米国内のニュースを見るとこの種の事件が連日発生して居ることがわかります。驚く事に2020年の全米での銃犯罪の死亡者数は19379人(非営利団体Gun Violence Archive発表値)と2万人近く、しかもこの数字は自殺者24090人(同)とは別だそうで、2021年は更に増加すると言われて居ます。自動車社会の米国での交通事故死者数が年間4万人くらいですから、いかに銃による死亡者が多くなっているかが判ります。人口の上でいつの間にか日本の3倍に増えた米国ですが、銃による死者の数の増加は驚くばかりです。過去日本人も犠牲になりました。また警官による黒人への暴行や殺害が「Black lives matter」として世界的な人種差別反対運動として報道されましたが、この種事件も頻発しています。2021年1月16日には大統領選挙での敗戦を認めないトランプのごたごたから彼の「米国を守るためにCapitol Hill=議事堂の丘へ行くべし」の演説に従った超保守の白人による議事堂乱入騒動に至り、警察官1名を含む4人の犠牲者をもたらしました。これはいわば政治を暴力で左右させようとしたクーデター未遂の様なもので、この事件は今まで抱いて来た民主主義の宗主・米国のイメージをすっかり壊してしまいました。

 

2:米国人のストレス

 

 では何故今の米国でこの様な忌まわしい事件が日常化しているのでしょうか?

 米国では、その歴史から、銃砲の所持が自己防衛、いわば基本的人権の様に憲法で保障されていることにもあるのでしょうが、もっと深く考えると、その背後には米国人の間に溜ったストレスがあると考えられます。何故なら、911の時の様な宗教的背景が最近の事件には見られないからです。ストレスには種々のものがあるでしょうが、今はコロナでしょう。トランプはマスクが嫌いの様でこれを不要とし、自分も感染したもののたった数日の治療で治った、この病は大した事は無いと復活時に断言しました。それで彼の強気は支持者から大いに賛同、熱狂的な支持を集めていました。白人のマスク嫌いは、もしかしたら会話はお互いの口を見て行う習慣が有るからかも知れないとの説があります。日本人はその点、お互いの目を見て話をしますからマスクがあっても障害にはならないのかも知れません。そういえば透き通るようなブルーの瞳は覗き込んでも透明で引き込まれる感じはあっても意思が通じにくい、更に北欧にみられる灰色の瞳では目を見ても何も分からない感じがしました。その後コロナは猛威をふるい、ついにはトランプ大統領のホワイトハウス退去の18日の直前、2021年1月13日に新規感染者数23万人のピークを記録しました。その後はワクチンの効果が出るまで連日8万人を超え、2020年度末で計50万人以上の死者を出しました。この数字はベトナム戦争、一次/二次世界大戦での米国人の死者よりも多いそうです。その状況で多くの州や市ではマスクの着用義務化、外出制限、レストラン等の閉鎖も行う様になって、これは空襲の経験の無い米国人にとって初めての事で、ストレスは最高潮に達しました。さらに、トランプがその新型コロナの起源を武漢、更には国立研究所からの流出とし、チャイナウイルスとしたことからアジア人の区別が出来ない米国人の一部がアジア人全般を憎み、これへの暴行や殺人事件も頻発し「Black Lives Matter」に加えて「Asian Lives Matter」の運動も起こりました。これもストレスの成せる技でしょう。移民数の多い中国人への虐殺事件は1871年の中国人虐殺, 1885年のロックスプリングス虐殺が有名ですが、その後も幾つかのチャイナタウンでの暴動騒ぎも時々起きています。それらは我々にとっては第二次世界大戦時の日本人排撃運動、財産剥奪・収容キャンプ所等も思い出させます。日本の場合は太平洋戦争と収容キャンプの問題からか、いわゆる日系人の名誉回復に関る活動以外に団体を作って政治的活動をする事は余りありませんでしたし、また日本からのビジネスマンとの交流も余り目立ちません。これに対し中国人や韓国人は地区毎に夫々強固なコミュニティ、また移民手続きや経済的援助団体、さらに本国からの支援も受ける形で、その全国組織をもっており、それは選挙の際にも強固な活動を行っています。いずれにしろ、人種差別や暴動の背後には経済問題、失業や貧困があり、その原因を低賃金で働く移民や黒人等に向け、結果的に人種間の差別や分断、憎しみを生じている事も浮かび上がります。思い起こせばトランプ氏は大統領出馬の際にこの様なストレスをついて支持者を集めて大統領になった様にも思えます。米国はリンカーン大統領以来人種差別は無くすとのコンセンサスがあり、KKK等の超白人主義は存在しても隠れた存在でした。しかしながら、トランプはその存在を認め、結果多様な人種に対する差別主義が全米に広まりつつある状況で、最近はコロナをもじって「The Racism Virus」という言葉も一般化しつつあります。

 

 オバマ大統領の真反対の政策であったトランプ大統領もようやくホワイトハウスを去り、バイデン氏への交代により米国が当たり前の米国に戻りつつあることも実感します。即ち、到底日本では想像も出来ない、医師・看護師に加えて全国にある薬局の職員へも訓練を行って、1日百万人を超える素早いワクチン接種の実施を行っている様子に、いざと言う時には団結し、物量にモノを言わせる蘇った米国が見られます。米国は既に必要数の数倍に相当する12億回以上のワクチンを集めたそうで、日本の状況とあまりにも違うことに驚かされます。民主主義を旗頭に、人権問題や情報セキュリティ問題から独裁政権に厳しく臨むバイデン政権に声援を送りたい所です。

 

3:思い起こせば

 

 戦中、戦後生まれの我々世代は日本が最も貧しかった時代に育ち、またいわゆる戦後教育の影響も強く受けています。さらに横須賀・横浜で育ったせいで朝鮮戦争、ベトナム戦争の関係で米国軍人が数多く近隣に住み、その家族(ベトナム戦争では父の友人であったヘリ隊の隊長が戦死)とも交流があり、また米国からのTVドラマや映画の普及から、米国と日本のあまりの豊かさの違い、生活レベルの違いが身に染みていました。すなわち、米国は民主主義を主宰する国であり、自由平等の国、そして経済、政治、軍事等の全てにおいて世界のリーダ、またそれらの全てが善として認識していました。

 

 その様な境遇にあった小生は工学部から電電公社へ入社、ソフト開発等多忙を極める中、留学もしないまま39歳の時に急に米国に赴任することとなりました。そのまま8年強にわたって実際に住んで米国を経験する事となり、種々裏の側面も見え、子供のころからの米国の認識を変える事となりました。San Franciscoではベトナム戦争によって精神的被害を受けた人々やヒッピーがたむろし、自由のシンボルであったユニオンスクエアやカストロストリートを中心にAIDSが死の病として大流行、マリファナの匂いがカフェーでは当たり前のように匂っていました。そして1990年8月イラクのクエート侵攻に対応して翌年1月に始められた湾岸戦争は米国の威信を高揚したのですが、これは911で知られる2001年の同時多発テロを誘発してしまいました。これを起こしたアルカイダを追ってアフガニスタンへ侵攻したところ、タリバンをはじめ幾つものイスラム過激派との戦いに巻き込まれて泥沼化し、米国の威信は次々と壊されていきました。経済面ではドル高基調から中国を中心に輸入が急増し、失業率も8%を超えて米国の経済を守る為にその中心とされた自動車、半導体、通信機、工業製品等に関し、日本をターゲットにした貿易摩擦、日本バッシングが始まりました。日本側もUSTRやDOCとのコミュニケーションをとって摩擦を回避するために半導体等も工場を米国内に移転したり、自主規制も行いました。ただし、自動車については摩擦の中心でしたが、米国内の消費者の嗜好に沿ったものであるため話題の中心ではあったものの米国内に工場を設ける等の努力の結果落着いていきました。その様な状況で、いつの間にか中国の台頭がありました。即ち、安価で手に入れやすいという事で家具、衣料等あらゆるコンシューマー市場ですっかり定着してしまい、また米国企業の資本流出・企業進出もあって、米国はその状態から抜け出せなくなっていました。また従来、たとえ共産主義や独裁主義であっても、それは発展過程のステップで経済の発展があればいずれ民主主義へ変化すると期待する対中国楽観主義が一般的でした。しかしながら習近平が台頭してからは不正を理由に自分に従わない勢力を駆逐、ポストの永年化、またITを政治的に駆使して情報による国民個々の統制と支配を強化しました。さらに周辺国、特に独裁主義や独裁化した国(トルコやミヤンマー)への政治・経済面の強化によって国際的な影響力を強めており、その希望は無残に打ち砕かれた様に思われます。SNSや演説会で自信一杯の表現で露出が多かったトランプ氏の2017年の大統領就任で多くの公約の一つに中国から企業を取り戻す策がありましたが実効は上がらず、またメキシコとの国境に高い壁によって移民を止めようとしたが止まりませんでした。可愛い娘婿の関係からかイスラエルを優遇し、この関係もあってか公約の一つである中東からの米軍の撤退を実現するために、あるいは自身の大統領を継続させるためか、政府内の事前の調整無しにイランへの爆撃を無理強いで実現しようとし親族以外の有能な官僚やスタッフが離職してしまい、またトランプ自身に直言した高官を即刻退任させた等の数々の出来事がありました。大統領選挙の敗退が明らかとなると彼を熱狂的に支持した右翼や白人至上主義のグループの存在や活動を否定せずに、逆に扇動する様なスピーチを行い、これに従って全国から集合した多くの人々が議事堂へ乱入する事件まで起こしました。何故このような人物がいきなり大統領になったかも個人的に大いに疑問を生ずる所でした。

 

4:米国での思い出の一端 分裂が正常?

 

 赴任したのは日米貿易摩擦の真っただ中、サンフランシスコの南70Km程のシリコンバレーでした。当時でも6車線以上の、しかも無料の美しい高速道路や、一日かけても回り切れないショッピングモールの規模は驚きでした。当時のシリコンバレーはintelやHP等の半導体やパソコンが主体の産業構造で半導体が日米摩擦の主要なテーマの一つでした。現在はシリコンバレーというよりもFacebookやGoogle、Adobe等ソフトウェアの大企業でITバレーとしてさらに発展しています。

 

 店舗といえば、日本でも有料メンバーシップで知られるコストコ(現地ではキャスコと呼ばれている)は当時プライスクラブでしたが、うず高く積み上げられた食品と酒の類、一軒の家が建てられるほどの建材や工具類、健康食品に加えて日本では処方箋が無いと買えないような医薬品、さらに中型ヨットや大型のジャクジまでその品数は数知らず、また安価なことも驚きでした。日本にも数件オープンしていますが、大きなカートで大きな買い物をするので、必然的に大きな駐車場と売り場の面積が必要となり、土地の安い処でないと開店出来ないのでしょう。シリコンバレーで最初のお店はその北側に位置したパロ・アルトからさらに10km程北側のレッド・ウッド・シティに在りました。シリコンバレーは当時、北はパロ・アルト、南はサン・ノゼの間とされ既に土地や不動産は高騰し始めており、また生活費もそれなりに高くなっていました。しかしレッド・ウッド・シティとなると倉庫が立ち並び、また住居も古い小ぶりの家、また新しいものはアパートの類がほとんどで、いわゆる不動産価値の低い処でした。ところが、その直ぐ南隣に位置するアサトン市はお城のような大きな家ばかりで、各家の駐車場は数台分、フロントの庭とは別に森の様な裏庭を備えていました。両市の境界はアサトン側では裏庭の垣根と塀、その北側はいきなり建物の壁となっていて、物理的な境界は設けられていませんでした。が、家並みの違いははっきりして、両市の間で互いに交わらないとでも主張し合って居る様でその差は歴然たるものでした。日本でも新興住宅地とそれ以外の古い町並みで類似の状況はみられるものの、その境界のどちら側に住んでいるかでその人の社会的位置づけ、即ちステイタスを意識する事は余り無いでしょう。しかし米国では住所で人のステイタス(極端に言えば差別)を意識するという事なのだと思います。これらの状況は全米のいたる所で見られます。それで、あえて米国における境界について考えてみたいと思います。

 

5:境界とは

 

 米国と日本で何が違うのでしょう? 米国は現在丁度50州からなっており、合衆国と呼ばれるようにその集合体となっています。要するに基本は州にあるということです。法律も罰則も州によって違い、州ごとに最高裁判所があります。州は基本的には米国内では独立していて、州兵からなる軍隊も持っており、州境に検問所を設けている州もあるくらいです。憲法上、連邦政府は米国外との交渉や戦争、また州にまたがる事項についてのみ関与するというのが建前です。下院は州民の、即ち人口によって人数が割り当てられますが、予算承認、人事や裁判も行う上院は各州から2名だけが割り当てられています。したがって50万人前後の人口の小さなワイオミング州と4千万人程を擁するカルフォルニア州のいずれも2名の上院議員を選出しています。この辺米国の制度の矛盾ととらえる向きもあり、大統領選挙の際の選挙人制度と共に議論のあるところかもしれません。要するにそれぞれの歴史を有する各州は、勿論全てではないのでしょうが、主にヨーロッパの諸国から種々の理由、即ち宗教的弾圧や人種偏見から逃れる目的、さらに例えばアイルランドからは主食のジャガイモの感染から食物が不足してこれを求めて集団で米国へ移住してきたそうです。したがって宗教、あるいは人種毎にグループを作り、結果的に州を形成していったので、ごく自然に夫々の生い立ち、文化、人種を反映していったことになります。移民の裏には激しいインデアンとの戦いや、時にはロマンの物語も沢山ありますが、これらは米国人により小説や映画として描かれています。最近ニュジーランドやオーストラリアを中心に原住民の民権の復活の方向にありますが、米国の原住民への弾圧・虐殺の歴史は余りにも激しいものでした。「中南米にはピラミッドが有るのに何故米国には無いのか」と尋ねた事がありますが、答えは「米国の領土は自分たちのものにするために全て破壊した。なお、南の某州の岸壁にはその一部が残っている」でした。要するに徹底的に原住民を圧迫し、貧しい居留区へ押し込めたという事だそうです。有名なものの一つに金が発見されたヨセミテのマリポサ大隊による執拗な追撃があります。ロマンの話の方の一つには、米大陸にヨーロッパから移住しようとした初期のグループは飢餓に襲われ何度も失敗したそうですが、米国の祝日であるサンクス・ギビングの起源はニューイングランド地方に移住したピューリタンのグループが飢餓にさらされた時に原住民に助けてもらい、そのお陰で初めて定着に成功した際その原住民を招いて七面鳥をふるまったとかの紹介もありました。ただし、今の米国人にとっては収穫祭がその起源であるとか、あるいは単に全ての家族が集まって七面鳥で祝う日位の理解になっているかも知れません。

 

 それでは、州の中の市や町に関してですが、まず日本の住民票に相当するものはありません。引っ越してきても市役所に届ける必要はなく、選挙権を得るとか、あるいは何らかの支援やサービスを受ける必要が無い限り市役所等に行く必要もありません。例えばコロナワクチンを接種しようとしたら、国勢に関らず取得可能な運転免許証、原則米国に住む者に与えられる社会保険番号、いずれかの国のパスポートの何れかを持って申し込み、順番を待つことで住民票は不要なのです。地方税に相当する税金に関しても、会社員が個人で借家やアパートに住んでいる分には何ら払うことはありません。ただ、不動産を購入ないし所有した場合、固定資産税にあたるReal Estate taxは自治体の主要な収入源で非常に厳密で、専門職員が常に見て回って価値の査定をしているそうです。例えば屋根をふき替えたとか、一部でも設備を備えたとか改築したとかの際には速やかに課税額が変更されます。ただし同じ市や町の中でも上下水を必要としない農地等の場合は例外的に自治体に属さない、即ち不動産価値が上がっても非課税のままの場合があるそうです。日本と違うのは自治体の領域であっても属さないで独立している場合もあることや、固定資産税の見直しが非常に綿密に行われているという事でしょう。

 

 こうした状況に気が付くと、どの町に属するかで大きく違う不動産価値、即ち境界が気になります。何故そのような大きな差が出来るのでしょう。

 

 これはまた違う側面から見た場合ですが、出張の際に現地の友人から色々サジェスチョンを受けました。忘れられないものの一つに、「出張で出かける際に、部屋の上下に関らず必ず行先での一流のホテルに泊まるようにしなければならない」と言われた事があります。即ち、「米国では基本的に差別は禁止となっていますが、人間ですから値踏みをします。出張、即ちビジネスでは信頼できる相手か否かを宿泊するホテルで値踏みする」のだそうです。

 

 同様に、よく「何処に住んでいるか」との質問を受ける事がありますが、これも値踏みされていると理解した方が良いでしょう。

 

 米国の警察システムは日本と大いに違います。米国では警官は民間企業である警察学校を卒業して資格を得ます。そして町や市の警官として就職します。すなわち警官は町や市が基本的に雇い主ということです。警察は日本の様に警察庁を頂点にした一体組織というのではなく、町や市を守り、その住民に雇われた格好になるので住民に尽くす必要があります。財政が豊かな自治体では、その安全の為により多くの費用を警察に配分出来、税収不足の自治体ではその逆で安全でなくなり、結果的にリッチな人は住民とならず、また利益をあげる企業も来ないということになります。

 

 一種の自由競争ということで、豊かな自治体にはよりリッチな住民が集まり、不動産価値が上がり、自治体はより豊かになって行き、貧乏な自治体にはより貧しい住民が住むようになってしまうということです。

 

6:米国の政治の一端

 

 何度も倒産したことがあるので米国の金融機関はトランプには金を貸さないとかの評判がありますが、海外の金融機関から融資を受けているのか、ホテルやギャンブル場、リゾート、特にゴルフ場等で不動産王との名をほしいままにしました。何度も落ちても谷底から這い上がって頂点に立つ、まさにアメリカンドリームの様な人で、熱狂的な支持者を持っています。大統領になるために幾つもの公約を掲げ、その中には首を傾げざるを得ないものもありましたが、大統領に当選してそれら全ての公約を全て守ろうとして歴代最も公約を守るとの評判も取りました。しかしながらトランプも4年の末期になって、社会の分断、差別、これに加えて新型コロナへの対応の多くの面で悪しき問題が表面化し、選挙で敗れた様です。何故トランプの末期にそのような問題が噴出したのかを振り返ってみたいと思います。

 

7:混じ合わらないのが平和?

 

 先ほど米国では町や市単位に住む人の層が違っている状況について説明しました。これは例えば皆さんがよく利用されるJFKからマンハッタンに向かうロングアイランドの高速道路から見える人家の状況からもわかります。道路に近い処の家々では小さい庭に洗濯物がひるがえっているのが見えますが、少し離れた坂上のエリアの家々には緑が茂り、また花が咲き乱れますロングアイランドのマンハッタン側で小生がNYへ赴任した頃までは日本人学校も置かれ、NYの日本人町とも言われたクイーンズ区ジャマイカ地区でしたが、道路が比較的に狭くて入子状になっており、当時から多様な人が道路の筋毎に人種に分かれて住んでいました。白人は殆ど見られませんでしたが、ユダヤ教の人々が真っ黒な僧服で行き来、アフリカの何処かの国のグループが民族衣装のまま買い物、韓国人もチョゴリで登場等まるで民族衣装展の様でした。ただ、彼らの家は別々の筋で殆どお互いに話し合う事はないと聞きました。しかし、街はいたって静かで争いは滅多にありませんでした。ここは米国に到着してしばらくの間古くから住んでいる知り合いに当面の世話になるところなのかもしれないと想像されました。こんなに人種が入り乱れても、綺麗に住み分けが出来、結果争うごとが無く、平和に暮らしていけるのが大変不思議に思っていました。

 

 ついでながらここを創立起源とした日本人学校は現地に展開する日本企業からの多額の寄付とそれに相当する日本政府からの資金で素晴らしい環境で高級住宅の多いマンハッタンから北側にあたるコネチカット州グリニッチに移転を完了しました。これは日本のバブル期だから出来た事かも知れません。ただ、その後バブル崩壊から学生数が減って経営が苦しいと聞きました。

 

8:叱られる文化と褒められる文化

 

 さて、小生はCA在任中に「叱られる文化と褒められる文化」という雑文をある雑誌に頼まれて掲載したことがあります。これはCAへ赴任して数学能力測定から娘が中学の1学期を終えたばかりなのに飛び級で中学の高学年へ編入、中学を1年で終わることになってしまいました。当然英語が分からないので、学校では沈黙、家へ帰ってから両親に教科書の説明でやっと何をしていたのかが解ったくらい。そうやって居る内に学校から表彰状を貰ってきました。曰く「最も静かで学級の邪魔をしなかった生徒の賞」、当然不思議に思い、学校のカウンセラーを訪ねたところ、「何でも見つけて表彰することで、学校に馴染み、励ます」という事だそうです。我々世代の日本では叱るのが当たり前で、結果廊下に立たされたり、竹の棒で叩かれたり、グランドを1周したり、いわゆるスパルタ式でした。即ち、叱られる事を恐れて勉学に励んだり、言いつけを守ったりでしたが、米国の学校では教師が工夫して何とか褒め方を研究し、これを実施していました。日本のやり方とは随分と違うものと思ったものでした。

 

 叱られるのを恐れて学んだ者は叱られなくなれば止めてしまうかもしれません。しかし褒めるやり方では、褒められる事を際限なくやり続ける事でしょう。ここに、独創性やベンチャーが育ちやすいかの文化の違いが出るのかもしれないと考えています。ただ褒められる文化では褒められなくなると、自意識が満足できなくなって、失速状態に陥りやすく、即ちストレスを感じやすく、時にはその事から何か分らない怒りを生じてテロ類似行為やキャピタルへの乱入事件の様に我々の常識では考えられないようなとんでもない爆発を起こすのかもしれないと考える次第です。米国ではバイデン大統領の元で、従来ワクチンを65歳以上であったものを16歳以上に拡大し、この7月には米国人であるか否かに関らず全米に行きわたるとされ、感染者数が落ち始めています。我々の日本ではEU次第という事でスケジュールもはっきりされていませんが、叱られる文化では、常に一定のストレスがかかっており、「マスクを着用する、人とは距離を置いて生活する」等々コロナ対策等は馴染み安いので案外桁が1つ少ない所で遅いワクチンの到着まで時間稼ぎが出来るのかもしれません。(了)


2021.3.1会報No.97

発展途上国に寄与する日本の底力

当会顧問 加藤 隆

 

 初めに外務省によるアセアン10ヵ国で実施した日本に関する世論調査の結果を紹介しよう。これには長年に亘る日本の官民が一体となった技術・経済協力、投資、人材育成等の貢献が高く評価されている(2018年実施、各国男女300名)。即ち、「この50年にアセアンの発展に貢献した国は?」の問いに対して、日本は断然トップの65%を占め、次いで中国(47%)、米国(35%)が続く。更に「やや」を含めて、日本と友好関係にある(87%)、日本は信頼できる(84%)、日本は世界経済の安定と発展に重要な役割を果たしている(83%)との評価を得ていて、何とも誇らしい。

 

 ここで電気通信・情報通信分野の技術協力について幾分深掘りしてみよう。日本政府のODA(政府開発援助)による援助理念にも変遷がある。1957年、「わが国の国益」を考えての供与という理念を打ち出した。70年代になると、日本のODAは日本企業の利益誘導との批判があり、「相互依存」が加味された。80年代には、「人道的・道義的考慮」との理念を付け加えられ、1992年にはODA大綱で、「人道的考慮、相互依存、環境の保全、自助努力」の4項目が掲げられた。時代の推移と共に日本を取り巻く情勢を勘案し設定されている。

 具体的には、1950~60年代に戦後賠償の一環として、ビルマ、フィリピン、インドネシア、ベトナムとの間に賠償協定が締結され、また戦後処理の一環として、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、韓国、モンゴル、ミクロネシアに対して無償援助等が行われた。そして1970年代にかけて、OECFやJICA設立等援助体制が確立し、有償資金がタイドで供与され、日本企業の輸出振興にもつながり、高度経済成長にも貢献した。1980~90年代には、日本は供与額世界1位へ上り、政府はODAを国際貢献の重要な柱の一つとしてアピールした。またBHN(Basic Human Needs)関係の援助を拡大した。そして1998年ODA予算が減少し、量的拡大が望めなくなる中、質的充実が求められた。更に2014年には「非軍事的協力による平和と繁栄への貢献」「人間の安全保障の推進」および「自助努力支援と日本の経験と知見を踏まえた対話・協働による自立的発展に向けた努力」を掲げている。

 

 それに呼応して、電電公社(当時)も海外技術協力に尽力した。この協力活動分野は大きく三分野がある。その一つが海外からの研修生受け入れで、1955年~95年までに、年間約50ヵ国から約150名を受け入れ、累計で約120ヵ国から約6,000名に及んだ。

 次に海外技術専門家長期派遣である。長期とは2年以上を指す。そして1960年~98年には電電からの派遣者数は延べ678名に達する。内訳はJICA専門家504名、ITU専門家65名、コンサルタント69名、その他NTT 自主専門家、JTEC等である。その模様を下図に示す。図中の人数は当該年の新規派遣者数であり、任期の平均は2.26年なので、実際稼働した専門家数は図の人数の倍以上である。このほかにも任期2年未満の短期専門家は多数派遣されている。JICAの派遣先に関しては46ヵ国に及び、アジア・大洋州が40%以上を占め、タイが最も多く(65名)、インドネシア、パキスタンが続いている。

 そして最後が青年海外協力隊への参加支援であり、1966年から2010年にかけて49ヵ国に対し490名に及んでいる。派遣者は当初技術専門家と同様に人事異動により派遣されたが、その後個人の意思によりJICAの募集に応募している。そして現在も少人数ではあるが続いている。派遣先は中近東・アフリカが多く、約半数を占め、アジア・大洋州、中南米、東欧の順である。

 

 私は電電公社バンコック事務所勤務時代には、アジア・オセアニアで活躍された技術専門家や青年協力隊員と協調した。これら多年に亘って活躍した多くの方々は貴重な海外人材であり、その後のNTT海外業務やビジネスの中核として活躍し、また現在も活躍していることは言を俟たない。また政府の方針として、現在海外技術専門家に代わって、シニア海外ボランティアの制度になり、NTTのOBにもその経験者がおり、私も2年間タイで参加した。そして2008年経験者が核となり本「ICT海外ボランティア会」が発足し現在に至っている。

 

 現在地球上のどの国もコロナ禍に悩まされている。このような障害があっても、海外技術協力の理念は変わるものではない。しかしその実施に当たっては種々の工夫が必要であろう。現在JICAによるシニア海外ボランティアと青年海外協力隊の制度は「JICA海外協力隊」に一体化された。そしてコロナ禍のため、全員が一時帰国を余儀なくされた。今こそ海外技術協力の仕方に工夫を凝らす時であろう。事実、JICAは技能実習生を送り出す途上国と日本が共に繫栄する道筋を見出すフォーラムを準備している。

 

 更には例えばオンラインで途上国に対し技術協力が行えるよう、日本と派遣国を結ぶセキュリティが保障されるオンラインネットワークを構築し提供したり、また途上国での海外ビジネス時に技術協力(技術移転、人材育成等)的要素をタッグして行うことも有効かも知れない。それが次の世代のビジネスにも繋がると考えられる。

 

 「二元性一原論」なる言葉がある。これは現在のような困難から脱却し、次なる飛躍に向けたもので、「車はブレーキ無しで、アクセルだけでは上手に走れない。陽陰両者の融合が不可欠」との考えである。この場合のアクセルは、各国独自の産業推進プロジェクト、文化・伝統・自然・産業・おもてなしの精神等であろう。(了)


2021.2.3.1会報No.97

徒然日記(13)

当会特別顧問 石井 孝

 

「メンテナンスと組織改革」

 

 嘗て勤めていた会社では、何か新しい事を始めるに当たっては、そのための新組織を創るという事が常であった。

 そして、組織を創ると、何か全て終わったと言った感じになってしまう。しかし、実際はこの組織が目的通り機能するかどうかが重要なポイントであるのに。

 大抵の場合は、然るべき人事配置が為されるので、スタート当初はまずまず順調に事が運ばれる。

 しかしながら、放っておくと、事、志した方向とは全く別の、とんでもない方向に走ってしまう事態が往々にして起こる。時代にそぐわなくなるケースもある。

 組織を発足させた当時とは、代も人も変わり、当初の目的は、何時の間にか風化してしまうのである。

 改革などと言うと何か勇ましい感じになるが、経営トップは、こういった事象・事態を丁寧にチェックし、各組織が常に然るべき方向に作動するよう適切なメンテを心掛けることが、先ずもって必要ではないか。

 こういう意味では、トップは常に現場の実情を的確に把握しなければならない。

 組織は生き物である。親が子供を育てるような心掛けで、トップは自分の組織を育てなければならないのある。

 

「ソフトウェアシステムは生き物」

 

 先に、会社組織は生き物である、という投稿をさせて頂いた。実は、ソフトウェアシステムについても全く同様な事が言える。

 莫大な金を掛けて創ったシステムもメンテを疎かにして置くと、とんでもない事故が起こる。改めて事例を挙げる事も無いであろう。

 いったんシステム開発を終え、ソフトウエアを使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生する。この作業を続けていくと便利になる一方で、ソフトウエアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウエアが会社経営(国の場合は国家行政)すべてを支配してしまい、それなしでは仕事ができない状態になってしまう。従って、システムは、秩序ある成長ができるように管理することが肝要なのである。最初の開発は手始めに過ぎず、使い出してからが本番なのである。ソフトウェアシステムも会社の組織と同じように、丁寧なメンテを必要とする、強烈な生き物である事を十分認識して欲しい。

現在、政府が進めてて居る行政システムのデジタル化(ソフトウェアシステム化)は大変結構な事である。老婆心ながらお願いしたい事は、ソフトウェアシステムと言うものは上手に育てる事が何をおいても重要である事を念頭に置いて、メンテナンスを基軸にした開発体制を構築して欲しいという事である。実を言うと、連続投稿の本意はこれを言いたかったのである。

 

「困った」

 

 JICAのシニア海外ボランティアでお仲間であった、ハンセン氏病専門の医学博士の方から、今、NTTで進めている「IOWN」とは何か、素人に分るよう、例え話で教えてくれと、メールが来た。

 さー、「困った」。私はOBであるのに、古巣の「IOWN」解説記事を観てもサッパリ手が付かない。何方か、助けてください。

 因みに、嘗て、同氏から「インターネットは既存の通信網とは如何違うのか、比喩的に説明せよ」と言われた。「運動場に喩えると、テニスはテニスコート、陸上競技は陸上競技場、野球は野球場でやっていたものを、巨大な運動場を拵えて、そこで、野球もテニスもランニングも一緒くたにやるようなものだ」と言うと、「それでは、ランニング中に野球のボールにぶつかったりして危ないだろう」と言うので、「それどころじゃない、うっかりして居ると、レーサーまがいの暴走車が飛び込んできて大怪我する危険性もある」と言ったら、「分かったような、分からん話だが、感じはつかめた」と言われた。

 

再び「IOWN」

 

 「IOWN」の世界を紹介した「IOWNで未来を描くNTTの研究者たち」という著書をサイバー創研の黒田様からご恵贈頂いた。

 一通り眼を通してみたが、浦島太郎が竜宮城から持ち帰った「玉手箱」を一気にひっくり返したら、こんな感じなのかな、などと思ってしまった。率直に言って、眼が回るような感じであった。そして、浦島太郎が玉手箱を開けた時のように、自分も急に年を取ってしまったような感じがした。

 「IOWN」の根っこの所(本質)は、どうもエレクトロニクスからフォトニクスへの完全な大転換にあるようである。

 然らば、例えば音声(空気の物理的振動)をいきなり電子流ならぬ光子流に変復調するメカニズムとは、一体、どんな仕掛けになるのだろうか。

 「IOWN」の実現によって社会生活は変化するであろうが、「IOWN」の基本的テーマは、社会科学ではなく科学技術であろう。執筆された新進気鋭の技術者の方々には、先ずもって、革新的技術の基本となるプリンシプルと、此れを実現するためのテクノロジーのメカニズムについて分かり易く丁寧な解説をして欲しいと思ったが。

 

「世界と日本」

 

 高校数学を復習して思う事は西洋の凄さと日本の頑張りである。

 現在、我々凡人がフーフーいって、一生懸命に鉛筆をなめている「積分」、これは、既に1800年代の中盤にリーマンによって築き上げられた優美な体系である。当時の日本と言えば「安政の大獄」に象徴されるような時代背景であった。つくづく西洋人の凄さと言うか西洋文明の奥深さを感じる。

 日本は西洋に遅れる事半一世紀以上、明治維新以降、大車輪で日本は西洋文明に追いつき、現在では彼等を凌駕するアウトプット(例えばノーベル賞受賞実績など)を出している。これもまた、物凄い頑張りではないのか。

 最近、何か日本は委縮しているように感じられてならない。マスコミなどは徒に祖国を貶めている。

 我々ロートルはさっさと退去するから、若い人たちよ、テンピン麻雀も結構だが大志を抱いて欲しい。


2021.2.1会報No.96

フィリピンの医療と手術のこと

元PLDTチーフオペレーティングアドバイザ

元NTTアメリカ社長

現 株式会社ハイホーCEO

当会顧問 鈴木 武人

 

 我々のフィリピンでの最大の楽しみはスキューバ・ダイビングでした。我々も揃ってSmartの近くで日本人の経営するダイビングスクールへ入学し、先ずは事故への対応、サバイバル法等のレクチャ後に簡単な学科試験を受け、その後に其処に設けられた10m四方しかありませんでしたが深さは十分なプールで実習を受けました。学科は簡単なものでしたが、ダイビングのコツは足フィンを生かす為に自転車に乗るようにゆっくり腰の辺りから足を動かす事でした。これらをへて何とか参加メンバー全員が無事免許を受けました。その後そこで紹介されたバタンガスのビーチハウスで器具を借りて初めてのダイビングを始めました。最初はルソン島の南の海岸で珊瑚礁の色とりどりの熱帯魚と一緒に泳ぐ事で十分満足でしたが、徐々に大きな魚が回遊する海峡へも遠征したくなります。実は免許と言っても今回取得したものは初心者のもので、その上に暗い海でダイビング出来るものや、洞窟へ入れるもの、さらには難破船の中にはいれるもの等のグレードがあり、その上でインストイラクタの免許もあるそうです。

 これは事業に関わる面白い話でしたが、日本から多くの若者がこれ等の免許を目指してフィリピンの海岸、特にマニラから近い元米海軍基地のあったスービック保税区に来ているそうです。其処にはリーゾナブルなリゾート施設があり、そこで暮らしながら免許取得に励むのですが、その傍ら日本へのコールセンターで働くのだそうです。従って、若者の費用負担は殆ど無く、また施設は利益があげられると言う訳です。最近は、英語取得の為のフィリピンへの留学を受入れるものや、コールセンターを利用して遠隔で1対1の英語会話教室等色々なサービスが出てきています。

 何回目かのダイビング中に恐ろしい経験をしました。それは到着が夕方近くになってしまったのですが、島と島の間の海峡でアメリカ人の仲間とスペイン人のインストラクタに従って行ったダイビングでした。地形の説明を受けた後、潜水を開始してホバリングで相互の状態確認をして居た際、沖側に居た小生がいきなり海流に背を捉まれて流され始め、更に急速に沈下が始まったのです。上を見ると既にメンバーの人影が遥かに小さくなり、周囲は真っ暗、深い井戸の底から空を見上げている感じになりました。小さい穴の様になってしまった空に恐怖を感じ、近くの岩壁に掴まろうとしますが、沈下速度の為に何度も撥ねられて掴む事が出来ません。空気ポンプを押しても変化が無かったので、最終手段の錘をはずした頃から徐々に海流に逆らって上昇を開始、その直後に海流から外れたのか、急速上昇となりました。そのタイミングでインストラクタがようやく追いついて、小生の頭から身体を抑え、二人でホバリングを始めました。潜水病を防ぐ為の処置として承知していたので、そのまましばらくその状態を続けて、その後ゆっくりと上昇しました。インストラクタによれば50m以上もぐってしまったとの事でした。さすがにその日は終了として、メンバーで夕食、飲み会でした。インストラクタからは暫くの間は飛行機に乗ってはいけないと念を押されたのは言うまでも有りません。

 その件から1月後、Smart役員会メンバーに義務とされたSt. Lukes(日本の聖路加と同じ米国の系列病院)での健康診断を受けた際、自覚が無いのに問題が発見されました。即ち、一日目に実施した検査では問題無しでしたが、それを前提に翌日実施した急傾斜を全速で走るトレッドミル、即ち身体に負荷をかけた状態の心電図で異常が出たのです。直ぐに心エコー検査を行い、心臓内での逆流が見出されました。病院にそのまま残され、専門医が呼ばれて今度は直径30mm程の棒状の器具を食道に入れる、とても苦しい経食道心エコーを実施し、僧房弁腱索断裂と確定しました。食道エコーは心臓の直近の食道からエコー測定をするので大型液晶画面に自分の心臓の中が綺麗に映されます。心臓自体は規則正しく動いていたのですが、スイッチの様な弁が塞がらずに、その先に細い糸の様な腱策がふわふわ踊っているのが見えました。医師の説明では、我々世代の少年期に世界的にある種の風邪が大流行したようで、これが原因でリュマチ熱(リュウマチとは違います)を起こし、多くの方が関節炎、腎炎等にもなったそうです。思えば小生も中学1年の頃までに一連の病気を経験しています。この菌の残渣が僧房弁や三尖弁等の組織の先端に石灰化して残り、それが反対側の弁の腱策を削りやすくなった状態で、急速潜水が契機になって断裂させ、僧帽弁の閉鎖不全を起こしたと思われると言うことでした。大雑把に、この関係の病名は『急性心不全』とされ、死に至る事例が我々世代に統計的に高くなっているという事です。

 その心臓センター長の医師Dr.Cariehaから、私の場合、『何時死んでもおかしく無い、またその死に方は、

①ポンプ力の強い心室から逆流した血液が圧力で肺を破り、結果として5分程で窒息死する。これは肺に血液が充満した状態の窒息死で大変苦しい。

②逆流によって心臓内で生じる血栓が脳血栓を起こし、即死はしないものの周囲に非常な負担をかけながら結果的に死亡する。

③逆流によって身体の酸素が不足し、心臓がこれを満たす為に過度に働くことによって心筋が破断、いわゆる心臓爆発で、これは数秒の即死でラッキーなケース。

の三つがあるが、貴方にはその選択はできない。選ぶ事は緊急的な手術しかない』、と説明されました。Smartからは人工心肺手術のために何十人もの社員が献血を申し出てくれたそうです。状況をNTTComの鈴木社長に報告し、NTT関東病院の医師に相談した所、『技術や設備は全て米国からのもので問題は無いが、日本ではAIDS騒ぎで自己血手術法が確立して2年が経過し、安定したといえる。予後を考えれば輸血せずに手術できればこれに越した事はなく、これを利用する方が望ましい』との事で、収容できる東京女子医大を紹介戴きました。自己血手術とは、手術前の1週間程度、増血剤を処方しながら1日300cc程度採血して手術の際に必要な輸血に備えるものです。

 小生は幸いにも心不全の状態が検診で発見されたことで手術に至り、上記三つの死に方による死を未然に防ぐことが出来た事になります。日本でも負荷をかけた検診は医師に要求すれば可能だそうですので、一度是非お試しください。

 当時の術式は弁全体をチタンやカーボン製の人工弁(耐用80年だそうです)に入れ替える弁置換と、破断した腱索に繋がった弁尖の一部を取去って縫い合せる形成術の二つがありました。もっとも最近は破断した腱索自体を特殊な糸で修復する方法もあるそうです。人工弁には術後の血栓予防の為の抗凝固剤処方が不要な豚の弁を加工した生体弁もありますが、10年程の寿命に過ぎず、また縫い合わせでは弁開口部が小さくなって血流が全体に少なくなって、勿論運動も出来なくなるそうです。結果的に小生が受けた正中開胸手術は胸を開き、ネクタイに似た位置と形状の胸骨を外して心臓を露出させて天然の弁を撤去し、チタン製の弁に交換するもので、体温を下げて口から直接心臓へ繋ぐ人工心肺によりました。完全な麻酔で行われますので、本人の術中の苦しみは感じません。ただ、手術の直後は自分の血液を水で薄めて人工心肺装置を満たしているので、その水を抜く必要が有ります。勿論口から心臓に直接繋いだ器具は術後も入っており、勿論話すことは出来ず、何も口には入れられず、喉が死にそうなほど猛烈に渇いて苦しみます。手術前の説明で喉が渇くことを聞いていればあれほどに苦しまなかったと思います。面白い経験に、手術室からICUに送られた時の家族との面接がありました。医師が家族に手術が無事終わったと見せるだけなのですが、喉が異様に乾いていると訴えようと娘の手にカタカナでミズと書いて知らせようと何度か試みたのですが、これが通じません。このいらいらが酸素を消費するのか、警告が点滅しだして医師が『麻酔が効いているので、この状況は患者の妄想であったり、また覚めた時に記憶している事はまず無い』と切り上げられました。退院後、はっきりその場のやり取りを覚えていたのは、医師の理解とはかなり違っていました。

 手術の翌日には婦長がベッドの周りの捉まえ立ちを指導し、翌々日には廊下の散歩となりました。その散歩中に血栓が飛んだのか、意識していれば問題無く物を持っていられたのに、無意識になると物を落としてしまう不思議な感覚を味わいました。廊下で様子を見て居た看護婦長の迅速な対応で、直ちにCTで確認し、血栓を除くためにヘパリンの点滴投与が開始され、その後は特に問題も出ませんでした。速い処置が有効だったのでしょう。この時期にNTTComの担当者が幾つかの相談、また契約資料の確認等に見えました。意欲は有ったのですが、集中してしばらくすると酸素量が足りなくなったり、脈拍が乱れたりし、看護婦長がとんで来ました。担当者には気の毒でしたが、追い返されてしまい、申し訳ない事をしました。

 落着いた頃、廊下の散歩を開始、その際、別の病棟へ案内されました。其処は大部屋で、何と十数人の患者が革バンドで寝台に括り付けられていました。手術が怖くて病院を抜け出し、家へ帰っては家族から病院へ戻されるのを繰り返し、手術への恐怖、また誰も信じられなくなった状況で精神に異常を来たした患者を収容している所だそうでした。手術の前の晩に外出許可をとっては居ましたが、言わば思い残す事が無いようにと床屋と風呂屋へ行き、ついでに近くの割烹(熱海と記憶しています)で河豚料理を堪能して居た小生を、あちこち連絡して探した婦長から、その晩大目玉を食らった理由がこれでした。

 血栓が飛んだ事から入院期間が当初の予定よりも長くなり、その後のプロジェクトへの復帰に不安であるとのレポートが行ったのでしょうか、鈴木社長と退院の数日後に面談、初めて酒を飲み、『なんだ、大丈夫ではないか』との言葉を戴いて復帰が決まりました。1ヶ月以上の禁酒状態からの復帰で、酒の味が身に沁みて美味かった事と、利きが良かったのが忘れられない思い出です。

 所で、手術に日本へ戻る際、知己を得ていた現地航空会社の責任者に単に『宜しくたのむ』のつもりで、話しをしたら、『その状態では飛行機には乗せられない。現地での手術が望ましい』と返事されてしまいした。そこで既に日本での自己血手術を受ける事で了解をとっていた現地の医師に相談した所、飛行機でのリスクを最小限にする事が出来ると、血圧と心拍数を抑える処方をしてくれて、頭痛とふら付きが有りましたが、航空会社には黙って機乗し、帰国して手術を受ける事が出来ました。

 フィリピンに戻って仕事に復帰し、現地の仲間と雑談も出来るようになった時に、何が有ったかを、献血の申し出への感謝と共に詳しく話しました。その時の皆の反応で、『人工弁の話はしないほうが良い、もしかしたらその弁を狙って襲って来る輩が居るかもしれない』といわれ、やっとフィリピンに戻ったと言う実感がしました。


2021.2.1会報No.96

徒然日記(12)

当会特別顧問 石井 孝

 

「肺結核」

 

 こんな事を言うと不謹慎の極みだと言われそうだが、敢えて投稿してみることにした。

 昨年は、年がら年中、コロナ、コロナであったが、幸いにして小生の知り合い、親戚等には、今のところ罹患者は出て居ない。

 所が、嘗て一世を風靡した伝染病の「肺結核」の際は、親戚や近所の人達が大勢罹患した。自分自身も危ない所であった。

 こちらの病もコロナに劣らず致命的な豪病で、古くは労咳などと言われ、長い間、人間を悩まし、苦しめたが、当時、マスコミ等と言ったものが無かった所為か、大騒ぎにはならずに諦めの状況にあった。

 この豪病もペニシリンの発明により征服され「不治の病」から「治療可能な感染症」となり、先進国での感染者は急激に減少し、平均寿命の延びた日本では、いつしか過去の病となった。

 そこで、今回のコロナ対策である。手洗い、マスク、三密を避ける等の対応は必須かも知れないが、あまり空騒ぎのような事はせずに現代医学の成果を待つしかないのではないか。

 

「シバレン」

 

 久し振りに「シバレン」の短編集「剣鬼」を読んだ。

 柴田錬三郎の小説『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞したそうである。

 氏の作品は純文学と大衆文芸の双方に、根を張った「面白い」を通り越した深い味わいを感じる。

 藤沢周平氏の作品なども同様の系統に挙げられるのかも知れない。

 うまく表現出来ないが、柴田錬三郎氏の作品にはニヒリスティッなロマン主義とでも言おうか、名門珈琲のほろ苦い香りが漂う。

 

「夜のピクニック」

 

 第二回の本屋大賞を獲得した恩田陸の傑作である。巧妙なステージ設定と巧みな登場人物のセレクションを行ったの上でのストーリー展開は誠に見事で、とても面白い。

 恩田陸の卓越したセンスと頭脳をうかがわせる。これを文学というか如何かは知らないが、女性にしか書けないnovel(新奇な)なstoryである事は間違いない。

コロナの鬱屈を忘れさせるには持って来い、の読み物かも知れない。

 

「ガダラの豚」

 

 52歳でこの世を去った中島らもの小説である。この作品のテーマは呪術・超能力・奇跡であるが、ただならぬ奇才を有する中島らもの筆にかかると興味津々たる物語になる。

 小説の中に、そこはかとなくながれる剣豪小説などとは違った、バイオレンスへの思郷にも心惹かれる。これは男が書く小説で、先に読んだ「夜のピクニック」とは対極的である。

 また、小説に関わった参考文献が極めて多義にわたっている。中島らもは大変な勉強家でもあったようだ。

 もし、彼が生きていて、現在のコロナ騒動を小説化したらどんなモノになるのだろうか。

 

「アンデルセン」

 

 手当たり次第の乱読、今度は「アンデルセン傑作集マッチ売りの少女/人魚姫」(天沼春樹訳新潮社)である。

 表題を含め15編の作品が収録されている。昔、絵本などで読んだことはあったが、じっくりと読んだのは初めてであった。

 これは子供ではなく人生の苦節を経験した大人向けの「童話」ではないか。凄惨で怖さを感じる。

 

「短編小説」

 

 どちらかというと、長編小説より短編小説の方が好みである。珠玉の逸品などと言われるモノが短編の中にある。

 作家の思想や想いが、彼の技巧とたくみにからみ合って短い作品の中に凝縮し、得も言われぬ味わいを醸し出す。

 藤沢周平の短編集に「海坂藩大全(上、下)」がある。表題を自分の毛筆でしたためただけあって自信作を集めたものであろう。実に面白い。

 

「下戸」

 

 宮本輝と宇江佐真理を交互に読んでみた。後味は、宮本はほろ苦さ。宇江佐は甘酸っぱい。好みの残り味としては、宇江佐真理だ。

 それにしても、お酒の飲める方は羨ましい。私は全くの下戸で、ビール一口で頭が痛くなる。

 友人と語り合う、憂さを晴らす。お酒飲みが羨ましい。

 

「浮雲の剣」

 

 表題「浮雲の剣」に惹かれて、古川薫氏の小説を初めて読んだ。直木賞作家とは知らなかった。「男心」とは何かと言ったところを色々と探っているような感じがして、中々面白かった。文章も上等な三杯酢を使った心太のような口当たりで、とても爽やかな感じであった。氏の作品を探してもっと読んでみよう。

 

「宇江佐真理」

 

 むしゃくしゃしたり、気が滅入ったりした時、飲んだくれたり、胃でも悪くする薬など飲む事はない。

 市井の人々の人情を描いた「宇江佐真理」の小説を読むといい。気分転換が出来る。

 読み出すと、何となくふかふかしたソファーに寝転んでいるようなリラックスした気分になり、おまけに、読むにつれてほろりとさせられる。

 些かオーバーな言い方をすれば、心が洗わると云うヤツかもしれない。「宇江佐真理」はお薦めである。

 

「植松三十里」

 

 吉山様、「桑港にて」と「燃えたぎる石」を読みました。仰る通り、良いですね。上等なレモンスカッシュです。

 「燃えたぎる石」の中で、つぎの一節がありました。色々と現役当時を思い起こしてしまいました。

 「異国人というのは、こちらが隙を見せず、誇りと誠意をもって接すれば、向こうも誠意を示す。むやみに恐れる必要はない。怖いのは、むしろ同胞だ」

 何も異国人に限った話ではありませんね。

 

「眠狂四郎無頼控百話」

 

 表記の長い、長い、小説を、コロナ払い、猛暑払いに読んでみた。あっちへ行ったり、こっちに行ったり道草を食いながら殺人剣を振るう。

 昨今人気の剣豪小説とは一味も二味も違う。面白いと言えば面白いが、ハッピーエンドが無い心の遍歴は何とも重苦しい。

 これが剣豪文学というものなのか。コロナ払い、猛暑払いにはエンタメ専一の剣豪小説の方が向いているかもしれない。

 

「男気」

 

 童門冬二の長編に「平将門」という小説がある。彼の描く将門は無類のお人好しで男気があり、そして、強い。女性にもてる。私のような 出来の悪い男から観ると羨ましい限りである。

 しかし、良い事ばかりでは無い、寧ろ最悪である。他人の良さに付け込まれ、騙され、裏切られ、いいように利用されて滅びてしまう。

 こういった人は、小説の中だけでなく、実際存在する。読んでいて、さる友人を思い起こした、彼は、女性にはもてなかったが、それ以外は、童門冬二の「将門」にそっくりであった。

 彼を思い出すと、小説を最後まで読む事が如何にも辛かった。


2020.12.1会報No.95

個人と社会

当会顧問

東京大学名誉教授

吉田 眞

 

投稿者は、海外や日本の非営利の諸機関・団体で活動しその運営に永年参加してきて、西欧と日本の考え方、行動様式について数多くのことを体験し学ぶことができた。本稿では、これらの経験と日頃感じることに基づいて、個人的な見解を述べる。

本稿は、COVID19が深刻化する前にまとめたものを元にしている。本稿ではこれに若干の考察を追加しているが、現時点でCOVID-19の種々の影響が進行中であり、今後については今の段階では予想できない。このため、今後長い期間のフォローが必要と考えている。

(注)本稿は、一般社団法人「日本オープンオンライン教育推進協議会」のメルマガに掲載された内容に加筆修正を加えたものである。

 

1.西欧と日本

(1) 流動 vs 定住

 

西欧では、歴史的に多民族が相互に接し、移動し、混在し、生活・政治・経済環境が常に流動的であった。このため、個人・集団・社会間での意思疎通のために、まず相手の言語・文脈の理解が必要で、次に各主体間の“折り合い方”を合意せねばならなかった【1】(【 】は本稿末の参考資料番号を示す、以下同じ)。こうして、主体間の交渉と合意に基づく相対的な関係づけ・取り決め(契約、条約など)を行うことが全ての基盤となっている。そのためには、まず自己を確立することと自己の外部に対する相対化が基本となる。

日本では、例外を除いて歴史的に外界との(特に直接の)接触が殆ど無く、一般人は生まれた土地で一生を過ごし、国外は勿論、国内の他の地域(の人達)との接触も無いのが普通であった。これにより通常生活の場は同一言語で意味・文脈が共有され、特に説明しなくとも誤解なく通じるため、意思疎通に多くの情報が不要となった(主語の省略、指示代名詞の多用など)。この世界では、個人の集団・社会との折り合いのつけ方は、西欧とは異なり、所与で無変化の環境と所属集団への適応が基本となる。社会の基本は「内部の決まり、しきたり」であり、折り合いの基本は「集団のルールを守る」ことになり、自己の確立や相対化とは無縁になる。

こうして、西欧では外部との交渉、日本では内部への適応となる。

 

(2) 成す vs 成る

 

上記のような環境は、以下の特徴に繋がる。

西欧では、他動詞と能動態が基本である。すなわち、「何が何に何をするか」、「物事は成すもの」が基本となる。個人が周囲の状況を、自ら観察・把握して、自分自身の意志や評価・判断に基づいて行動を決定し、「主体的に思考し、行動する」ことが必須だからである。

物事は自然に“成る”ものではなく、誰か/何かが“成す”のであり、「自然」であってもそれが持つ力(神)が成すと考える。民族が移動し、新しい土地を開拓するような世界では、自己の力と関係者の協力(個人と集団の統合)が頼りであった。これが「社会を変えるのは自分」という意識を持ち、行動に移す原動力となってきた。これは、「人間の都合で自然をも変える権利がある」という考えに繋がっている(注)。

(注)聖書に、「神が『我々にかたどり似せて人間を作りすべてを支配させよう』と言われた」とある。

 

日本では、自動詞と受動態が基本である。「何がどうなる」「物事はなるもの」が個人の考えと行動の原理だからである。即ち、物事は自然に決まっていき、与えられるものと理解される。これは、自分の意志には関係ない。とはいえ他から動かされているという理解でもない。「主体的」の反対語は「受動的」であるが、単に“される”意味の受動でなく、世の中は自然に流れるという世界観にも基づいている。

一方で、急速に変わることがあるのも日本の社会の特徴の一つと言えようが、理由は内部変革ではなく、外部からの圧力・環境の急変が要因となっている。時に諦め、それが自分の考えだと信じ込んだり、意図的に信じ込ませることも起きる。これは、人間も自然の一部という自然観とも繋がっている。

以上の議論は、生命維持のため常に動き回らねばならない狩猟民族(自分が行動することが基本)と、耕作地の準備から収穫まで1年間天候頼みで待つ生活を送る農耕民族(自然に任せることが基本)の相違として議論されることも多いが、本稿では省略する。

こうして、西欧では「台風が災害をもたらす」「お皿を壊した」だが、日本では「台風で災害が起きる」「お皿が壊れた」となる。

 

(3) 客観 vs 主観

 

前記の議論は、言語学の文献によれば、「客観的表現」対「主観的表現」ということに通じる(例えば【2】)。即ち、

欧米では、自分の外に出て「外から見える」ことを表現する「客観的表現」が使われる。これは、(1)項での議論の「まず自己を確立することと自己の外部に対する相対化が基本となる」ことが理由である。

一方、日本では、「自分から見える/見えた」状況による自分の感情・判断の「主観的表現」が使われる。これは、(1)項での議論「所与で無変化の環境と所属集団への適応」が相対化を排除し、自然と「その中で見て、見えることを理解する」ことでよい行動様式に繋がることによる。

なお、【2】では、日本語での受け身表現は、「話し手のコントロールの及ばないところで何かが発生し、かつそれが自分の方にベクトルが向いている」ことに依っていると論じている。このことは、上記の(2)項の議論と符合する。

客観と主観とが相互作用するところを「場」として考える「”場”の共有の有・無」という論がある(例えば【3】)。即ち、異民族同士のような、”場”を共有していない場合には相手に自分の立場を説明する必要があるが、共有していれば改めて説明の必要はない。(1)項の議論で触れたように、西欧は非共有であり、日本は共有である。なお、【3】によれば、「日本語は自己中心的であると表現される場合があるが、自己中心的なのではなく、自己が置かれている場中心的なのである」。

主観的な表現は当然ながら情緒的表現に繋がる。客観的な表現では、私情は排除される。

 

(4) 開放 vs 閉鎖

 

さらに、上記のことから、以下のような個人と社会の関係の相違が認識される。

西欧(特に米国)では、個人が生活していく際に生じる諸問題は“社会の問題”と捉えて、問題を抱える個々人が社会の中で自立でき、共存できる社会的な仕組みを作り改善しながら社会を構築してきた。例えば、障害、貧困などの問題は、これを抱えた人だけの問題ではなく、自分に起きうる問題として、社会の仕組みを造るのである。個人が社会を構築し、社会が立場の異なる個人を包摂するという考え方がその基本にある。これは様々な人が社会を創っていく多様性を保証することにもなる。

これに対して日本では、既に存在する社会の仕組みを枠として、これを外れることは本来社会の問題であっても、その問題を抱える個人の問題(自己責任)とする。この固い仕組みが、変化に弱く、多様性を排除し、"out of box"で考えられない要因となっている。そして、これが教育に公的投資をしない要因の一つとなっている。

こうして、西欧では「人が社会を形成して」きたが、日本では「人は社会によって成形されて」きた。

 

(5) 責任

 

以上の議論内容に起因する現象として、日本では同調・同化できない/しない者は排除し、差別に繋がる(いわゆる村八分)。このため、常に大勢・主流の中に自分が居るようにして身の安全と精神の安定を図る。自分が関係する件で不祥事が発生した際には、責任をあいまいにし、穏便にすませようとする。一方で、自分が直接関係せずに社会的に注目された件については、徹底して一斉に犯人捜しをする。また、失敗や不都合については、そのこと自体についてよりも、これを起こした当事者を責め、差別的な言動をとる。COVID-19感染者を激しく責めるのもこの精神性から来ている。特に、SNSなどの最近のネットコミュニケーションの普及により、その速度も程度も極端化している。

これは、日本でイノベーションを妨げている最も大きな要因の一つである。

欧米(特に米国)でも、最近の分断の拡大による現象として、意見の異なる者(集団)を敵視し、攻撃することが目立つようになっているが、相手が社会的弱者である場合は、同様に差別として現れてくる。欧米では、異論を尊重し会話と対話で問題を解決することが基本であり、これがイノベーションの原動力となってきた。何が起きているのかについては、以下で若干考察する。

 

2.最近の事象について

(1) 格差と分断

 

ネット・IT社会の進展によって、格差と分断が急速に拡大している。欧米では、これらに難民・移民の問題、さらにはCOVID-19の拡大が絡み相互に折り重なって、より複雑化している。「私が第一、今の自分の幸福」「対外関係は全て取引」「敵か味方かで峻別」での行動が、フェーク情報の氾濫によって増幅され極端になり、種々の対立が目立つようになっている。欧米の基礎であった「個人の問題を社会の問題として、社会問題を解決する仕組みを造る」が、果たしてこのような状況においても有効に機能するのか、どう変化するのか、大きな懸念がある。

米国は、移民で造られた合衆国であるが、建国時には上述の英国と欧州での(男性社会の)原理・価値観に基づくアイデンティティを持つ集団だけであった。(当時、黒人を中心とする奴隷は「モノ」であり「人間」ではなかった。権利から見ると政治的には婦人も同様で婦人参政権が発効したのは1920年である。)

その後、西欧以外からの移民が増えたが、これらの移民は上記の価値観を受け入れる(暗黙に出自の価値観は棄てる)条件で社会に入っていった。しかし、その人数が増えると、建国時のグループとはもともと異なる「自分達の」アイデンティティを持つ集団の文化・価値観を意識するようになる。これは子孫にも引き継がれ、ルーツの異なる複数の集団を形成する。これが分断の大きな要因の一つとなっている。

さらに、これらの集団の相違が支持政党の相違と結びつき、 特に米国での政党支持層の分断は、ここ数年、特に2016年の大統領選挙を経てさらに顕著となっている【4】。

日本においても欧米ほどではないが格差と分断は問題化しており、上記の(5)のような風潮が目立つようになっている。どういう社会を作っていくのか、そのためにどのように対応していくか、大きな課題である。

 

(2) COVID-19の影響

 

最初にお断りしたように、本稿ではCOVID-19の影響については考察できていない。何よりも考察するにはまだ早すぎるが、日常が失われ、様々な変化が起きており、上記の問題はさらに極端化する恐れがある。現在進行中の変化のどれが新常態(new normal)となるのかは現時点では見通せない。新型コロナ禍が収束した後に(収束するとして)社会は、個人の在り様は、そして世界はどうなったのかを、考察できる日が来ることを希望している。

コロナ禍は、弱者への不寛容と攻撃による打撃が大きく、さらに格差を広げる。西欧では、移民、文化、格差と分断、などの要素がありこれらの影響が、従来の議論を一層複雑化させている。

欧州では、経済と移民増の問題が主要因と言われている。従来、移民する者は、自己のアイデンティティと受入れ国の規範・価値観とを個人レベルで整合させてきた。これに対して、近年の難民を含む移民が増加したことにより、これらの人々が集団として元々持つ規範・価値観との軋轢が表出するようになったことが問題の要因となっている。

特に、米国については、COVID-19 の猛威とともに、上述した党派・格差による分断が顕著となっている【4】。米国の動向は現在、将来の世界に大きな影響を与えるため、この分断をどこまで修復できるのか、折り合いはつくのか、が大きな懸念事項である。

日本では、1項で議論した特質により、同調、自制、忖度などへの社会的圧力が一部においてだが、極端化する傾向がみられる。

今ほど国際協調が重要な時期はないが、世界の潮流はむしろ反対の方向であるように見える。グローバル化が完全に元に戻ることはないであろうが、今後は、自国、自州、自県中心の「ボーダー化」も進むとの予想がある。

人間の基本は「触れ合い・協働」であり、これで社会を形成してきた。「移動・接触の制限」で、今後人間と社会がどのように変わるのか。何が新常態になるのかが判るには、相当長い年月がかかるであろう。

「自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから」(緒方貞子)【5】

「平和」を「繁栄」、「安全」、「利益」などに置き換えても同じ。

 

参考資料

 

【1】東浩紀:「ゲンロン0 観光客の哲学」、株式会社ゲンロン、20174

【2】橋本陽介:「「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし」、光文社新書、20208

【3】大塚正之、岡智之:「場の観点から認知を捉える」、 201212http://www.u-gakugei.ac.jp/~gangzhi/wp-content/uploads/2012/12/JCLA2016%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E3%83%BB%E5%B2%A1%EF%BC%89.pdf 

【4】なぜアメリカはここまで分断したのか 3つの「巨大なうねり」に答えがある、2020106

https://globe.asahi.com/article/13789766 

 「ライバル政党は『恐怖』だ」 選挙を楽しむ国だったアメリカ、この亀裂はなぜ、2020106

   https://globe.asahi.com/article/13789150 

【5】国連スピーチ名言・金言集 

   https://ngo-fsun.org/fsun/famous_quote/ 

以上


2020.12.1会報No.95

徒然日記(11)

当会特別顧問 石井 孝

 

「菅首相 行政のデジタル化 システム統合を令和7年度末までに」

 

 大変、結構な事である。ただ、こう言った大きなシステムを運営・維持管理する実行組織をしっかりと創って欲しい。これは、言うならば行政そのもののコンピュータ化であり、類例を挙げれば銀行システムのようなものである。いったん手を付けるとシステムは成長・拡大を続ける。システムの開発を伴ったメンテ作業は、際限なく続くものと覚悟しなければならない。下請け任せのいい加減なスタートをしたなら、とんでもないしっぺ返しをくう。管理中心のお役所仕事ではなく、実作業を自ら実行・実施する責任を持った部隊を当初から準備して掛かって欲しい。

 

「ウェッブ・ミーティング」

 

 先日、初めて「ウェッブ・ミーティング」なるものを経験させて貰った。世に聴く「ウェッブ・ミーティング」とはどんなものか、本当にリモート・ワークなどに適するのか、正直の所、よくわからなかった。

 実際に経験してみると、幾分、インダイレクトな感じにもなって、結構、率直な発言が出来る。

 全てが「ウェッブ・ミーティング」で事足りるとは思わないが、ミーティング・ツールとしては活用の余地が十分あると思った。

 

「何処へ行ったRD

 

 我々が勤めを始めた頃を想うと、企業は、自己の礎を築くため大層RDに力を入れて居た。特に技術をベースにした事業にとって、これは至極当然な事であった。所がどうであろう、昨今、このRDという言葉が、我が古巣からも一向に聞こえて来なくなったような気がしてならない。

 嘗てのRDの主たる目的は、ハードウェアを軸にした機器や装置の技術革新を事業経営に取り込むことであった。

 社会システムが高度化・複雑化の道を急速に辿る今日、単なる機器や装置の技術革新では事足らず、企業システム全体の高度化・合理化する術としての所謂システム開発の重要性が増してきた。

 これに対しては、言うまでもないが洗練されたソフトウエア技術のフォローが不可欠である。兎も角も、技術立国を導いた嘗てのリーダー達はRDの神髄を十分に理解し、実践に努めて来た。

 現代のリーダー達よ、ソフトウエア技術を軸にした新たなるRDに誠心誠意チャレンジし、新たな技術立国の道を打ち立てて欲しい。

 

「しぶとくて強い強い雑草」

 

 私の家にはあまり広くはないが庭のようなモノがある。この時期になると、強力な外来種なども混ざった雑草が茂りまくって大変である。手で摘み取れば良いのだが、腰が痛むので簡便な草刈り機で刈とるのだが、またすぐ出てくる。「雑草の如く生きる」などというが、実にしぶとい生き物である。

 ただ、可憐な花を身につける草花を無残に刈り取るのは些か抵抗感も覚える。

 さて、話は変わるが、このコロナ騒動で航空機業界が大変である。国際化とかグローバル化と言われる波に乗って、ビジネスや観光客の激増で我が世の春を謳歌していた花形業界が今回のコロナで大打撃である。

 よくよく考えてみると、このような事は、特に目新しいモノではない。私が世話になっていた電話事業も似たような状況を経験した。

 戦後、社会や経済が大きく復興・復旧する中で通信の重要性が急速に高まった。その中で通信の要であった電話事業を独占した日本電信電話公社は、或る意味で我が世の春を経験させて貰った。

 所が、通信の自由化とインターネットの急速な普及は通信業界に突如として激変をもたらした。

 電話料金は激安となり、電話料収入を主体で飯を食っていた事業は、文字通り泡を食うばかりである。

 今、NTTは、我々ロートルOBから観ると、何が何だか分からないぐらいの子会社だらけである。正直の所、司令塔の持ち株会社は、一体何を主体にして事業経営やっているのやら、と思った事も屡々であった。

 しかし、ここの所のコロナ騒動でふと気付いた事がある。子会社群を雑草などに喩えたら失礼かも知れないが先輩のよしみで容赦願いたい。

 「しぶとくて強い強い雑草」群が茂っている限り、その企業は少なくともまる潰れる事は無い。それらの中には「野に咲け、蓮華草」もあるだろうし、巧く行けば新種の花形に生まれ変わる可能性を十分秘めている種もある筈である。

 考えてみれば、名花とよばれているモノも、元をただせば雑草の花であったのだ。

 

「赤い夕陽の故郷」

 

 ユーチューブをサーフィンして居たら、偶々三橋美智也の「赤い夕陽の故郷」に行き当った。

 学校を卒業して就職し、翌年から名古屋の市外電話を扱う現場に配属になった。

 当時、市外通話は今のような自動接続でなく、全て交換手を通した手動接続であった。

 その年、東海地方は伊勢湾台風に襲われ大変な被害を受けた。親戚などの安否などを問う通話で輻輳する中、電話回線も台風による甚大な被害を被り、疎通は捗らず、交換台には通話を要求する交換証が山積みになるばかりであった。

 何とか峠を乗り切り、輪番勤務の泊まりの作業を終えて、作業着から通勤服に着替えていると、隣で相棒が「赤い夕陽の故郷」を口遊み始めた。

 家を離れるのは初めての事で、家にはまだ電話もなく、そちらの被害は如何なっているかもさっぱり分からない。

 「赤い夕陽の故郷」が、初めて故郷というものを意識させる歌となった。


2020.10.1会報No.94

ゼロからのソフトづくり余話

当会特別顧問 石井 孝

 

 ソフトウェア開発の経験が全くない素人集団を率いて、100%外注に頼っていた基幹のソフトウェアを内製に切替えるプロジェクトに取り組んだ。

 若手にソフトウェアを作れと要請するのであるから、責任者である私がメンバーの誰よりもソフトウェアを理解しておかなければならない。回路設計をしていた時お世話になった上司の腕を思い出し、こう考えた。

 そこで自腹を切ってパソコンを1台購入した。当時、プリンター付で47万円であったと記憶する。仕事とは別に、自宅でプログラミングの独学を始めた。プログラムが書けるようになると、実際のアプリケーション(応用)ソフトウェアを作ってみようと考えた。

 たまたま親戚が町工場を経営していた。そこへ行って、「経理システムを作ってやる」と宣言、開発を始めた。ついでに簿記の勉強もしたが、3ヶ月ほどでギブアップした。会計業務にかかわる知識が足りなかったからである。ソフトウェア開発には業務知識も必要であると、実体験を持って感じた。

 次は業務が分かるものに挑戦しようと、給与計算ソフトウェアの開発に挑んだ。1ヶ月ほどで作り上げ、今度こそ完成したと喜んだのもつかの間、すぐに改善要望がきた。「操作がしにくいので変えてくれ」、「エラーが発生して動かなくなった。どうすれば直るのか」。利用者というのは作り手の想像もしない操作をすることがよく分かった。そこで、操作方法を工夫したり、エラー処理を盛り込んだりした。

 「ボーナスも計算できるようにしてほしい」などといった機能拡張の要望も出た。こうしたやり取りを続け、給与計算ソフトウェアが完成するまでに1年を費やした。複数のプログラムが連携を取りながら、1つのシステムとして動くことの難しさを身をもって痛感した。また、「システムは1年くらいやらないと、まともなものにならないな」とも思った。この経験は仕事で大いに役立った。

 本業の交換機ソフトウェアの方は、ひたすらソースコードを読み続けていくうちに、段々とソフトウェアの論理的な意味が分かるようになっていった。そこで見よう見まねでプログラムを書き始めた。

 ただし、読み書きの練習だけでは成長しない。実戦が重要である。そこに舞い込んだのが、IGSというプロジェクトであった。IGSとはNTTと同時に生まれた新電電会社とNTTの市内網を接続するゲートウェイのことである。IGSのソフトウェア開発規模はそれほど大きくはなかったので、思い切って引き受けた。

 試行錯誤を重ねるうちに、段々とプログラムを書けるようになっていく。そうこうしているうちに、プログラムが何本も出来上がってきた。一瞬喜んだが、すぐ次の難問に突き当たった。それはソフトウェア開発の作業量やスケジュール管理をどうするかである。

 ソフトウェアは目に見えない。メンバーがいる現場を回っても、進捗度合いはまったく把握できない。「どうだ、順調か」とメンバーに声を掛けて「うまくいっています」あるいは「困っています」といった会話をするだけだ。これではスケジュールどおりかどうかを感覚で判断するしかない。

 担当者が「明日までにはできます」と言っていたが、完成したのは1週間後だったとか、「品質には自信があります」というプログラムがバグだらけだったということは日常茶飯事であった。

 ソフトウェア開発の品質と納期をどうやって管理していけばいいのか。関連する書籍を読みあさった。ある時、IBMが実施しているプロジェクトマネジメントのセミナーがあった。早速参加してみると、講師がスライドを使いながら解説してくれた。驚いたのは、バグの発生率を示す数式があるという話だった。開発工数や進捗の度合い、プログラムの本数などに基づき、ある数式で計算するとバグの発生率が算出でき、実際に発生するバグとの誤差は5%の範囲に収まるという。

 バグの件数が計算できるなんて本当なのか。数式そのものを教えてもらおうとしたが断られた。その代わり、大体の理屈を口頭で教えてもらったので、社内に飛んで帰り、早速実践してみることにした。開発メンバー一人ひとりに対して、毎日の作業の目標を立て、実績も集める。何の仕事を何時間したかを集計し分析していった。すると、「プログラムの品質は、作成に時間がかかった部分があまり高くない」といった傾向が分かってきた。

 その後も良いと言われる方法はいろいろ試したが、結局は「作業日報」といういささか原始的なやり方が一番効果的であった。現在、ソフトウェア開発の世界は非常に多様化し、現場の開発者の自己管理に任せる手法もある。しかし、サービス事業やハード製品の基盤となる中核ソフトウェアの開発については、実績をきちんと把握することが基本であると信じている。こうして編み出したポイントを「実体験から学んだソフト開発論」としてまとめた。いつか本誌でご紹介したいと思っている。


2020.8.1会報No.93

ブータン国災害対策強化プロジェクト

当会顧問

NTT東日本  デジタル革新本部

国際室長        長江 靖行

 

NTT東日本 国際室ではNTT東日本グループの強みを生かした「国際貢献」と「グローバル分野からの収益源の創出」をミッションとして活動しています。本稿では国際貢献の取り組みとして201811月よりNTT東日本グループの各組織と連携し実施しているブータン国「災害対策強化に向けた通信BCP策定プロジェクト」の活動について紹介します。

 

◆通信確保の重要性

 

ブータン国では過去に大きな災害経験がありませんでしたが、2015年の隣国ネパールでの大地震の際、ブータン国国内の通信も影響を受けました。これにより災害時の通信確保の重要性が認識され、ブータン国政府の要請に基づき、現地通信会社のブータンテレコム(BT)においてBCP(事業継続計画)を策定し、災害発生時の通信確保を目的とした、国際協力機構(JICA)による技術協力プロジェクトの実施が決定。NTT東日本はジャパンリーコム社と共同で受託し、201811月から活動を開始しました。

 

◆「つなぐ使命」への思い

 

この活動は災害経験のないBTに、「災害発生時に世の中がどう変化するか」「BCPとは何か」を理解してもらうことから始めました。BTの設備や業務の調査を行い重要ユーザーや復旧優先順位を決定、20195月にブータン国初のBCP基本方針を策定しました。

 翌6月にはBTから10名が研修で来日し、平常時の減災への取り組みや、災害発生時の復旧およびその後の復興活動、「安全第一」「つなぐ使命」などの私たちの思いを共有しました。

 帰国後は、BTが主体となりNTT東日本と合同で災害発生時に実行すべき行動規範を策定し、201912月の大規模地震を想定した最終ドリル(演習)に向け、反復練習を実施し、行動規範が機能するかなどを評価しました。

 その後のBCP体制立ち上げ式典では、NTTME藤本社長からの「BCPの活動は、時間がたつと停滞してしまいがちであるからこそ、今後も継続的に訓練していくことが重要である」とのメッセージの後、BTに正式にBCP運用組織が形成されました。

 当初、災害経験のないBTに、直接利益を生まないBCPの重要性を理解してもらうことは容易ではありませんでした。また、NTT東日本とBTでは環境がまったく異なることから、私たちの知見をそのまま持ち込むのではなく、BTが納得しブータン国に合ったBCPにする必要がありました。国際室、高度化推進部、宮城事業部、NTTMEなどの案件に携わった社員の、国内外での熱い議論や丁寧な指導などにより、ついには「通信会社としての『つなぐ使命』」への思いは1つになりました。

 

BCPの運用へ

 

1)ブータン国の状況に適したBCPの策定

平時、有事を問わずサービスを提供し続けることの重要性を共有し、ブータン国の法制度やBTの設備、業務などを調査し、ブータン国に合った優先順位などを盛り込んだBCP策定の支援を行いました。

 

2BTによるBCPの運用

策定したBCPについて、BTが自ら運用できるように、BTの積極的な参加のもと一体となって課題解決の議論や、ドリルと評価、BCPの改善を繰り返し、最終的には事前に設定した厳しい評価基準をBTがクリア。情報通信大臣よりBTBCP運用開始が宣言されました。

 

3BCP運用のための体制づくり

ドリルと並行し、BCPの活動が適切に評価される人事評価制度の見直しや、BTBCP運用組織確立などについてもBT幹部と議論し、201912月にBTに新組織として業務継続室が発足、専属の室長が任命されました。ブータン国で新型コロナウイルス発症時に業務継続室を中心に体制が構築され、現在も実際に対応を実施しています。

この一連の活動はブータン国国内で優良事例として関係機関に共有され、高い評価を得ています。

 

◆国際社会での地域貢献を

 

今回、BTBCPの運用を開始しましたが、引き続きBTのさらなるレベルアップをめざし、NTT東日本では人材育成などの技術支援活動を継続します。

また、本活動中に井上社長がBTを訪問し、BT幹部との交流の中で「日本だけでなく国際社会においても地域貢献が重要であり、同じ考えを持つBTと共に地域に根差し地域の発展のため一緒に汗をかいていきたい」とのコメントがありました。その後、2020727日、ICT分野における技術交流・人材交流を通じたBTとの関係強化と事業の発展を目的とした覚書を締結いたしました。

BTの「現場の技術者の技術力の高さ」や「限られたリソースの中で最善を尽くす取り組み」など、学ぶことがたくさんありました。今後さまざまな活動を通じて、お互いに切磋琢磨し地域発展のために汗をかいていきたいと思います。

 

◆国際事業のさらなる展開に向けた“NTT e-Asia”の発足

 

本稿で紹介した「国際貢献」と並び国際室のもう1つのミッションである「グローバル分野からの収益源の創出」については、グループ会社であるNTTベトナム社とも連携を図りながらベトナム国、インドネシア国を中心に取り組んでいます。

このような状況の中、“One NTT”の方針に基づくNTT Ltd.グループのブランディング展開を進めているNTT Inc.からの要請を受け、202061日にNTTベトナムの商号変更を行いました。新商号については、今後NTTベトナムがベトナム国に加え、国際室が取り組んでいる東南アジアを中心とした国々での事業においても連携して対応することを踏まえ、「NTTイーアジア(英語表記:NTT e-Asia)」としました。

NTT e-Asiaの“e-Asia”には、NTT東日本のアジア事業(NTT EAST Asia)として、主に東南アジア(South East Asia)の国々に対するICTソリューションによる電子化(electronic Asia)を通じ、同地域のさらなる向上(enhance Asia)に資する、という意味を込めています。

国際室はNTT e-Asiaと共に、現地パートナーとの強固なリレーションを基盤として、現地国や地域と連携した課題解決への取り組みを通じた、共存共栄を実現する事業展開を今まで以上に進めていきたいと考えています。

 

◆おわりに

 

NTT東日本の国際協力は1社時代から60年以上の歴史があり、多くの技術者が技術支援を行い多大な成果を挙げてきました。

このブータン国災害対策強化プロジェクトにも国際室をはじめNTT東日本グループから総勢42名の社員が現地入りしました。NTT東日本のノウハウ、東日本大震災の経験などを丁寧に技術移転してきたことが、ブータン国政府やBTから高く評価され両社の交流を深める大事な機会になりました。

今後この関係をさらに発展させると同時に、引き続きNTT東日本の事業に貢献できるよう活動していきます。


2020.8.1会報No.93

徒然日記(10)

当会特別顧問 石井 孝

 

「愛の方程式」

 

 大好きな町田(邦雄)様のエッセーに「第二の定年」という作品がある。これを読んで、老いについて改めて色々と考えさせられてしまった。

 小生が老いのようなものを切実に感じたのは二十年ぐらい前の事である。

 JICAのシニアボランティアの英語の採用試験の時であった。現在はTOEICが主体のようであるが、当時はペーパーテストとDictationであった。

 ペーパーテストの方は何とかなったが、Dictationは完敗であった。試験の前に試験官から「Dictationでは、日本文を書いても点数になりません」と言われ、そんな事は当たり前ではないか、何を言っているのだろうと思った。

 所が如何したことだろう、テープレコーダーから流れてくる英語の意味はよく分かるのだが、書き取れない、手が思うように動かないのである。思わず日本文を書いてしまいそうになるのである。

 あの時、「あー老いたか」と、つくづく切ない思いに耽ったことを思い出す。

 それから此の方、今度は物忘れが酷くなってきた。他人様の名前をど忘れする事は日常茶飯事であるが、話をして居て言葉が出て来ない、此処で何かぴったりした巧い表現が出来る言葉があったな、と思うのだがそれが出て来ない。友人などとの会話であれば問題ないが、人前でのスピーチとでもなると、見っともない立往生になってしまう。

 この点で、モノを書く場合は問題無い、おまけに、パソコンが漢字まで教えてくれる。だが、そのせいもあってか、今度は漢字がすっかり書けなくなってしまった。

 そんなこんなで、なんとか呆け防止をしなければと思い、高校数学の復習を試みた。

 すると如何したことか、ケアレスミスの連続である。特に数値計算になると、検算の出来る問題であればチェックができるが、そうでない問題の解答を解答欄で突き合わせると尽く合わない。物忘れだけでなく、注意散漫になってしまったようなのだ。

 ただチョット嬉しくなる事もあった。俗に「愛の方程式」と呼ばれる、ハート型の軌跡を描く数式がある。

これをチェックしている過程で、太陽を原点にすると、お月様もハート型の軌道を取るのではないかと気付きパソコン上に描いてみた。

するとこれを見た友人が、NTTのロゴマークのダイナミックループも同じ手法で描けるのではないかとアドバイスしてくれた。

チョット細工してみると、見事なダイナミックループが描けるではないか。

「そんな事が今、解ったのか」と仰る方も居るだろう。不明を恥じるが、「パスカルの閉曲線」が簡単な単振動の合成で描けるとは、思ってもみなかった事なのである。

こんな瑣事が呆け防止の特効薬になるとは思わないが、平々凡々たる毎日の中でちょっとした加薬にはなりそうな気がしたものである。

 

「米国在住の友人からのメールと返信」

 

石井様、

ご多用中失礼致します。突然ですが下記の書籍をご存知でしょうか。オーストラリアで2017年に出版されベストセラーになり、オーストラリア政府政策にも影響を与えた書籍です。そして、漸く日本語版も出版されました。中国世界制覇戦略の一部が非常に良く調査して書かれた本です。読書がご負担にならない様であれば一読の価値のある書籍ではないかと思いメールいたしました。

2018年には米国CSISで著者が講演もしています。又、ネットでも話題になっています。

サイレント・インベージョン - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/サイレント・インベージョン 

 

「返信」

「眼に見えぬ侵略」、書店にも図書館にもありませんでしたが、アマゾンで漸く入手出来ました。早速、読み始めて居りますが、中国共産党の長期戦略に戦慄を覚えます。最近のトランプ氏の言動や、香港の騒動、これらの事情が良く分かる気が致します。日本の一部政治家の言動も、こうした戦略にリンクしているかと思いますと、身の毛がよだつ想いです。

取り急ぎ、お礼方々ご報告まで。

 

「眼に見えぬ侵略」

 

 一気に目を通してみたが、「空恐ろしい」の一語に尽きる。綿密な遠大且つ長期計画の下に、それこそ、考えられるありとあらゆる面に対して、緻密で巧緻を極めた手法を駆使して、国家が侵略行為を実行し、何時の間にか他国を支配する。

 そして、ここが一つ重要なポイントであるが、この為には「糸目をつけぬ金」を使う。人間は金には弱い、何の得にもならないリスキーな事に手を出す人間は居ない。そして兎に角も、人間の弱みを徹底して衝く。

 我が国に於いても、そう言われてみれば、思い当たる節が可成り存在する。当事者は綺麗ごとを言っているが、裏では表に出ないかたちで相当な金を貰って、縛りがかかっているのではないかと思えて来る。

 また、これを書いたハミルトン氏には感服する。自国を守る為に、これだけの精緻な暴露記事を書ける学者・評論家が日本に居るだろうか。

 

「汚れモノ」

 

 風呂場の排水がどうもすんなりと行かない。排水口を開けて中をよく見ると、大量の汚れものが詰まっていた。早速取り除くと排水は元に戻った。

 ふと思ったのだが、人間の心の片隅というか、心のはけぐちにも積年の汚れものがいつの間にか溜まってしまっている。

 人間の場合は流れてしまわずにこびりついている。しかし、良くしたもので、普通の人は、普段は忘れてあまり気にかからず、気にもしない。

 所が、文学、特に純文学などと称する小説などは、この汚泥のような他人には見せたくも見られたくもないモノを白日の下に晒し迫ってくる。

 あまり執拗にやられると辟易する。「宮本輝」ぐらいが良い。

 算数のお勉強も微積まですんだ。図書館も机や椅子は取り払ってしまったが、貸出は始めた。「宮本輝全短編集(上下)」他数冊を早速借りて来た。


2020.6.1会報No.92

NTT西日本 国際室の活動

当会顧問

NTT西日本        技術革新部

国際室長        坂井 宣之

 

ICT海外ボランティア会の皆様、NTT西日本 国際室の坂井宣之です。この度、会報へ寄稿する機会をいただき、誠にありがとうございます。NTT西日本 国際室の活動をご紹介させていただきます。

 

はじめに

 

NTT西日本グループは、社会を取り巻く環境変化がもたらす様々な課題に対し、先頭に立ってICTの力で解決をしていく「ソーシャルICTパイオニア」をめざし、地域から愛され、信頼される企業として変革し続けるとともに、地域を元気にしていく「ビタミン」のような役割を担っています。

ICT分野では、情報技術の急速な進展に伴いグローバルな視野に立った事業の展開が不可欠になっています。NTT西日本においても、これまで国内で培ったFTTHサービスに関連するノウハウを活用した事業機会の創出、およびNTT西日本グループ各社の新領域ビジネスにおける海外展開に取り組んでいます。

 

各国との活動

 

NTT西日本では、韓国の大手通信会社であるLG Uplus社への研修提供及び技術交流を中心とした活動を実施しています。2018年の交流開始から、つくばフォーラム視察、マイスターズカップ視察などの交流を通じ、2019年にはFTTH業務改善研修を提供しました。

NTT西日本のFTTH関連ノウハウを提供することで、課題解決への気付きを支援し、当該キャリア自身で業務改善に繋げてもらうための研修であり、6月からおよそ月1回のペースで実施し、あわせて60名の受講者に参加して頂きました。

上記研修を通じた良好な関係のもと、韓国を訪問し、設備見学、NW通信競技大会の視察、設備系社員とのディスカッションなど、リレーションを深めています。NTT西日本OBの藤井様がLG Uplus社の執行役員に就任されており、NTT-OBの力をお借りしながら進めています。今後はFTTH以外の分野でのビジネス連携などリレーションの広がりにも期待ができます。

 

新領域ビジネスにおける海外展開

 

NTT西日本では、FTTHサービスに関連した取り組みに加え、グループ各社による海外展開にも取り組んでいます。

NTTソルマーレ社は、スマートフォンを通じたコンテンツ、エンターテインメントサービスの領域で多くのお客様のご支持をいただいています。グローバルに拡大するスマートフォンアプリ市場において、米国、韓国、台湾など、ゲーム事業やノベル事業も展開しています。

ジャパン・インフラ・ウェイマーク社は、NTT西日本グループで培ったインフラ点検ノウハウを強みとして、老朽化が進む日本全国のインフラ点検・保守業務の効率化という社会課題に取り組んでいます。更に、海外のパートナーと協業し、日本国内だけでなく、東南アジアへも点検サービスを拡大してまいります。

 

国際協力活動

 

NTT西日本では、各国の情報通信分野の発展に貢献するため、研修生を受け入れ、技術研修を行っています。2016年より継続して、APT (Asia-Pacific Telecommunity)より、太平洋地域の電気通信事業者からの研修生を受け入れています。

2019年で4回目を数える研修には、ブータン、キリバス、モンゴル、ネパール、パキスタン、スリランカ、タイ、トンガの8か国から、エンジニアを中心にIPネットワークの構築/保守に従事する受講生11名が参加しました。研修では、設備設計や保守等の業務紹介のほか、とう道の見学やケーブル接続実習等、現場での体験を通した幅広い研修プログラムを実施しています。

 

人材育成

 

NTT西日本では、グローバルスタンダードなスキルを持ち、新たな価値を生み出すことができる人材を育成するため、海外案件での実践の場の提供に加え、グローバル人材育成研修を2011年から実施しています。これまでに600名以上の社員が参加しています。

受講した社員からは、「研修を通して切磋琢磨できる仲間ができた」、「業務内外で外国人と話す場面でも臆せず話せるようになった」など成長できたといった感想が多く寄せられています。

海外に限らず国内においても、さまざまなパートナー企業と如何に価値を共創していくかが重要となります。個の能力・スキルを基盤として、異文化とのコミュニケーションを通じ、影響を及ぼせる人材の育成に取り組んでいます。

 

最後に

 

ICT分野ではパラダイムシフトなど変化が激しく、NTTの事業内容も時代とともに、電話からICTへと大きく変わってきました。そのような中でも、どんなときでも「つなぐ」という使命は変わりません。「つなぐ」という使命に加え、生活を便利に豊かにするために、社会を「リード」していくことも、私共の大きな使命であります。

2020東京オリンピックは残念ながら延期となりましたが、2025大阪万博含め、大きな国際的なイベントが控えています。NTT西日本 国際室は、これからもNTTグループやパートナー企業の皆様と共に、活動を続けてまいります。

 

今般の世界規模での厳しい状況から一日も早い終息を心から祈るばかりです。このような状況でありますので体調にはくれぐれもお気をつけください。会員の皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈りいたします。


2020.6.1会報No.92

徒然日記(9)

当会特別顧問 石井 孝

「分かってほしい」

 

働く人の幸せ、働く人のモチベーションは、その会社のトップの姿勢次第でしょう。トップがIT(ソフトウエア)の必要性、重要性を真に認識して居なければ、結局は駄目です。

私は真藤恒社長の下で、まるきりど素人の集団(私もど素人でした)を率いて通信ソフトウエアの内製化に取り組みましたが、トップのソフトウエアに対する深い見識に基づいた、厳しくも情熱あふれる叱咤・激励を受け、予想以上に短期間でやり遂げる事が出来ました。

しかし、折角、苦労して出来上がった部隊も真藤さんが去り、私も辞めると、瞬く間に雲散霧消してしまいました。

どんな仕事もそうかも知れませんが、特にソフトに関わる仕事は、修羅場にかかると昼夜を徹し寝食を忘れてやらなければなりません。そして仕上がった後、言い知れぬ充実感に満ちた職場にするためには、トップの情愛のようなものがそこはかとなく職場に伝わって来るようでないと、この仕事は長続きしません。

現代に残った、極めて前近代的な側面を多分に持つ、極めて人間臭い仕事なのです。これを十分理解せず、経営者はコストのみに関心を寄せ、ソフト工学者は小難しい開発技法を興味の的としているように見えてなりません。

真藤さんのようなトップは、極めて特異なケースで、現下の経営者に、これからの技術の動向を的確に見通し、且つ人間性豊かな人物がどれ程居るでしょうか。

些か難しい話かも知れませんが、マスコミの皆さんにはこの辺りを十分認識頂き、社会的指導者層にたいし、ITは我が国にとって、これから最も重要な産業分野の一つで、これをものに出来ない限り、我が国の将来は無いという事を、是非、強力且つ丁寧に啓蒙して欲しいと切に念願する次第です。

 

「童心」

 

 「晴耕雨読」などと言うと如何にも格好がいいが、実は、何もやる事が無くなってしまったのでこんな事態に陥るのである。

 小生の場合は、耕す土地も無く、おまけにリュウマチ気味なので「晴読雨読」になってしまう。

 そんな訳で、今回は太宰治の「人間失格」と山手樹一郎の「浪人市場」を続けざまに読んでみた。

 不条理、狂気そして絶望。如何にも辛気臭い人生よりは、人情と勧善懲悪、そしてハッピーエンドの筋を追うだけの話の方が肩もこらなくて面白い。

 そう言えば子供の頃、海野十三の冒険小説や江戸川乱歩の「怪人二十面相」などに夢中になってわくわくしたものである。

 老い耄れるという事は、どうも「童心」に帰るという事でもあるらしい。

 

「海野十三」

 

 小生の投稿「童心」に関し、KK氏より大変興味深いコメントを頂戴しました。

 早速、「海野十三」の少年少女向けのSF小説ではなく、大人向けの「俘囚」「振動魔」「三人の双生児」を読んでみました。

 昭和初期に、既にこのような奇想天外な空想科学のSF小説があったとは意外でした。

 KK様、貴重なご教授、誠にありがとうございました。

 

along

 

 この頃、ウィルス騒動で大変な北海道のニュースを聞く度に、学生当時の北海道出身の友人X君の事を思い起こす。

 彼は非常に繊細な、よくできる人であった。しかし、如何したわけかよく分からなかったが、精神を病むようになり退学して地元に帰ってしまった。

 帰る間際に「俺はalongだ、学校を辞めるよ」と言った。「alongとは何事だ」と聞き返すと「モールス符号を調べてみろよ」と言われた。

 Alongはモールス信号に直すと「・- ・-・・ -・ --・」となり、これを和読すると「イカレタリ」になる。

 なるほどと思ったが、神経が過敏になると、とんでもない予想もつかない事に気が付くものだと、余計に心配になった。

 あれから半世紀以上もすぎた今、彼はどうしているだろう。

 

「イザベラ・バード」

 

 コロナ騒動で逼塞する中で、全く偶々、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(高梨健吉訳平凡社)を読んだ。

 明治11年の初夏、47歳の英国人女性イザベラ・バードが初めて来日し、当時、文明開化から遠く離れた東北地方を経由して北海道のアイヌ部落を、四か月近くかけて訪れるという、大胆不敵な冒険と探検の旅行記である。

 コロナ騒動で鬱屈する毎日の中で、何か一筋の光明を見出す想いがした。


2020.2.22会報No.91

ASEAN SMART CITIES NETWORK[1]

当会顧問 

一般財団法人 海外通信・放送 

コンサルティング協力 

専務理事                牛坂 正信

 

本稿では、ASEANが進めているASEAN SMART CITIES NETWORK(以下、ASCNと略す)について紹介したいと思います。

「スマートシティ」という言葉は、今では普通に使われていますが、統一された定義はないようです。コンセプトとして捉えれば、凡そ次のような定義ができるのではないかと思います。

 

「環境に配慮しながら、人々の生活の質を高め、持続的な経済発展を目的に、都市を支える生活インフラ全体を統合し、最適化された都市の在り方をリードするコンセプト」

 

このスマートシティをASEANが推進しています。早速、見てみましょう。

ASCNは、2018ASEAN議長国のシンガポールが提案したもので、スマートで持続可能な都市が持つべきゴールに向けてASEAN加盟国内の都市が相互に協業できるためのプラットフォームを構築していこうというものです。当面のゴールはASEAN市民の生活を改善することとされています。このASCNの目標は以下の3点です。

 

(1)  スマートシティ開発について実証都市間の協力促進

(2)  民間と協力しての有望なプロジェクトの共同開発

(3)  域外のパートナーからの資金調達

 

加盟国がそれぞれのニーズに応じて優先する社会課題を解消する実証都市を3都市選定し、2025年までスマートシティ構築に取り組んでいます。その数、10か国26都市、それぞれの都市が2つの優先課題を掲げて取り組んでいるので、全部で52の個別プロジェクトがあります。

なぜ、ASEANがスマートシティに取り組んでいるでしょうか?理由は、ASEAN諸国での都市化の進展が挙げられます。1967年のASEAN発足時におよそ25%程度であった都市人口が現在では半分以上の人々が都市に住み、更に2025年には2/3の人々が都市に住むだろうと言われています。2030年には、JakartaBangkokMetro Manilaなど5百万人を超える大都市や中堅都市(20万から200万の人口)に9,000万人が移動し、特にこの中堅都市がASEANの成長の4割に貢献するだろうと言われています。急激な都市化は多くの社会課題をもたらし、その解決の手段の1つがスマートシティというわけです。 

 スマートシティ開発のためのガイドASEAN Smart Cities Frameworkも作成されています。図2に全体像を示します。対象分野を6分野に分類し、最終的にHigh Quality of LifeSustainable EnvironmentCompetitive Economyの調和を目指しています。

それでは、幾つかの都市の取組みを見てみましょう[2]。マレーシアのクチン市(人口68万)では、スマート交通として交通信号のスマート化や洪水管理のためのスマート化に取り組んでいます。また、ミャンマーのマンダレー市(人口123万)でも交通制御のスマート化と上下水道管理のスマート化を目指して取り組んでいます。インドネシアのマカッサル市(人口177万人)では、病院間の医療システムのスマート化と税制システムのスマート化に取り組んでいます。26都市が取り組んでいる課題をフレームワークの6分野に大まかに分類すると、全体の40%弱が「Build Infrastructure」で、その中でも特に交通関係に、そして全体の20%弱が「Quality Environment」で、その中でも特に廃棄物管理、水管理となっています。都市化に伴い、交通や環境などの課題が従来の保健・衛生、教育等の課題と同様に大きな課題として認識されているようです。 

世界はDX(ディジタルトランスフォーメーション)時代に大きく舵を切り始めています。弊財団でも、DX分野での国際協力を推進していくことにしており、このASCNについても何らかの貢献ができないか、その動きを注視しているところです。


2020.2.22会報No.91

徒然日記(8)

当会特別顧問 石井 孝

「醤油電車」

 

 埼玉県の岩槻に住んでいる。昔は岩槻町その後岩槻市になり、現在はさいたま市岩槻区である。

 この町で首都圏に出るための交通機関は東武鉄道野田線であるが、現在は「トーブ・アーバンパークライン」と鉄道会社は洒落た名前を付けている。

 この電車の発祥は、野田にあるキッコウマン醤油が醤油を東京に出荷するため野田と大宮間に敷設した貨物電車で、当時は「醤油電車」と呼ばれていたそうである。

 その後総武鉄道となり、千葉と埼玉を結ぶ「総武線」として人を運ぶ乗合電車に昇格したが、当初は日に何本といった田舎電車であった。

 時が経つにつれて東京に通勤・通学する人も増え、総武線は昭和の初期に東武鉄道に買収され、現在の東武野田線に到っている。

現在ラッシュ時は、ほゞ、5分間隔ぐらいで運行され、首都圏にダイレクトにアクセスしない地方路線にしては大変な繁盛ぶりである。

 岩槻駅も長い間、総武線当時の「停車場」の雰囲気を残した建物であったが、つい最近、イメージを一新して「岩槻城」を模したのであろうか、大変立派な駅舎に生まれ変わった。

 50年以上も前のことになるが、東京へ通っていた頃を思い起こすと、この電車に乗ると必ず知った人に遭い、些かワイルドな「岩槻弁」で世間話などに興じたものであった。ところがこの頃はというと、知り合いに巡り合うことは滅多に無い。そして電車の中での話し言葉は、みな東京弁というか、TV言葉になって、かの「岩槻弁」などは全くお耳にかからない。

 生まれ育った街を離れて半世紀、定年を迎え戻ってみると、住む人、街の装い全てが、がらりと変わってしまった。

 しかし、街の風情というか土地柄というか人情の佇まいは、街の東端を流れる元荒川のように、相変わらずゆったり、まったり、普段着のままの感じである。

 

「ソフトウエアは生命線 利用者が内製し管理せよ」

 

 「事業の根幹である電子交換機が故障した時、自分達の手で直せないのはおかしい。交換機用のソフトウエアの開発をコンピューターメーカーに丸投げしているからだ。石井君、どうだ。自分達で直せるように、ソフトウエアを内製してみないか。」

 日本電信電話公社(当時)の真藤恒総裁は私を呼びつけるや否や、こうまくし立てました。19854月に公社が民営化される直前の出来事でしたが、コンピューターや交換機を動かすソフトウエアの重要性を熱く語った真藤氏の姿を今でも鮮明に覚えています。NTTの誕生と同時に、内製化を手がける「中央ソフトウエアセンタ」が新設され、私は所長に任命されました。

 折に触れ、真藤氏とソフトウエアについて話し合ったので、その真意を知ることができました。よく聞いてみると、交換機の修理うんぬんはきっかけに過ぎず、真意は「これから社会のあらゆるところにコンピューターが浸透し、社会そのものが“ソフトウエアオリエンテッド”になる。その時に備え、高品質で高い信頼性を持つソフトウエアを開発する力をNTTの中に蓄えておきたい」ということだったのです。

 ソフトウエアの内製化は取り組んでみると大変な難業でしたが、真藤氏の後押しもあって、丸5年後には交換機ソフトウエアを自力で開発し、直していける体制を築けました。悪戦苦闘を通じて体感したのは、「ソフトウエアは成長を続ける生き物であり、その成長をきちんと管理しなければならない」ということです。

 いったん開発を終え、ソフトウエアを使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生します。この作業を続けていくと便利になる一方で、ソフトウエアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウエアがすべてを支配してしまい、それなしでは仕事ができない状態になってしまう。従って、秩序ある成長ができるように管理することが肝要です。最初の開発は手始めに過ぎず、使い出してからが本番なのです。

 二十数年経った今、真藤氏の言った通りになりました。ソフトウエアは社会の仕組みや企業のビジネスの至る所に入り込み、増殖しています。残念なことに、年金問題や証券取引所の不具合に象徴されるように、品質と信頼性の問題が表に出てきてしまいました。しかも、これは氷山の一角に過ぎません。多くの企業は、自社のビジネスを支配しているソフトウエアの開発や維持管理の仕事を外部に丸投げしており、自力で管理する力がありません。

 この問題を解決するには、ソフトウエアを利用する組織や企業が内製できる力をつけるしかありません。その力を持ってこそ、たとえ開発を委託したとしても、外部企業の仕事ぶりを見極められるのです。内製化は難業です。真藤氏がソフトウエアに関心を持ち、現場を鼓舞してくれたように、経営トップが問題を認識し、ソフトウエアの維持・管理を担当する部門が意欲を持って継続的に取り組めるよう目配りすべきです。

 ソフトウエアを恐れることはありません。ソフトウエアは100%人間の手で作る生産物ですから、それにまつわるすべての問題は人知の及ぶ範囲内にあります。だからこそ、担当者のモチベーションが重要なのです。「企業は人なり」と言われます。これをもじって言えば、「企業はソフトウエアなり、ソフトウエアは人なり」です。


2020.2.1会報No.90

徒然日記(7)

当会特別顧問 石井 孝

 

ソフトウエアにチャレンジして

 

1. はじめに

 昔は人生50年と言われたようであるが、1985年、丁度50歳となった自分を含めソフトウエアには殆ど無縁であった連中が、通信網のキーノードであったD70交換機ソフトウエアの完全内製化にチャレンジした。

この間の経緯については、雑誌「日経コンピューター」2005年正月号に紹介されたので詳細はそちらに譲り、ここでは、このチャレンジを通し得られた教訓を基にソフトウエアというものについて考えてみたい。

 

2. 企業の命運がかかる技術開発

 技術開発は、企業の生き残りかけた極めて重大な行為である。自己の置かれている環境とその将来動向を十分吟味した上で、リスク覚悟の決断が必要となる。何をやるかは、経営トップの見識に係るところが大である。

 NTT民営化を契機に、電話ネットワークの中枢機能を司っていた交換機のソフトウエアをNTT自身で100%全て内製化するという技術開発を真藤社長は決断した。

 当時、交換機のソフトウエア開発は、日本電気、富士通、日立、沖と言う通称大手4社に全て委ねられて居た。このため、ネットワークにシステムダウンのようなトラブルが発生すると、メーカーの開発担当者が現地に赴かないと事態が解決しないと云う状況であった。これを見かねた真藤さんは、通信事業の生命線である通信ソフトの内製化を図り、これによって得られる技術をベースに、ネットワーク自体を常に安定させ、同時に時代の要求に機能的に即応出来るネットワークの維持運営体制を指向したのである。

 しかしながらこの決断の背景には、更に深い読みがある事を後で知った。ある時、雑談の中でソフト開発に対する本音とも思えることを漏らされたのである。

 先々、電話事業がどのようになるかは分からない。しかし、これからの世の中、LSIチップとそれを機能させるためのソフトウエアは必要不可欠なものになる。このため研究所にNEL部隊を造りLSIをやらせる事にした。君の部隊は、先々はNELのLSIに組み込むソフトをやれ。この二つの部隊が協調して巧く機能するようになれば、NTTは電話線にぶら下がって居なくとも旨い飯が食える。交換機ソフトは、其処への第一ステップだ。

 それは、1985年の初夏であった。当時、マイクロソフトもインテルも、未だ影も形も無い頃である。

 

3. ソフトウエアという「もの造り」(通信ソフトの内製化)

3.1 自分で全てを掴む

電電公社時代の技術開発は、公社と関連するメーカーが一体となって開発に取り組むという基本スタンスが存在していた。国が産業育成のため採った一つの方策で、国全体としては大きな成果が上がった。

しかしながら、NTTの中にアクティブな技術蓄積が出来てきたかというと大きな疑問が残る。民間会社となったNTTがそのままのスタンスで良い筈がない。

公社時代におけるNTTとメーカーの作業分担は、技術の方向と大まかな仕組みはNTTが主体となって決定し、この具体化はメーカーに委ねると云う形が採られた。

オーケストラに例え、NTTはコンダクターで、楽器の演奏者がメーカーという人がいるが、全ての技術開発でそうであったかは甚だ疑わしい。

コンダクターは、演奏者各人の演奏を仔細に把握し、意に添わぬ所があれば、自ら具体的に個々の演奏を指導出来なければならない。コンダクターは、ミクロを研ぎ澄まし、これらをバランス良く調和して感動的なマクロを創造しなければならない。

従来、NTTにおけるソフト開発の場合はどうであったであろうか。NTTは、メーカー各社が分担した製造工程毎のDR、テストの状況、これらの作業に要した工数のデータ等を把握し、出荷製品の品質、コストを的確に掴んでいたであろうか。極端な場合は、製品のソースコードの解読すら出来て居なかったのではないかと思える節がある。

これを根元から是正し、本来あるべき姿に建て直すためには、何はともあれ、開発の全ての工程をメーカー等の第三者に頼らずNTT社員自身の手で全て実行・管理(内製化)し、ソフト開発の何たるかを身をもって把握する事が先ず持って肝心であると痛感した。

 

3.2 生産管理事始め

 新たなソフト開発部隊をスタートするに当たり最初に考えたことは、ただ闇雲にコードを書くだけではいけない、ソースコードを最終生産物として生産、管理する仕組みを創らねばならない、という思いであった。

その理由は、自らの生産性を定量的に捉え、NTTの中で理路整然と自己を主張出来なければ、折角創ってもらった新組織を、創業以来、生産現場を持つことの無かった強固な旧い組織の中で自己防衛し、存続して行くことは不可能と考えたからである。

ソフト開発と言っても、所詮「もの造り」である。「もの造り」である以上、製品に対する、品質、コスト、工程進捗を的確に把握し、必要に応じそれらをコントロール出来る仕組みを創り上げなければならない。このため、当初から、ソフト造りを実行する製造部隊とは別に「開発支援部」と称する部隊を設置した。集まった仲間の中で少しでもソフトに係わった事のある経験者たちを、敢えて製造部隊に入れず支援部に投入した。この支援部は、生産管理の仕組みを作り上げるだけで無く、製造部隊の各プロジェクトの主要レビューに参加させ、プロジェクトで一旦緩急の事態が発生した場合は強力な援軍にもなるようにした。

ソフトの生産管理を実行する上で基本的キーポイントは、作業に従事する一人一人が自分の作業日報を丁寧に記録することである。日報の項目に従って必要項目を自動集計出来るように作り上げると、工程進捗と掛ったコストの月次、週次管理は勿論のこと日々管理も可能になる。

品質管理については、レビューとテストのデータを克明に記録し、これらを統計処理出来るシステムを創る事である。これが出来あがると、出荷後の品質をかなり正確に予測出来る。

これらのシステムは一朝一夕に出来るものではなく、また、これで完成というものでもない。生産技術は経験を積むに連れ、徐々に、また或ときは飛躍的に向上するので、これを管理する手法もそれに応じてリファインして行く必要がある。

ソフトウエアのみならず「もの造り」全ての生産管理は、夫々の現場で夫々工夫し、自らに適合したシステムを継続的に進化させ、独自の風土として定着させる必要があるものと確信する。

 

3.3 自立の証

 真藤社長の教えの一つに「習って、覚えて、真似して、捨てろ」というものがある。

 捨てることによって初めて自立することになるが、捨てるためには、真似から完全に脱皮しという自信を持たない限り、中々全てを捨てる決断は出来ないものである。

この自信の源になるものは、習って、覚えて、真似する過程で、苦労して得た独自のノウハウというか、一種のバイプロダクトで、その中身如何が自信の程度を左右する。

前項で述べた生産管理システムも重要なバイプロダクトの一つであるが、本項では、自立を確信させた二つの仕掛け(バイプロダクト)について触れて置きたい。

 

ソフトウエアの分散開発

1985年当時世の中では、オペレーションシステム(OS)のような構成するプログラム個々が機能的に密接に相互に交絡し合うソフトウエアを開発する場合は、開発担当者全員が集合出来る状態を作り、連絡を密にしながら、大型の汎用コンピューターを共用して開発作業を進めていた。

事実、大型交換機のソフトウエア開発はメーカー4社が武蔵野通研に常駐して作業を行っていた。

ソフトウエアの規模が大きくなり、開発要員も増加して来ると、東京のような大都会に大勢の人を集めなくてはならず、人集めそのものも大変であるが、作業場所、住居などの用意も困難で、ひいては大幅な開発コストの上昇を招くことになる。

地方の幾つもの開発拠点を設け、この間を通信回線で結び、設計書、ソースコード、問題処理票などの成果物を共有し、メールや遠隔会議システムを駆使してあたかも共通の場で作業が出来るようなグループウエアシステムが構築出来れば、この問題は解決出来る。

所で筆者等の場合は、社内的には新規の弱小組織であったため、割りあてられた予算規模ではいっきに大型コンピューターを購入することは不可能で、単価の安いワークステーションを逐次増設する形で開発環境を整えていた。

これが幸いしたのである。サンのワークステーションにはTCP/IPのプロトコルが搭載されていたので、これを用いてLANを構築しワークステーション間を繋げれば、インターネット機能をフル活用したグループウエアシステムが創れ、作業場所を意識しない分散開発環境を完成することが出来た。

勿論、この環境は一朝一夕に出来た訳ではない。密に相互結合されたプログラムモジュールの夫々に、創り込む機能毎に分かれた担当が、同時に手を入れる訳であるから、モジュール全体の論理が崩れないようにするための作業ルールを造り、これを運営する体制を創る必要がある。

また、環境をパワーアップするための諸ツール類も、開発担当者の要求と操作に馴染ませながら装備するので、一応の完成をみるのに一年はかかった。

なお、この環境は、所謂上からの押し付けでなく、開発作業者達自らの発意と自らの作業で構築されたものであったので、極めて順調に定着が図られ且つリファインがエンドレスに実行されて行った。

現在では、このような環境は普遍化し、海を越えてソフト開発を共同で行う場合などは常識になって居る。しかしながら、1990年、このシステムを創り上げた当時は、汎用大型コンピューターによる開発環境が全盛で、インターネットも目新しく、ワークステーションによる広域分散の開発環境は斬新的なものであった。

ベル研から訪れたソフト開発技術者が我々の創った開発環境を視察して、大変高く評価されたので半信半疑であったが、その後の意見交換で本心と分かり、大いに意を強くしたものである。

 

メンテナンス体制の刷新

数メガに及ぶソフトウエアから完全にバグを取り除く事は不可能である。綿密なテストを重ねクリティカルなバグは全て取り除き、5万行のプログラムに対し1件程度の致命的で無い残存バグのレベルに追い込んだ所で製品として出荷する。

しかしながら、この致命的では無いと考えて居たバグも、予測し難いハードウエアのトラブルなどと重なると、システムダウンに至る場合がある。このようなケースまでを想定してテストを行うことは事実上不可能である。

ミッションクリティカルな通信ソフトウエアにおいては、通信の途絶を引き起こすシステムダウンは許されるものでは無い。

そこで、全国に設置されている全ての交換機の作動状況を24時間体制で集中監視し、何処かで何かトラブルが発生したならば直ちに遠隔診断を行い、バグが検出された時は遠隔操作で修理し、システムダウンを未然に防ぐ体制を整えた。これにより、電話網のシステムダウンの新聞記事は皆無になった。

こう云った遠隔集中のメンテナンスシステムも、現在では全く常識の世界であるが、1990年当時は交換機が設置されて居るサイト毎の保守要員を配置するメンテナンス体制であったため、このシステムを直ちに本格的に採用すると、多数の職員の配置転換を必要とするなどの問題もあって抵抗を受けたものである。

交換機に搭載するソフトウエアの完全内製化を達成する過程で、止むに止まれず事を運ぶ中で、上記に代表されるような時代の先駆けとなる副産物を収穫出来、新規に組織した部隊の自立が図れたのである。

技術と云うものは、自ら手を汚し、徹夜、徹夜の修羅場を潜り、初めて身につき、組織に蓄積される事を実感した。

 

4. 健全な企業体質を維持し、技術開発を推進し続けるために

 1990年代初頭に一応の完成を見た通信ソフトウエアの完全内製体制はその後どのようになったのであろうか。

 2007年、20年も経って居ない時期に、その姿、形は見る影すらないのが現実であった。真藤さんの下した命題の第一ステップはクリヤーしたものの、次への展開など全くなされないまま霞の如く消え去ってしまった。

 一方世の中は、ユビキタス社会の到来とやらで、通信などの諸機能がソフトで組み込まれたチップがありとあらゆる機器や設備に埋め込まれ、これらがネットワーク化される時代になった。まさに、真藤さんが予見した時代である。

 何故遅れをとってしまったのであろうか。NTTの企業風土を形成する仕事へのスタンスと、社員の評価の問題に大きな原因があるものと思う。

 

4.1 仕事に対するスタンスの変革

 民営化前の電電公社時代、特に発足当初から電話の大量開通の全盛期を迎えるまでは、仕事は直営で行うことが当たり前であった。

しかし、大量開通全盛時代に入り、膨大な作業を捌くため開通工事の請負化が始まり、これを端緒に技術開発を含め仕事を広範に亘って、外に出す風潮が強くなっていったように思える。直営時代に十分仕事を身につけた者が社内に存在し、この人達の的確なコントロールの基に仕事を外に出して居る間は能率的に運営された。

特に、日進月歩する技術に関する仕事の場合、どうしても仕事を実際行っているサイドに技術ノウハウが溜まるので、いつの間にか、技術力は仕事を出す側と受ける側で逆転現象が起こる。この結果、実質的主導権が仕事を受ける側に移り、コントロールして居る積もりが、逆にコントロールされるようになる。しかし、これに気付かず自分が技術を主導しているかの如き殿様気分で外部依存にシステムにどっぷり浸かってしまう危険性がある。

本体企業が本来実施すべき仕事を止むを得ず外に出していたものを、企業グループ内に取り込むために作った子会社が、この仕事を自分でやろうとはせず、相変わらず筒抜けで外に出したままになっているケースは無いか。

何時まで経っても発注者の気分で、手を汚さず胡座をかいて居ては、技術蓄積は疎か、何も身に付かずただ徒にコストが嵩むばかりである。

 よく、人件費が安い外注を使うと言うが、技術力の無い発注者が、幾ら安い人件費の外注を利用しても、果たして効率的な開発が出来うるのか、そのようなことは不可能である。

 先ずは、自らが手を汚し、謙虚に己の技術を身につけ、磨きをかけることに専念し、先ず会社のコアとなる技術を確立する必要がある。また、この確立過程で自らの技術の輪を広げ、激しい競争に勝ち残ることの出来る十分な体力を身に付けなければならない。

 

4.2 人に対する処遇のあり方

 「事業は人なり」と言われるが、技術も人である。自ら手を汚し、黙々と技術開発に従事する現場の人達が本気で持続的に仕事に励むことが出来る環境を創らなければ、真に技術力を持つ会社にはなれない。

 いくら現場重視を叫んでも、所謂エリートと称する自分の手を汚さない、一部高学歴者のみが優遇されて管理部門に座り、現場を叱咤しても決して長続きはせず、いつの間にか現場は疲弊しついには消滅してしまう。

 品質、コスト、納期のトライアングルを巡る修羅場を潜りながら、技術を蓄え、リファインに努めている開発現場職員の処遇を第一義に考えなければならない。

 人は、意気に感じて全身、全霊を打ち込むものであるが、これを持続させるためには、処遇という配慮が必要である。

 

5. むすび

 企業の寿命は30年などと言われるが、30年の壁を超え堂々と生き残っている企業、例えばIBMのケースなどには学ぶところが多い。

 1950年代にハードメーカーとしてスタートしたが、1970年には、莫大な開発費を投じて完成した360OSをアンバンドリングしてソフトウエアを商品化した。そして、1990年代初頭、長年蓄積して来た膨大なアプリケーションのノウハウをベースにしたソリューションビジネスへ転回を図った。また、最近は更に経営コンサルテイングビジネスにまで手を広げようとして居る。

 ここに観られる特徴は、ソフトウエアと云うコアコンピタンスを大事に育て、これを基軸に業容を、20年ぐらいのインターバルでダイナミックに変革し、果敢に拡大している事である。

 云うまでもないが、新しい世紀は、コンピューターとソフトウエアが社会基盤全てに入り込み、その核となる時代である。その展開分野は限り無い。

 我々も折角踏み込んだソフトウエアの世界、手を拱いている訳には行かない。自らの手で、他人に真似され難い独自の技術分野を改めて開拓し、しっかり育てようではないか。


 2019.12.13会報No.89

日本人なら、古事記を読もう!

当会特別顧問 宮村 智

 

今年は新天皇が即位され、万世一系で126代、少なくとも17001800年は続いている日本の天皇制の長い歴史を改めて内外に知らしめることになった。「即位礼正殿の儀」においては、天孫降臨神話に由来する高御座や三種の神器なども使用され、天皇制が神話時代に遡る歴史を有することも示された。海外のマスコミの中には、日本の天皇制の長い歴史を驚きや羨望を込めて報じているものもあり、私自身は少しばかり誇らしく感じた。

このように神話にまで遡ることができる日本国や天皇制の初期の時代の歴史を記したのが、712年に編纂された日本最古の歴史書「古事記」である。古事記は正に「日本建国の書」と言える。建国の書なら広く国民に読まれて良い筈であるが、古事記については戦前その官製版とも言える「日本書紀」(両者を併せて「記紀」と呼ばれる)とともに、軍事政権によって国粋主義教育に悪用されたので、GHQ主導で改革された戦後教育の下では有害図書のような扱いを受けることとなった。このため、古事記を学校教育で教えるのは勿論、戦後暫くの間は、読むことすら憚られる風潮が広がった。この影響もあってか、今なお古事記を敬遠する傾向が残っており、古事記をきちんと読んだ日本人は少ないようである。

私はこうした状況を残念に思い、日本人は建国の歴史をよく知らないので、建国から続く長い歴史を誇る天皇制が存在するにも拘らず、自国を評価する国民の割合が低いのではないかと推測している()。私自身は幸いにも古事記研究の専門家である三浦佑之氏を講師として、仲間と一緒に古事記を完読するという機会を持つことができた。また、その機会に、世界各国で建国の歴史がどう扱われているかもざっと調べてみた。これらの知識や体験を踏まえて、本稿では、日本人が古事記を読む必要性を訴えることとしたい。

()英国BBC放送の2013年の調査によれば、自国を評価する国民の割合は日本では4割程度に過ぎず、他の24か国の68割に比べて、極端に低い。

 

私の調べによれば、世界の殆どの国では自国の建国の歴史を子供の頃から学校教育で教えている。これに加えて、教会などの宗教施設や家庭でも教えている場合も多い。このため、国民の多くは自国の建国の歴史をよく知っており、その歴史を誇りに思い、その知識を国民全体が共有し、国民としての一体感や愛国心が自然に培われている。そして、米国などの新しい国は別にして、長い歴史を有する国々では、建国神話にまで溯って、そうした教育が行われているようである。

このように述べると、神話は事実でない非科学的な話なので、学校で教えるのは適当ではないという意見を出て来よう。しかし、神話は全くの絵空事ではなく、長く人々の間で伝承されてきた話を取り纏めたものであり、考古学の発掘や歴史的な検証によって事実と確認された話も少なくない。古事記研究家の竹田恒泰氏は「神話は必ずしも事実とは限らないが、民族の精神を担保する真実である」と述べている。これは言い得て妙な意見であって、神話は事実とは言い難くとも、それぞれの国民が固く信じ、誇りや精神の拠り所としているような神話は真実として尊重されるべきとの考えであると思う。

各国の建国神話を調べると、その筋書きは、天上や異郷の地から訪れた、あるいは神の子とか卵から生まれたといった通常の人間とは異なる出生譚をもつ英雄が、様々な困難を神の助けや奇跡によって克服し、国を創り、人々を治めるようになったというのが一般的である。日本の建国者である神武天皇の出生譚や東征伝説も正にこの筋書きに沿ったものとなっている。他方、現在の日本史教育では、神武天皇は一切登場せず、狩猟・採集の縄文時代、水稲耕作の弥生時代を経て、部落国家が成立し、部落の統合が進んで古代国家が形成されたと教えられる。私には、このような説明が国民に誇りを感じさせる日本建国の歴史であるとは到底思えない。建国神話には、祖先は神である神武天皇のような建国者とか、日本統一のために大活躍をする悲劇の英雄ヤマトタケルのような登場人物が必要であり、それだから国民が誇りや愛国心を持てる建国の歴史になると信じる。

ということで、私は日本史でなく他の科目でもよいので、学校教育で古事記を教えるべきであると考える。しかし、この提案はすぐには採用されそうもないので、当面は未だ古事記を通読したことがない方々に是非とも古事記を読んで、日本の建国の歴史を知り、日本に誇りや健全な愛国心を持ってほしいと願っている。古事記は官製の日本書紀と異なり、反国家的・反体制的な話も含めて、面白い話が沢山登場する。ワクワク・ドキドキと胸を躍らせながら、日本建国の歴史を学ぶのは、きっと楽しい体験になると思う。

最後に、この機会に古事記を読んでみたいと考える方々のために、3点ほどアドバイスしておきたい。①どの本を読むかについては、原文やその読み下し文を講師なしで読むのは困難なので、読みやすい口語訳や現代語の本がお勧めである。②古事記では、神様がうんざりするほど沢山登場するが、大事な神様は限られているので、神様の名前は覚えようとしない方が良い。③(日本書紀の編纂者が)初代の神武天皇の即位年を中国の讖緯説を勘案して辛酉の年(BC660)と定めたため、実際は23世紀と推定される初代天皇の即位年より900年前後前倒しとなっている。このため、初期の天皇の人数とか年齢をより大きくして、つじつま合わせが行われている可能性が極めて強い。これは対外的に見栄を張って即位年を決めたと考え、割引いて読んでほしい。(以上)


2019.12.13会報No.89

徒然日記(6)

当会特別顧問 石井 孝

「番茶の出涸らし」

 

 宇江佐真理と重松清の小説を読んでふと思ったことがある。両者の作品は、口あたりで言うなら、カツ丼とカレーライスほどの違いがあるが、後を引く味がある。

 プロと言われる人が書くモノは、読む者にとって美味い、不味い、色々あるが、とに角「味」がある。所が、小生のようなド素人が綴る文章には味と言うなら「番茶の出涸らし」のようなモノだ。それが分かっていながら、敢えて書く。失礼の段は平にご容赦頂きたい。

 

「死ぬということ(生きるということ)」

 

 重松清の連作短編集「その日のまえに」を読んだ。年を取って弱って来た涙腺を刺激する所にも、しばしば遭遇するが、人生をあらためて見つめ直し、問い直す作品であった。

 

「食わず嫌い」

 

 無知の偏見か、ずっと、現代の若い作家に比べ、自分より年配の作家の小説の方が、重厚感があるのではないかと、何とはなしに思っていた。

 新潮文庫100冊のおかげというか、手引きで現代作家の作品も読むようになった。

 宮本輝の「蛍川・泥の河」、伊坂幸太郎の「SOSの猿」、荻原浩の「愛しの座敷わらし」を続け様に読んでみた。

 「蛍川・泥の河」は芥川賞並びに太宰治賞受賞作だけに、如何にも純文学の格調が漂っていた。「SOSの猿」は些か奇想天外である。「愛しの座敷わらし」は、発想にアッと思わせる才能を感じさせられる。

 何れも時代背景が「今」なので分かりやすく且つ大変面白い。食わず嫌いであった事が後悔される。

 

「いじめ」

 

 重松清の短編集に「ナイフ」という作品がある。小中学生の「いじめ」を扱った小説である。

 何とも切ない物語であるが、それはそれで面白いというか、色々と考えさせられる。

 これを読んで、何故か、今は亡き親しかった友人の事を思い起こした。彼も勤め先で「いじめ」にあった。会社の中の「いじめ」にも色々あるが、彼の場合は徹底的に「干された」のである。

 ある職場に異動直後、上司と意見が合わず、大喧嘩をしたのだから無理も無かったのかもしれない。彼は、正義漢ではあったが、どちらかというと温厚な性格であったから、余程の事があったのだろう。

 だがその後、彼が、本当に頭に来たのは、その上司が部下の女性を弄んだあげく、部下でおとなしい男に、彼女をうまいこと連れ添わさせて、けりをつけてしまった、その遣り口であった。

 その上司はある意味で、とても利口で、きわめて要領を心得た人で、かなりの地位にまで昇進したそうである。

 私の友人は、己の会社は自分にとっては勿体無いぐらい立派な所ではないかと信じ、何か「会社に負けて居る」気分がずっとしていたそうだが、この上司の人事を観て、遅ればせながらそんな想いが一気に吹っ切れたそうである。

 彼は、干され終いで、退職かと観念していたが、思いがけない僥倖に恵まれ生き延びる機会を与えられた。

 其処で、彼は、気分を新たにし、人が変わったように、言いたいことは言い、やりたい事を遠慮なくやってのけ、結構な業績を挙げたそうである。

 「石井、お前も細かいことにくよくよせず、いい子ぶりっ子は止して、思い切って頑張ってみろ」とよく発破をかけられたが、根性無しの小生は残念ながら、酷い「いじめ」も受けないかわりに何も秀でた事は出来なかった。

 

「老いる」

 

 定年で職を離れ、元気であったので、ボランティアまがいの仕事を続けた。はじめの頃は、まだまだ十分やれるではないかと思ったが、そのうち体力に自信がもてなくなり、はた迷惑になってはいけないと感じ辞めて、家にこもった。

 「悠々自適」とはこんな心境かなどと、暫らくは些か満足な気分を味わったが、この頃は「悠々自適」ではなく、「無為徒食」の毎日ではないかと疑念を持つようになった。

 これから先を思うと、医薬や医療の進歩も手放しで喜べない気がする。

 

「ICTにおけるソフトウエアについて」

 

はじめに

 

 先般の議論の中で、前川様の「笛吹けど、踊らず」のご指摘は、実に考えさせられる点が多かった。よく反芻してみると、実は踊れない事情があるのではないか、と思える節がある。

結論から先に言うと、わが国におけるリーダー層のソフトウエアに対する認識不足と、これから派生するソフトウエア産業の脆弱性である。

前世紀後半から今世紀の世界は、社会の隅々に至るあらゆる所にコンピュータ素子が入り込み、それらをICTと云うネットワーク化技術によって有機的に統・結合し、これが社会生活の基盤(インフラ)を形成する時代になった。言うまでも無いが、このインフラ機能はソフトウエアによって実現される。しかしながら、この事実に対する基本認識が実に甘いと云わざるを得ない。

公共的性格を持つインフラが、社会の進展にフォローしながら成長・拡大し、常時、有効かつ安全に機能して行くためには、持続的で万全なソフトウエアに対する維持・管理を含めたソフトウエア開発体制が不可欠である。

このためには、政府をはじめとする公共機関は只単に全てを民間に委ねるのではなく、公共機関自身が責任を持って実行・管理する必要がある。

先ずは、こした体制を確り構築した上でないと、ICT国際戦略の遂行も覚束ないのではなかろうか。

そこで、このような視点から、わが国に置けるソフトウエアの現状と問題点等について私見を述べる。

 

1. ソフトウエアと云う物

 ソフトウエアに関する議論を進めるに当たり、ソフトウエアに対する基本的認識(多分に自己流)を明らかにして置きたい。

 

(1)完全な人工論理

 ソフトの性質をハードと対比する。ハードの場合は、基本的に神が創造した物質との関わりが不可欠であるためか、既成の物性論などでは説明の出来ない不思議な現象(触媒作用など)を製造過程に応用するとか、工作面では神業などといわれる職人芸が必要となる場合が多々ある。このため、「ものづくり」を極めるためには相当の時間と経験の積み重ねが必要である。

 これに対しソフトは、全てが人工的論理の組み合わせで、不思議な世界などとは全く対極にある。やる気さえあれば、紙と鉛筆で誰にでも直ぐ創れる、昨今では、紙と鉛筆では無くパソコンかも知れないが。

 また、ソフト開発の基本ツールであるコンピュータ類や開発技法は年々進歩し、これを誰でもが容易に利用出来る。後発者には、過去に纏わるしがらみが無いので、先発者より新しい道具立てをフルに活用出来るメリットがある。

インドや中国のソフト産業が瞬く間に成長、発展を遂げている現状は、ソフト開発における後発優位の可能性を如実に物語っている。

 要するに、やる気さえあれば誰でも、さしたる投資も要らずに始められると云う事である。

 

(2)全ては人次第

 ソフトウエア開発は、「もの(ハード)づくり」の場合の設計作業にあたる。これによって何か新たな価値が創造されるか、新たな機能などが付加されなければ設計の意味はない。その出来映えは、従事した人のセンスとモチベーションに全てが懸かってくる。

 ソフトウエア開発の成否は、従事する人次第という面が非常に強く、このため従事者の躾、処遇、教育更にはメンタルケアーなどといったファクターが生産性に極めて大きな影響を及ぼす。こうした観点から、開発現場には次の点が重要である。

(やり甲斐を共有出来る職場風土)

 リーダーの下、十分な統率が取られている前提で、職場は風通しが良く、職員個々は自由闊達に意見交換をし合い、常に向上意欲が持続されるよう配意工夫がなされている。

(技術、ノウハウが組織に蓄積し成長出来る仕組み)

 職員個々人の経験や成果が組織を成長させ、成長した組織が職員の成長を助ける。職員と組織が相互に交絡を重ねながら発展を遂げられるような仕組みが構築されている。

 我が国に置いては、以上のような環境下でソフトウエアが取り扱われているケースは極めて稀である。殆どの場合は、後で述べるような多重下請け構造の中で処理され、現場は3Kなどと言われる惨憺たる状況である。

 戦後の荒廃から、見事にハードを中心とした工業立国を果たした日本の国民性を考えると、ソフト産業を成功に導けない筈がない。

 

(3)ソフトウエアは生き続ける

 一度ソフトウエアが社会インフラのようなシステムの中に組み込まれると、そのシステムが存在する限りソフトウエアは成長を重ねながら生き続ける。例えば、銀行におけるコンピューターシステムを考えれば一目瞭然で、当初一部門に導入されたソフトウエアは順次全部門に広がり、更には、取引先をカバーしたトータルなソフトウエアシステムへと成長し、事業運営の全てが完全にソフトウエアに依存するようになる。

ソフトウエアシステムの場合、最初の開発はほんの始まりで、それを如何に育て維持管理して行くかが本番で、実は、ここが大問題である。

なお、ソフトウエアは、ハードウエアと異なり、経年劣化が無い。欠陥個所を順次修正して行けば、益々堅牢なものになって行く。会計処理上、ソフト資産を無形固定資産として原価償却を行っているが、この辺りを観ても、ソフトウエアに対する社会・経済的基本認識が如何に未熟であるかが分かる。

 

2. ソフトウエアを取り巻く問題

21世紀は、ソフトウエアがある意味で世の中を支配する時代になる事は、誰もが疑う余地は無いと思うが、それに対する認識の度合いに、極めて問題がある。

昨今、年金問題等ソフトウエアへの十分な対応を怠った為に生じたトラブルが社会問題に発展したが、今世紀は、安心、安全がソフトウエアに良くも悪くも依存する時代になる。

これについては、ソフトウエアに直接従事する者は大変な危機感を持っているが、利用者側の、特にリーダー層の認識は、極めて甘いと言わざるを得ない。

 

(1)ソフトウエアを利用する側の問題

ソフトウエアに対する関心は非常に高まっているものの、ソフトウエアの本質に対する理解が極めて不十分であるため、大変始末の悪い事態を招いている。

一例を挙げると、コストをかけず高い機能を要求して新規開発を失敗した例であるとか、レガシーシステムの更改を引き延ばし、かえってそのメンテナンスに法外な費用を掛けているケースなどが、日常茶飯事の如く見受けられる。

ソフトウエアシステムは、先に述べたように、その増殖過程を木目細く管理しないと、何時の間にか無様な継ぎ接ぎだらけの、寸足らずの着物のようなものになってしまい、ちょっとした綻びからバラバラに弾けてしまう危険がある。

特に、社会インフラのようなソフトウエアについては、高い信頼性が要求され、その規模も拡大の一途を辿るので、利用者サイドは、メーカーなど、第三者への完全依存体制から、自分自身で対応出来る体制への脱却を図らなければならない。

 

(2)ソフトウエアを供給する側の問題

 わが国のソフト開発業界は建設業界に類似した多層的な下請け構造を採り、肝心な製造工程(開発作業)は、人材供給を派遣に拠っている。作業者の労務単金を抑えトータルコストの低減を狙っている訳であるが、成功しているとは言い難い。

多層化により、発注者から作業者までの距離が遠くなるため両者間の情報交換が難しく、全体を通したマネージメントも不可能に近い状態に陥る。当然のことながら開発はうまく行かず、やり直しや、動かないコンピューターシステムがゴロゴロしている。

総じて、ソフトウエア開発の現状は、生産性が極めて低く、高コストになっていると言わざるを得ない。

 また、開発作業が派遣社員によって行われるため、開発を通して得られる技術成果やノウハウが個々の作業者のものになり、発注サイドや、受注したソフト会社に組織的に蓄積されず、国家的にも技術資産として整然とした形で蓄積されていない。これが、ソフト産業が基幹産業に成りきれない要因にもなって居る。

また、現実的弊害は、人材流動が激しいため開発担当者が何時の間にか所在不明になって、システムメンテナンスがピンチに陥ることである。

 

 最近はオフショアーと称し、案件を一括して外国会社に委託する形態が急増して来ている。最近、外国各社の技術レベルが向上し、人件費が割安のため、初期開発に関しては成功しているケースが多い。しかし、長スパンのソフトライフサイクル全般に亘って如何なるかについては、歴史も浅く今のところ何とも言えない。

また、システム開発を通して発注サイドの機密情報が第三国にオープンになる恐れがあることを考えると、発注するシステムに自ずと限界があるのではないかと思慮される。

 

対応策(結びに替え)

 縷々のべたが、わが国が、ICTに関わる国際戦略を展開するに当たって、わが国に置ける指導者層のソフトウエアに対する認識不足と、ソフト産業自体の脆弱性が大きなネックになるのではないかと危惧するのは、以上の次第からである。

手を拱いている訳には行かない。幸い、先に述べたように、ソフトウエアは全てが人に依存するものであり、人材とモチベーション、それに環境さえ用意すればどうにでもなる。

日本の行政サービスは、縦割りに機能して居り、そのためコンピューターシステムを導入しても互換性がなく、国民は何かの手続きをしようと思うと、それぞれの手続きを扱う役所に出向く事になる恐れがある。

 共通番号制度を導入する事が出来れば、税務と社会保障というレベルだけで無く、パスポート、運転免許証、健康保険証、厚生年金手帳、印鑑登録証などあらゆる情報の一元管理と、更に、遠隔操作への対応が可能になる筈である。

 このようなシステムを構築し、運営して行くためには、行政システム共通の国家的プラットフォームが必要となるが、その構築はICTを所轄する総務省の緊急課題と考える。

 各種の行政システムは、共通プラットフォームを整備して置き、クラウド上のソフトウエアを使えば、個々のシステム構築は、多重下請け構造の業者などを使わずとも容易に可能で、後のメンテナンスも完全を期せる整然としたものになる筈である。

政府は、管理・監督的行政から一歩踏み出し、新しい現業機関もしくは国営のソフトウエア企業を興し、こうした業務を全て自前で行い、21世紀を開くICT産業の規範と基盤を創って頂きたい。

20世紀における日本の目覚しい発展は、先にも触れたが工業立国に成功したからに他ならない。また、これに当たっては、ハード産業の米とも云える鉄鋼の生産を国営化し、国が工業の基盤を磐石にした上で、世界に冠たる自動車や造船などの産業を興した事によるものと考える。

翻って21世紀を展望すると、コンピュータを縦横に駆使した情報産業の世紀と言える。これら産業の米に当たるものはソフトウエアである。しかしながら縷々述べた如くこの分野は現在、極めて心許ない状況である。政府の強力で且つ早急な梃入れを希求する次第である。

ICTに関わる国際戦略を展開するに当たり、前川様のご指摘を考えれば考える程、先ずは、自らの足元を固めなければならないと思うに到った。「急がば、廻れ」ではなかろうか。


2019.10.1会報No.88

心の糧を下さった恩師「ウルトラC

当会特別顧問 石井 孝

 2020年の東京オリンピックが近付いた所為か、最近オリンピックに関する話題が多い。

表題の「ウルトラC」と言えば、嘗て一世を風靡したNHKスポーツ中継の名アナウンサー鈴木文弥さんが、1964年東京オリンピックの際、日本選手が至難の技を次々に決めた際に表現した言葉として当時の流行語となったものである。

戦後(第二次世界大戦)の教育改革で、昭和二十二年四月から新制中学が発足した。発足当初の新制中学校は、予算や資材の不足から、校舎、設備、教材、教具のすべてにわたり貧弱を極めた。中でも、英語などを教える教員組織については大変不満足な状態であった。

 こうした状況からか、当時、現役大学生が学生アルバイトを兼ねて英語を教えるケースが多かったようである。

我が柏崎中学校にも早稲田大学文学部在学中の鈴木文弥先生が着任された。先生は東京生まれであるが、戦時中に疎開して、多感な青春の一時期を岩槻で過ごされた。

 現在柏崎は、さいたま市岩槻区柏崎であるが、当時は岩槻町に隣接する柏崎村であった。

出来たての柏崎中学は小学校の間借りで、ホームルームも物置を改造したコンクリート床の土足教室で、室内は何時も微細なほこりが舞い飛んで居る状態であった。

 鈴木先生は、こんな教室は健康に良くないと言われ、天気の良い日には校庭や、時には野外に繰り出して授業をされた。

 あの歯切れが良い、都会の香りが漂う如何にもハイカラで、端正な語り口の授業、興に乗ると、英文学やプロ野球の話等、田舎育ちの我々には今までに想像も出来なかった世界を垣間見せてくれた。

 野外授業の行き帰りに大声を張り上げて、先生のリードで歌った、NHKのラジオ歌謡「思い出は雲に似て」も忘れられない。

「はるかに遠き日を 呼び返すごと 群れとぶよ 群れとぶよ 夢の数かず」。

 先生は卒業されると直ぐにNHKに入局されたので、在職された期間は大変短かったが、思春期を迎えつつあった田舎育ちの餓鬼どもに与えたインパクトはとても強烈であった。

 知らず知らずの中に生徒を刺激し、明日への、胸が躍るような夢や憧れを抱かせる、そんな教師が本当の良い先生ではないかとつくづく思う。

 東京オリンピック開会式ラジオ中継の「開会式の最大の演出家、それは人間でもなく、音楽でもなく、それは太陽です」に始まる伝説の名調子や、「ウルトラC」「金メダルポイント」などの名言を残した鈴木先生、先生はNHKのレジェンドになられた。

 東京オリンピック開会式ラジオ中継の一コマが、次のユーチューブに残されているが、最終聖火ランナーの実況放送は、まさに圧巻である。

  https://www.youtube.com/watch?v=r9rf1ZeikbE 

 所が、鈴木先生はNHKを定年退職した翌年、58歳で脳内出血で危篤状態になり、左半身不随、言葉も十分に喋れることができなくなってしまった。

入院して言葉もしゃべれなくなってしまったが、よしもう一度喋ろうと決心する。「闘病生活のなかで自分の気持ちにピリオドを打ってはいけない」。そこで止まってしまったらそこでおしまいだ、自分の人生は自分で作っていかなくてはいけない。

朝起きて、あいうえお順を何回も繰り返す発声練習を毎日繰り返す。そして、見事、民放のアナウンサーに返り咲かれた。

また、あいうえお順を何回も繰り返す過程で、「あいうえお」の中に人生の教訓を見出す。

「あ」は相手の立場を考えよう。

「い」は厭なことを進んでやろう。

「う」は上を向いたらきりがない。

「え」は笑顔は自分で作れ。

「お」は御礼の気持ちを忘れるな。

「あいうえお」を忘れて居る日本人の数が増えて居るのが、日本が元気がない原因だ、と言われる。

 今想うと、鈴木先生は単なるハイカラなアルバイト先生では無く、教育者としても「ウルトラC」の素地を持たれた方ではなかったかと思う。

 一見荒廃した初期の新制中学現場であったが故に、却って、鈴木先生のような素敵な師に巡り会えたのではないかと思うと、昨今、人づくりとか教育の問題が盛んに議論されて居るが、本当の教育環境創りとは如何したら良いのだろうかと、つくづく考えさせられるのである。


2019.8.1会報No.87

千里の道も一歩から

-トンガ王国防災ICTシステム構築までの道のり-

当会顧問 加藤 隆

 

 当ICT海外ボランティア会は2008年、JICAシニア海外ボランティア(以下SV)を経験したNTTOBを軸としてスタートしました。私もその一人です。本会設立の主旨はNTTOBに「現役時代に蓄積した技術と経験を基に、それらを欲しがっている開発途上国へ伝授しよう」とのことでした(技術には経営などのノウハウも含む)。ところが開始して驚きました。NTTの現役諸氏が多数この会への参加を希望しました。彼等は主にJICA青年海外協力隊経験者で、この会の主旨に賛同し、いずれはSVを経験したいとのことでした。更に、NTT以外の会社OBからの入会希望者もあり、力強く活動展開しました。

 当会活動の柱の一つに「海外で活動中のSVの支援」があります。忘れもしない2010年、SVとしてトンガ政府のアドバイザーとして派遣中の鈴木弘道氏(元NTTデータ)より、「トンガは南大洋州の島国で、地質学的に見て、日本と同様に地震多発地帯にあり、津波などによる災害に見舞われ、毎年サイクロンにもさらされている。防災・減災への取り組みが国家開発課題の一つになっている。ICTを活用した防災・減災のためのシステムを構築したいので、その支援をお願いしたい」との要請がありました。トンガは約170の群島からなり、人口は約11万人の王国です。我が国皇室とも交流があり、小学校では日本のそろばんが必須科目になるなど親日的です。

 その頃、日本のODAがアンタイドに変更されたことなどから、日本の電気通信関連企業の海外進出が鈍った時期でもありました。それで情報通信国際交流会(IFIS)とタイアップして一案を作り、それを基に総務省幹部との意見交換を行いました。この案の骨子の一つとして、ODAの実施に当って日本企業は極力グループを組んで対応することとし、将来を見越して有為な若手を中心に進めることが望ましいとしました。総務省は当方の考えをよく受け入れて下され、話し合いは2時間でも足らない位でありました。

こうした経緯を経て、当会は早速本件に取り組むこととし、アジアAPT(太平洋電気通信共同体、本部バンコク)の日本政府特別拠出金によるパイロットプロジェクトスキームに応募し、本件(提案名:E-disaster Communication Network in Rural Island Environment)が採用されました。当会は出来るだけ汎日本的になるよう、JTECBHNとタイアップしました。

 第一段階として、2012年トンガとの共同研究を実施しました。これは1年間、相互に行き来して、トンガの人材育成を含め、課題分析及び各種解決方法の検討することであり、私も若手に混じってトンガに参り、パイロットシステムの検討に加わりました。第二段階は翌年、パイロットシステムを構築することであり、これはJTECの田村正人氏が中心となって日本無線の献身的な協力の基に実施され、このシステムの効用がトンガ側からも高く評価されました。

 その後、トンガ政府から日本政府に対し無償資金協力要請書が提出され、多くの離島を含むトンガ国全土をカバーする運びとなり、機器の殆どは日本製で、エンジニアリングもわが国が実施し、今年7月に建設工事が着工され、来年8月に引き渡しの予定とのことです。多くの方々と機関のご理解とご尽力が結集し、まさに「千里の道も一歩から」かと感慨深いものがあります。この間、JTECの活躍は見事でした。そしてこのシステムがいずれ何らかの形で、トンガのみならず太平洋諸国全域に普及することを願っております。


2019.8.1会報No.87

徒然日記(5):シニア海外協力隊顛末記(4)

当会特別顧問 石井 孝

5-4 民間企業とのジョイント

 

DVT (Dual Vocational Training)

 

 タイの教育省は、On the Job Trainingの一種で、民間企業に教育訓練を委託するDVT (Dual Vocational Training)と称する職業訓練システムの開発をすすめている。これに関して、日本企業ではトヨタ、ホンダが積極的な協力を行っている。トヨタの場合は、系列ディーラーのために作った教育訓練センターに職業高専生を受入れ、板金、塗装などの実習訓練を無償で引き受けている。

 現在、この訓練システムは開発途上にあり、一部の熱心な学校と、関心を持つ企業がお互いに話し合ってケースバイケースで試行的に実施しているのが実情である。政府も実施企業に対し、税制面等で優遇するなどと云ったことも検討しているようであるが、未だ実施には至っていない。筆者等もこのシステムを積極的に利用することにした。校長は極めて積極的に動いてくれ、タイ第一の民間電話会社Telecom ASIA社と基本的合意を取り付けてくれた。同社は元教育省次官を教育担当顧問に迎えるなど、教育訓練に熱心で、訓練用設備、教官等訓練環境は非常に良く整備されている。教育担当の責任者に会い色々話をしてみると、技術的経験が豊かで、技術革新の動向についても的確に把握しており、こちらの要望も積極的に受け入れてくれた。

 実際に実行してみると、経費負担の問題や委託先における生徒の管理の問題など検討し解決すべき事項も多いが、メリットも大いにあることがお互いに実感出来た。学校側から見たメリットと企業側から見たメリットを整理すると凡そ次ぎのようになる。

 

学校側から見たメリット:

A. 企業の教育訓練施設には技術的に最先端の実働機器が設置されているので、自ずと最新の生きた技術に触れることが出来る。また、教官陣に優秀な技術者を当てているので、先の輪講でうまく行かなかったTCP/IPの授業なども、企業側の教官による講義形式のコース開設で解決出来る。

B. 企業内研修の仕組みの下で生徒は教育訓練を受けるので、企業内における躾や生活ルールなどを強いられるため、卒業前に世の中の空気をある程度勉強出来る。

C. 生徒を企業に売り込むチャンスになる。

 

企業側のメリット:

A. 企業イメージのPRと社会貢献が出来る。

B. 優秀な生徒を選り取りで就職勧誘出来る。

 

 実績は未だ十分とは云えぬが、新しい生きた技術に接した時の生徒の目の輝きを目の当たりにしたり、就職内定を得た生徒の喜ぶ様子などを見ると、つくづく良かったな、と思ったものである。

現在、在タイ日本企業の殆どは不況の所為もあってか、DVTに対し極めて消極的である。このような活動を上手に行うと、タイの若者達の心に日本と日本企業に対する自然な親近感を植え付け、社会貢献と堅実なビジネスの拡大に繋がって行くであろう。日本政府としても、技術援助の一環としてサポート出来るよう工夫してみる価値が十分あるのではないかと思う。

 

5-5 英語教育

 

ネイティブスピーカー

 

 この国で専門学校ぐらいのレベルになると、英語が殆ど通じ無い。日本の状況を考えるとあまり威張った事は言えないが、英語に不自由しない近隣諸国フィリピン、シンガポール、マレーシアなどと伍して行くためには、タイにとって英語教育は重要な課題である。

 先ずは生徒に英語に対する興味を持たせようと云うことになり、ネイティブスピーカーを臨時教師として雇ってみることにした。思惑通り、生徒は見慣れぬ外国人の陽気な授業に大変興味を覚えたようであった。しかしながらタイの決まりでは、臨時教官の、特に昼間の手当ては安く、外国人教官は残念ながら長続き出来なかった。

 何とか自前で改善を図ることにし、当校随一の英語力を持つ校長秘書のChollanaさんに英語教官を兼務して貰うことにした。彼女は快く引き受けてくれ、自分の経験を基に、演習の多いケンブリッジ大学出版のテキストを利用した授業を行うなど色々工夫を重ねてくれた。毎日、生徒の解答を自宅に持ち帰りチェックするなど授業も極めて精力的であった。この甲斐あってか、半年も過ぎる頃になると、生徒の方も熱が入りだし、教官室にドリルノートを取りに来ては、筆者らに英語で挨拶を行ったり、簡単な質問をするようになって来た。

また、このようこともあった。卒業年次の生徒が就職試験を受けたところ、技術問題が全て英語で出題された。この生徒は英語が分からないため、全く解答が出来なかったのである。このような事件も手伝い、校内全体に英語の必要性が浸透して来た。

 彼女の努力も報われ、先の展望も開けて来たかにみえた。しかし、事情は後で述べるが、Chollanaさんはこれから間もなくして米国留学に旅立つことになり、後が続かなくなってしまったのである。

 

爪痕を残す

 

 あれこれやってみるのであるが、周りの状況が色々と変化する中で、これを根付かせ、成長させることは極めて難しい。やった事全てが無意味になるとも思えないが、何か手を打っておかないと、瞬く間に全てが風化してしまうのではないか、という思いに駈られる。何とかしっかりした爪痕を残したいと思った。

 

よろず相談

 

 よろず相談のような形で皆の中に溶け込むやり方は、吾ながら旨くいった。授業に関する話を切っ掛けに、学校内における諸々の事情からタイ社会の風習などあらゆる情報が入って来た。

 また、こうした話の中から新しい仕事に繋がるヒントも得られた。やはり常に現場に生のパイプを持つことは何をやるにも大切なことなのである。

 

6 校長の栄転

 

 Mangkorn校長との仕事は、人種の違い、言葉の壁、風習の違いなどを超え、実に楽しいものであった。初めての外国生活で、この様なやる気のある、何時も青年の志を失わない人にめぐり合った幸運を神に感謝する思いであった。

彼がもし教育省の然るべきポストへ栄転することが出来れば、そのポストを活用して、今までこの学校でやって来た経験を生かし、その成果を全国的に展開してくれるであろう。

 ある時期から上位部局に当る職業教育局の幹部が出席する会議や会合には、出きる限り出席し、当校で実施している施策とそれに対する校長の熱心な活動と成果について紹介した。職業教育局長には来校してもらい現場をみてもらうこともした。

 そうこうしている中、ある会合で、校長の異動先として職業教育局産業教育部長でどうか、との話が出た。これは全国の職業高専を統括するポストである、正に願ったり叶ったりである。早速、それとなく校長に決意を促すと、これまでの人事の慣例ではいきなりは無理であると、素っ気無いものであった。

しかしながら、予定外のスピードで事は運び、筆者の任期数か月を残す時点で念願のポストに校長の栄転が叶った。

Mangkorn校長とは二年間任期いっぱい一緒のつもりでやって来て、何か淋しい気もしないでは無かったが、彼に対し多少の報答が出来た気持ちと、今までの仕事が何とか先に繋がった思いで爽快な気分になった。校長も大いに喜んでくれ、内示を受けた時は、真っ先に知らせてくれた。

 新しいポストにおける彼の仕事振りは期待した通りであった。新技術を取り入れたカリキュラムの改善、DVTの全国展開、若手教官の育成など、就任早々、矢継ぎ早に手を打ち出した。この間、筆者もよく呼び出され、手伝いをさせられた。

 

7 一段落

 

 新しい校長のWarin氏はタイ人特有の人の良さは持っているが、Mangkorn氏に比べると歳も上で、極めて保守的な人であった。色々手掛けて来た施策についてブレーキを掛けるような事はしなかったものの、成るべくなら新しいことには一切手を付けないというスタンスである。

 教職員に対しても、ポストや身分に従った接し方をとり、教官会議も二様になった。ある日、教官会議というのにChollanaさんが出席しないので事情を聞いてみると、正規教官と臨時教官を分けて別々に会議を行うようになり、今日は正規教官会議なので出席しないと言うのである。正規教官と臨時教官の2種類がある事は知っていたが、Chollanaさんが臨時教官であるとは、実はその時まで気がつかなかった。

 前のMangkorn氏は能力とやる気を至上主義とする人で、正規、臨時に関係なく、出来る人を重用していた。このため、臨時教官組でも正規教官並以上に活躍の場を与えられていた人達はショックを受け、大分落ち込む者も出た。Chollanaさんもその中の一人であった。

 新校長は彼女を秘書からはずし、兼担していた英語教官一本にしてしまった。かなりのショックであったようで暫く塞ぎ込む日が続いたが、それから間もなくしてアメリカ留学を決心した。

 新校長の筆者への対応はけっして粗末にすると云う訳ではないが、謂わば神棚に飾られたような形になった。おかげで任期も残り少なって来ていたこともあり、サバサバとした気持ちで仕事に区切りをつけ、一段落する事が出来た。

 思い残すことは色々あったが、2年間の任期を終え帰国すると、平成13年度のシニア海外ボランティア代表として、(平成)天皇皇后両陛下に活動報告をする機会を与えられた。これはまさに僥倖であった。吹上御所で両陛下から心に響くねぎらいのお言葉を頂き、心にポッカリ空いた風穴もすっかり修復され、自分なりに精一杯であった蘇活の方も一段落した。()


心不全の話

当会顧問

株式会社ハイホーCEO

鈴木 武人

 

昨年、刑事役の貫禄とお惚け、さらに特徴あるしわがれ声で、TV等で活躍していた大杉漣さんが働き盛りの66歳で亡くなられた。身長178cm、体重72kgといういわば理想的な体格でこれからの活躍が期待され、個人的にも好感を持っていた俳優だけに残念な気持ちが残っています。

所属事務所は「弊社所属の大杉漣が、2018年2月21日午前3時53分に急性心不全で急逝いたしました」と公式ホームページで発表しており、ドラマ撮影中に体調不良を訴えていたとの情報も伝えられた。状況としては午後9時に撮影を終え、共演者らと食事に行き、ホテルの部屋に戻った後で腹痛を訴えたという。その後、タクシーで救急病院に搬送され、病院で死去した。

直前まで元気だった人の突然の死。ご家族や関係者には大変なショックでしたでしょう。

医師でもない小生が此処で話題として取り上げさせて頂いたのは、実は小生も心臓に問題があって危うく命を落とす所だったからです。運よく、事前に欠陥が発見され、急遽8時間に及んだ人工心肺による手術、一月半の入院を経て、現在まで生き延びさせて頂いていますので、その経験と皆様の健康のための助言を兼ねてこの原稿を書きました。

さて、日本循環器学会によれば『心不全とは、心臓が悪いために、息切れやむくみが起こり、だんだん悪くなり、生命を縮める病気』であり、また急性心不全とは、「心臓に器質的および/あるいは機能的異常が生じて急速に心ポンプ機能の代償機転が破綻し,心室拡張末期圧の上昇や主要臓器への灌流不全を来たし,それに基づく症状や徴候が急性に出現,あるいは悪化した病態」ということです。大杉さんは腹痛があった事から急性心筋梗塞などの虚血性心疾患からきた急性心不全と言うことが考えられます。冬場の温度差の大きい部屋の出入り、即ち風呂で発生する事が多いといわれています。しかしながら、何故心不全、特に急性心不全に襲われることになるかは、これ等の定義では判明しません。一般に、日本の病院では『手術は完璧に出来ました』とか、『出来ることは全てやりました』とかの説明はしてくれますが、何故そのような病状に至ったか、その原因は教えてくれません。そこでこの機会に、少し古い話ですが、小生がフィリピン、ケソン市の聖ロカ病院(Saint Luke's Medical Center)での健康診断から病の発見、処置に至った経験を紹介させて頂きます。

病名は僧房弁腱索断裂による僧帽弁閉鎖不全(MVP)というものです。心臓の中は実に良くできたもので、大まかに2つの心房と心室に構造が分かれ、左心房の上部から発するパルス電気信号を電気・生理化学的に変換する事によりタイミングをとって各心房心室の収縮リズムをとり、その間を弁が塞ぐ事で、ポンプとして肺から酸素を取り入れて脳や身体全体に血液を送っています。これらの弁は、実はふわふわの葉っぱの様な構造で、その先についた複数の腱策がこれを引っ張るストッパーの役割を果しています。この腱索によって弁が閉塞状態になっても、単に塞ぐのではなく、赤血球や白血球を壊さない様に微妙に閉じる様になっています。

これは医学会の統計データから明らかにされたそうですが、我々の世代が少年期にあった時にある種の風邪が大流行したようで、これが高熱を発するリュマチ熱 (リュウマチとは違います) を起こし、関節炎、急性腎炎等も発症したそうです。思えば小生も中学1年の頃までに麻疹を含めて一連の病気を経験していますが、具体的に何時、どれが該当するかは記憶の外です。これらの高熱を発した病は1週間程度で回復をしたのですが、説によればそのウイルスや細菌の残骸は石灰化した状態で残るそうです。恐ろしいのは、これが僧房弁や三尖弁の先に残って石灰化し、硬い組織となって弁の構造に影響して柔軟性を無くし、これがナイフのようになって腱索を削って断裂を発生させ、結果的に閉鎖不全を起こし、急性心不全で死に至るという事です。その頃日本で受けた一日定期健診では問題が無いとされていましたが、幸いにも現地の会社の取締役の義務としての一泊2日の定期健康診断で、この症状がマニラのセント・ルークス病院の健診で発見され、急遽手術ということになりました。担当のハートセンター長からは、『貴兄には3つの死に方がある。1つ目は体中に血液を送る左心室の僧帽弁が閉じることが出来ないので、左心室の強力なポンプ力が肺への圧力となって肺が爆発、大出血となるものであり、落命には数分以上を必要とし、窒息死であることからかなり苦しむ。2つ目は心臓内の血流が渦を起こし血栓が多く発生して脳に行き、脳血栓を発症する。この場合急死とはならないが周囲に多大な負担をかけることになる。3つ目には、心臓のポンプ作用が不十分であることから体中から心臓に更なる働きが要求され、その結果心臓自体が疲労・爆発する場合がある。この場合数秒で死に至るので、最も幸運な死に方と言えるが、貴方には選択権が無い。唯一の解決策は緊急に手術を受けることだ。』との強力な説得を得て、緊急的に手術を受けることとしました。当時の技術としては正中切開(ネクタイ様の胸骨を取り出して、大きなカンシで胸を開いて心臓を取り出して切開)をして、血液を満たした人工心肺装置で血液循環を置き換えて点滴注射と冷却により心臓を止めて心臓の内部の手術へ進む方法でした。幸い現地の方々が多数献血に駆けつけてくれて準備が整いましたが、日本側へ問い合わせたところ、当時血液製剤によるエイズの流行に対応する為に輸血をしなくても良い可能性をもたらす自己血手術が開発され、これが丁度安定化した、予後の種々の障害を勘案すれば自己血手術に越したことは無いと言う事で、日本で手術を受ける事としました。JALには内緒で脈拍と血圧を下げる処置をして心臓への負荷を最小にして帰邦、女子医大に入院して、事なきを得ました。この手術は8時間程を要しましたが、術直後に酷い喉の渇きを覚えて目覚め、気管に挿入された器具によって話ができない中、必死で娘の手を握ってミズ・ミズと指で書いて訴えましたが、『麻酔を追加するので本人は何も覚えていない筈』との医師の言葉に絶望した覚えがあります。手術前の説明で、人工心肺に希釈した自己血を満たす為、術後に水分を抜くので喉が渇いた感じがするが、これは正常との説明が欲しかったとつくづく思いました

話をマニラに戻しますが、日本での検診と違い、彼の地では一般健診後にトレッドミルで心電図計測しながら角度を上げて全力疾走させて測定します。小生の場合、その際に初めて異常が発見され、急遽心エコーで逆流が確認、更に食道エコーで僧帽弁が閉じずにその腱索が踊っていることも見せてくれました。同世代の皆様も確率的に同様な危険性を持たれているように思います。日本でも負荷をかけた心電図健診は医師に要求すれば可能だそうですので、一度お試しください。


徒然日記(4):シニア海外協力隊顛末記(3)

当会特別顧問 石井 孝

5-2 試行授業

 

名通訳

 

 インターネットに関しては、色々な社会科学的説明や技術的な解説書が山ほど出ているが、出来る限り受け売りを避け、インターネットの必然性、技術的な特徴、インターネットの光と陰と云った点について、極力筆者自身の解釈で話をした。

講義は英語で行い、Chollanaさんに通訳を頼んだ。最初ほんの少しの間、呼吸が合わなかったが直ぐに慣れた。彼女は全体の雰囲気を察し、或る時は丁寧に、皆見当がついていると観ると訳しもせず、それは絶妙な通訳であった。そして、更に感心したことは、2回目の講義以降、専門用語を完璧に通訳してくれた。また、彼女はこの経験を通し、情報技術(IT)とそれが社会に与えるインパクトについて強い関心を覚えたようであった。

ここで講義内容の詳細を述べる積もりはないが、インターネットに象徴されるIT技術と、開発途上国、特にタイのような中進国との関わりについて考えてみたい。実は、この辺りが、インターネットの講義にこだわった理由の一つである。

 

中進国と工業化

 

 従来、中進国の工業化は通常、ハードウエアに関連する製造業からスタートしている。日本の場合もそうであった。半世紀以上の年月をかけ、材料、部品の開発から複雑なシステムの設計、製造、品質管理に至るトータルな物造り技術の体系を確立した。我国の場合は、戦後の復興という差し迫った環境条件と、着実に積み重ねが出来る国民性が相乗的に働いて好結果を招いたものと思うが、こう云ったケースは稀で、大抵の場合は先進諸国の下請け工場化程度に止まっているのが現実である。

 ところで、ソフトウエア開発をターゲットに工業化を目指したインドの場合はどうであろう。20年足らずの期間で、彼等はソフト大国に仲間入りを果した。

 ソフトとハードの違いは、一口で云うと、ソフトは、全てが人の作ったもので、全体が人工的論理で構成され、支配されている。しかしながら、ハードの方は、神が創造した物質が全てのベースになるため、人知の及ばないところが多い。このため、ハード開発には物理、化学と云った基礎科学から匠の技と言われる経験的技能に至る極めて幅広い技術的能力が必要となる。一方、ソフト開発の場合は、論理的思考能力さえあれば、何でも出来る可能性がある。このため設備投資も少なくて済む。また、説明困難な匠の技などは一切ない、新しい技法は全て論理的に説明出来るので、基礎さえ出来ておれば誰にでも理解出来、利用可能である。こう云った点から、ソフト産業は、後発者優位の可能性をも秘めている。中進国はより一層ソフトウエアに関心を向けるべきなのである。

21世紀は、コンピューターの世紀である。20世紀中に幼年期をすませたコンピューターはお互いに手を結びネットワークを構成して、世の中に新しいコンピューターカルチャーを創ろうとしている。その始まりがインターネットである。言うまでも無いが、そこにおける主役はソフトウエアに他ならない。ネットワークを動かすのも、またネットワークを利活用するのもソフトウエアであり、新しい文化はソフトウエアによって創造される。

 

講義の反応

 

 以上のような想いを胸に、Chollanaさんのアシストによる講義結果は概ね満足出来るものであった。校長が、開講時に趣旨を丁寧に話してくれた。特に、教官クラスは熱心に聞いてくれ、質問も的を射たものが多かった。

 生徒の方は一苦労であった。人数の多いクラスでは、静かにしているのは最初の30分ぐらいで、ざわつき出す。初めは私語を行っている連中に質問をして牽制など注意もしたが効果はなかった。途中から、熱心な生徒を前の方に集め、彼等中心に授業を行った。

 このグループには宿題も出した。数日で出来るだろうと思ったが、余裕をみて一週間の時間を与えた。次ぎの週、期待して授業に出ると、宿題を提出する者は皆無である。どうしたのかと聞くと、今やっているから来週は大丈夫と言う。しかし次の週も、また次の週も同じ事の繰返し、一ヶ月で諦めた。すると三ヶ月近く経ってから、宿題が出来あがってプレゼンテーションをするから来てくれと言ってきた。こちらは、何を出したかも忘れてしまったが、出て行ってみると、オーバーヘッドプロジェクターを使った解答は、大変良く出来ていた。思わず嬉しくなった。三ヶ月は長過ぎたが、素晴らしい解答だったと大いに褒めた。

 この国では、こんな風にとてつもなく待たされることをよく経験する。時間の物差しが違うと言ってしまえばそれまでだが、「貧困はあっても、飢餓は無い」と云うお国柄、あくせくする必要が全く無いのであろう。彼等を信じて待つ、これがこの国で仕事をして行く上で、ポイントの一つかもしれないと思った。

 輪講形式の授業の方は、上手く行かなかった。実用的なテキストを選び、若い良く出来る教官をチューターにして、手を尽くしたのであるが、いざ始めてみると、先ず英語の読解で難航し、内容の理解も捗々しく行かなかった。曲りなりにも一通りは終えたが、職業高専の現レベルでは、輪講はとても無理のようである。今後は、何か別の方法を考えなくてはならない。

 授業の試行は、改めて職業高専の抱える問題点を再確認するかたちになったが、大変良く出来る生徒や、熱心な若い教官が居る事も分かった。能力別クラスの導入や優秀な教官を巻き込んだ課外授業の設定など色々工夫すると、面白い結果が期待出来るのではないかと思った。また、教官に対する授業は、特に若い教官に大分刺激を与えたようである。数人の教官が、IT関係の勉学をするため留学をしたいと言って、早速相談に訪れた。早速、3名の俊英達がアメリカや国内のキングモンクット工科大学のマスターコースでIT関係の勉強を始めた。

 

5-3 コンピューター実習室

 

草の根無償援助

 

 コンピューター実習室作りについては、校長が大変乗り気になった。授業で話したインターネットを実際体験させるだけでなく、出来れば校内LAN (Local Area Network)を造り、図書館の検索管理ぐらいまでやってみたいと言い出した。しかし、先立つものが無い。

 外務省の草の根無償援助が受けられないものかと考えた。早速、大使館の担当官に当ってみた。担当官の話では、元来、貧困層を対象にした援助なので難しいが、前例等を調べ解答してくれることになった。期待して待ったが、結局、職業高専は貧困層に当らないと云うことで却下された。貧困層の救済、エリート層に対する支援、これらは大変結構なことである。しかし、国を支え、国の基盤となるその国の中堅層に対する支援についても良く考えて見る必要がある。

我々が戦後の復興期にアメリカから受けた援助を反芻する時、中堅層の心の底に残る援助が幅広い精神的な親米効果を高め、その後如何に大きな成果を収めて来たかを考えさせられるのである。

 

完成までのあれこれ

 

 以上のような経緯もあって、結局、校長が持っている虎の子の予算100万バーツを頼りに、自前で出来る範囲の中で実習室を作ることにした。大まかな設計書を作り、これを基に校長が業者を募り見積もりを要請した。4社の応募があったが、各社から色々意見を聴き、校長が学校関係に実績のあるところに決めた。その後、三ヶ月間ぐらい掛け、詳細な設計を完了した。この間、業者には大分無理も聞いて貰った。

 そして、いざ工事開始の段階で意外な問題に遭遇した。電話会社が回線増設は不可能であると言ってきた。バンコク市内と云っても、この辺りの郊外になると、インフラが貧弱で空き回線が無く、急にケーブルの増設など不可能だと言うのである。申し込んでもなかなかつかない30年ぐらい前の日本の電話事情を思い起こした。

仕方が無いので、取り敢えずパソコンだけを搬入して貰い、先にコンピューター教室を整備し、回線増設は催促を続けることにした。回線開通の方は色々つてを求めて手を尽くしたが捗々しくなく、任期中の完成は無理かなと諦め掛けていたところ、任期残り半年の時点で漸く回線が繋がり、何とか赴任中に新しい実習環境への第一歩を踏み出すことが出来た。筆者帰国時には、生徒の授業だけでなく、近隣高専の教官訓練などで教室はフル稼働になった。開通の経緯を調べてみると、先に述べた宿題と同じで、関係する人達は皆それなりに努力してくれたのであるが、時間の物差しの違いで、我々には如何にもまだるっこく感じられたのである。


MOOCsその後-グローバルな動向

当会顧問

東京大学名誉教授

吉田 眞

 

20154月の海外情報談話会で、「MOOCsMassive Open Online Courses)-世界の動向と展望–」というテーマでお話しをさせていただきました。MOOCsは、OER (Open Educational Resources) 「公開で誰でも“自由に使える”、教育に関する資料・教育」の一種であり、「そのための共有材を作る」【1】ことで進展してきました。その後、持続性の維持からさらにビジネス化を狙って世界的に変貌を遂げており、最近の話題を提供します。

 

基本:

 

MOOCは「大規模公開オンライン講座」と訳され、「無料で大学レベルの正規講義(の圧縮版)をネットで受講でき、一定条件を満たせば修了証がもらえる」ものです。米国起源(CourseraedXが有名)ですが、ネット経由なので壁が低く「1講座で数万人の受講者を集めた」、「世界中から優秀な学生をリクルートした」等の話題で、2012年頃からブームとなり、欧米の主要先進国に急速に拡大しました。さらに、アジアでも中国、日本、韓国、東南アジアへの展開が進んでいます。【2】【3】【4

 

現状で講座コンテンツは作成者・提供者の所有物で改変・再利用禁止が殆どであり、“利用が自由なオープンアクセス(だけ可能)”となっています。これに対して、中身を改変して再利用可能(Creative Commons License)な“Open MOOC”もあり、オープンソースのLMS Learning Management System)等によるMOOCもあります。(http://openmooc.org/ 等)

 

最近の動向: 世界的には依然拡大、収益型への努力

 

2018年末のデータとして、量的には、世界中の受講者数は1.01億人、提供大学数は900以上、講座数は11,400と、いずれも前年より2桁増です。【4】質的には、形態の柔軟化(特定領域でのスキル認定、オンライン学位など)や、地域別の活動で、相違と特徴が出てきています。「無料聴講」が基本ですが、講座作成とシステムの維持には多大な資金と運用経費が必要です。これには、米国では有力財団の寄付・基金が、その他の主要国やアジアでは直接・間接の国の(強力な)支援が基盤を支えています。(日本については後述)

 

さらに、欧米中心に収益化の試みが急速に進み、学位や資格と関連させた有料プログラム(Microcredential, MicroMaster, micro-degreeなど)が増えています。しかしながら、MOOCには、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals : SDGs)」【5】の目標4「すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」具体的な手段としての期待から、有償化にも限界があり、個々にはまだまだ赤字のようです。

 

一方、日本は他の地域と異なり、日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)【3】という民間非営利団体の会員の会費とボランティア的活動に依存しています。このような状況で、MOOCにはビジネスモデルの成立に課題が多く、今後も模索が続くでしょう。

 

狙いと利用動向: 国により多様

 

講座は、各学問分野、実務、趣味に至るまで幅広く提供されていますが、欧米では、高校生・大学生の学習、若手社会人のスキル拡大利用が主となっています。これに対して、日本では、各年代の割合の差が小さく、特に中高年の自己充実目的の利用が多いという特徴がありましたが、最近では企業での従業員教育等への拡大が進められています。

 

MOOCの狙いは以下の通りですが、前述のように国によって濃淡があります。

(1)多様な社会的ニーズへの対応: 一般人向け。特に日本では、生涯教育、趣味・自己啓発が多い。現在、JMOOCでは、企業内教育への対応を強化。

(2)教育改善の手段: 初中等・高等教育の効果を高める。世界ではこの目的が主流で国が積極的に支援している。日本ではこの意識が低い。

(3)組織間連携の手段: 異なる大学の教員が協力し、さらに大学間連携を促進。

(4)個人のキャリア支援: 初中等教育から生涯教育まで、学習履歴記録で自己管理。

   -大学に3回入る- 新入18歳、職業人30歳、シニア60歳。今後の方向。

 

当会の皆様には、世界中の講座から興味のあるものを試してみてはいかがでしょうか。当会としては、海外人材教育に利用できる材料として(MOOC提供側への提案も含めて)検討してみてはいかがでしょうか。

 

■ 参考サイト一覧

[1] UNESCO Open Educational Resources: http://www.unesco.org/new/en/communication-and-information/access-to-knowledge/open-educational-resources/ 

[2] Massive Open Online Course: https://en.wikipedia.org/wiki/Massive_open_online_course 

[3] 日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC): https://www.jmooc.jp/ 

[4] Class Central: Year in review 2018, By The Numbers: MOOCs in 2018

https://www.class-central.com/moocs-year-in-review-2018 

https://www.class-central.com/report/mooc-stats-2018/ 

[5] UNGC 持続可能な開発目標(SDGs: http://www.ungcjn.org/sdgs/index.html 


徒然日記(3):シニア海外協力隊顛末記(2)

当会特別顧問 石井 孝

4 如何にして仕事に手を付けるか

 

経営コンサルタント

 

シニアボランティアの仕事を強いて大別すると、技能伝授的なものとマネジメントをサポートするタイプに分けられる。筆者のケースは、依頼側本来の要請はカリキュラムの改良であるとか、教授方法の改善と云った技能伝授的要素が主であったが、前項で述べたような問題に直面すると、小手先で済ませる訳には行かない。難しいことではあるが、学校運営、即ちマネジメントの面から考えねばならぬと思った。

 現役当時、民営化と云う経営の変革を実行する過程で、マッキンゼーやアンダーセン社の経営コンサルタントの世話になった経験を思い起こした。今度は、こちらが逆に経営コンサルタントになればよい訳である。既に、学校を取り巻く環境条件については、大まかな問題把握が出来たので、これを基に次のような手順で仕事の段取りを計画してみることにした。

 

A.実際授業を持つ形で現場に入り、現状の問題を肌で感じ取る。

B.把握した問題に関しては、組織全体の責任者である校長と十分議論を重ね、問題意識を共有する。

C.これら問題点の中で、重要で且つ現場で対応出来るものを選び、具体策を作り、ローカル的に試行する。

D.なお、実行は校長の指揮の下で、出来る限り教官等現地の職員が当る。

E.ここで達成したローカル的成果は、何らかの形で全国展開が図られるよう、常に配意する。

 

カウンターパート

 

 このようなマネジメントの問題を取り扱う場合、組織の中で最高の執行権限を持つ人物、校長と常に連携を保てるような形を作り、お互いに十分な信頼関係を構築することが極めて大切である。

 技術協力などで派遣される場合、派遣された者と受入れ側の接点となるパートナーが必要になるが、これをカウンターパートと呼んでいる。筆者の場合は、通信コースの科長であるBoorom氏がカウンターパート指定されていた。彼は苦学して大学を卒業後、チュラロンコン大学で技術関係職員として働きながら職業高専の教員資格を取り、幾つかの職業高専の教官を経て現在のポストに就いた。まだ、30代であるが、勘の良い英語も解かる好青年である。

技能伝授型の場合であれば、コース科長のBoorom氏が適任であるが、学校運営の基本を変えようとなると、コース科長ではとても無理で、相手としては校長しかない。筆者は、細かい事務的な問題は全てBoorom氏と相談し、仕事自体に関しては校長と直接実行することにした。この点については、両氏共快く了解してくれた。

 

シニアボランティアのシニアボランティアたる所以

 

 赴任準備のところでS1フォームについて触れたが、これはシニアボランティアに要請する仕事のスペックである。これを読むと、依頼側の気持ちはそれと無く分かるのであるが、仕事の具体的中身となると今一つはっきりしない。このため、満足な準備も出来ず、欲求不満のようなものを感じながらの赴任となる。しかしながら、一旦現地に赴任してみると、なぜそうなのかがよく理解出来る。

 頼む側からすると、何か大きな問題がある事は分かっているのであるが、それが具体的に何であるのか、どうしたら良いのかが分からないから頼んで来るのである。シニアボランティアは亀の甲より歳の功、長年の経験をフルに生かし、こう云った言わばカオスに近い状況の中から問題を抽出、整理し、これらに対する具体的な解決方法を見出さなくてはならない。これは、正に経営コンサルタントの仕事なのである。

 また、S1フォームに書かれている事がかなり明確で具体的である場合においても、その事項だけに捕らわれていると、重箱の隅を突ついて終わる可能性が無しとしない。よくよく検討してみると、それは目先の事で、それ以前にやるべき大切な事があるかもしれない。シニアボランティアの存在価値はこの辺りを見逃さない所ではなかろうか。

シニアボランティアは、このように気付いた事柄に関して意見やアドバイスを述べることは出来るが、執行する権限は持たない。新たに何かを実施するためには、執行権のあるトップをその気にさせ、やらせ、成果は彼のものとし、そこに根付かせ成長させる必要がある。シニアボランティアの経験、知識、技能等を十二分に活用するためには、カウンターパートは赴任先組織の長が望ましいと思う所以はここにある。

 

5-1 Mangkorn校長と共に

 

人はみな同じ

 

 校長のMangkorn氏は未だ40代後半の若手で、タイ人には珍しいやる気満々のアグレッシブな人であった。キングモンクット工科大学出身の技術屋で、熱心な教育家である。彼は1,000名以上居る殆どの生徒の名前を諳んじており、何か問題のある学生については家庭環境まで熟知していた。こう云う人と一緒に仕事が出来るとは大変ラッキーであると思った。

毎朝、校長とコミュニケーションを持つようにするため、米国在住の友人に頼み、ロイターのインターネットニュースを毎日送って貰い、その中から技術動向を中心にニュースを選択して、これを話の種にした。最初はお互いに遠慮もあったが、慣れてくると、公私に亘る話題に広がり、何時の間にか気の置けない付き合いが出来るようになった。人間は、言葉が違い、肌の色が異なり、生活習慣が変わっていても、本質はみな同じとつくづく思った。

 仕事の方は相談の結果、ターゲットを次ぎの2点に絞り、Nawamin College改革のための具体案を考えることにした。

 

A.技術の潮流を教える

 

 カリキュラムをチェックすると、1世代前の電話をベースにした電気通信技術が中心である。校内には、パソコンも数台あったが、専らワープロ用で、インターネット接続等は念頭に無いようであった。

人間相互の直接音声による通信は、携帯電話を含む電話網の完成によって一時代を画した。今や情報通信の対象はコンピューターを介した人間相互の通信、コンピューターと人間間の通信、コンピューター相互の通信にまで範囲を広げ、コンピューターの介在を特徴とするインターネットとこれをサポートする様々な応用技術がこれらをフォローしている。

 そこで、筆者が先ず教官と専攻課程(Diploma)の生徒を対象に「インターネット概論」を講義し、更に専攻課程の生徒にはインターネットのキーテクノロジーであるTCP/IP技術(インターネットのプロトコル)を輪講形式で履修させてみることにした。また、これに並行して、インターネット接続が体験出来るコンピューター実習室を造ることにした。

 

B.一流企業に就職させる

 

 生徒の就職状況を調べると、地元の中小企業などを中心に、校長の献身的売り込みのお蔭で、毎年9割方の卒業生が職を得ていた。

 職業高専の先々を考えると、国内の情報通信に関連する主要企業への就職のルートを築く必要がある。このため、学校側、企業側がお互いにメリットが享受出きるOn the Job Trainingのようなものを検討することにした。

 また、急速に進む国際化の流れを考えると、特に大きな会社への就職の場合、英語の力を付けさせなければならない。英語に関しては、学校全体が余りにもお粗末である。これについても何か手を打たねばならない。

 

よろず相談窓口

 

 とも角、これから皆の中に入って行動を起こす訳である。現地のカルチャーに漬かり込み、なるべく自然なコミュニケーションが出来るような状況を作らなくてはならない。更に、これからやって行く施策に対する反応、評判をストレートに聞き出せるようして置く必要もある。こんな思いのもと、現地語は不案内を承知の上で、教官、生徒全員を対象によろず相談窓口を開くことにした。


“第二の故郷”アルゼンチンへの想い

当会顧問

(株)ぐるなび 副社長

飯塚 久夫

 

 本年(2019年)は日本がG20議長国となります。昨年は“わがアルゼンチン”でした。“わが”というのは、もちろん私は日本生まれですが、アルゼンチンは心から“第二の故郷”と思っているからです。それも趣味の話になって恐縮ですが、NTTに入社したのは大学院を出てから1972年のこと。趣味の“アルゼンチン・タンゴ”は中学時代からですので「仕事45年、趣味55年」と言っています。いや、そんなエコ贔屓な話よりも、資源に乏しく食糧自給率も低い(38%)日本は、その対極にあり(食糧自給率243%)かつ親日的なアルゼンチンのような国と仲良くしておくことが本当の安全保障と思っているからです。

 

 日本とアルゼンチンとは1898年から交流の歴史があり(茨城県堺町出身のある個人は1853年以来ですが)、昨年は日亜友好通商航海条約締結120周年でした。これは日本が欧米との間で不平等条約を改正できた年より1年早いことでした。去る11月末、G20のため訪亜した安倍総理もマクリ・アルゼンチン大統領と懇談を行い、日亜投資協定署名式、さらに日亜外交関係樹立120周年閉幕式に出席しました。

 

 それに先立って昨年8月、「日本アルゼンチン友好議員連盟」の山本幸三会長、佐藤ゆかり事務局長ら議員の方々の訪亜のお供をさせてもらいました。私はアルゼンチンに長期滞在したことはありませんが、趣味の関係で毎年一度は訪れており、それなりに実情を把握してきたつもりです。10年ほど前には総務省主管の「地上波デジタル日本方式」南米普及の仕事のお手伝いでも何回か訪亜しました。NTTグループでNTTコミュニケーションズが提供している全国テレビ中継網(MACOT)デジタル化に従事した経験を活かすことと、その後NECグループ(BIGLOBE)に移ってからはNECテレビ送信機売込みの支援でした。

 

 しかし今回は、滞在中に図らずも、その頃大統領だったクリスティーナ・キルチネルが収賄の疑いで家宅捜査を受けるということがありました。NECブエノスアイレス社の新オフィスに引っ越す時にもわざわざ来てくれた女性大統領だけに、しかもペロン党というペロン大統領(特に有名なのは妻エビータ)の流れをくむ彼女が6兆円もの賄賂を受け取っていたとは!?と、感無量でもありました。貧しい人の味方であるはずのエビータにあやかっていたクリスティーナが何故こういうことになるのか?『ペロン党といっても今や右から左までいろいろあるのだよ』と以前から現地の人には聞いていましたが、今回は、上院議員である故に彼女が有している不逮捕特権(従って家宅捜査も出来ない)を剥奪してまで政府がこうした挙に出たのは、何と実は最近、15年間にわたって賄賂を運んでいた運転手がつけていた克明な運搬記録(ノート)が見つかったからです。

 

 さて、そのテレビのデジタル日本方式は、ほぼ南米諸国に採用されましたが、あれから10年(数年前に当会の本欄に書かせてもらったようなわけで)、今や肝心の(数量が出てカネになる)家庭用機器(特にスマホ)はすべて韓国メーカーに席捲されていました。それだけではありません。かつて(1920年代)、日本初の地下鉄銀座線は、日本より早く地下鉄が通ったブエノスアイレスに学んで出来たのですが、近年(2010年頃まで)は、逆に丸の内線の赤い旧車両をブエノスアイレスに払い下げるほどだったのです。ところが、この10年でブエノスアイレスの地下鉄は中国製の黄色い車両が殆どとなっています。

 

 こうしたことについても(昨今の日本のICT産業低落からしても)忸怩たる思いを抱くばかりですが、話を戻して、戦後まもなく(1961年)、タンゴ界で最も有名だったフランシスコ・カナロというマエストロが来日しました。同時にアルゼンチンのフロンディシ大統領も来日したのですが、当時は天皇陛下が羽田空港まで大統領を迎えに行くほどの日亜関係でした。というのは、古くは日露戦争で日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に勝てた一因は、アルゼンチンが(日本名)日進、春日という二隻の軍艦を日本に譲ってくれたことにあるのです。下って太平洋戦争後、いち早く日本に食糧援助をしてくれた国がエビータの指示を受けたアルゼンチンでした。さらに1953年、当時の日本では一世を風靡していたと言ってもよい藤沢蘭子というタンゴ歌手が訪亜して絶賛を博したりもして、今日でも年配のタクシー運転手からは日本人とわかると『RANKOは元気か?』と聞かれるほどです。そして1980年頃には、NECを筆頭にアルゼンチン工場から世界への輸出が花開き、米国との貿易摩擦の前線になったりもしました。

 

 ところが、世紀は変わって2001年、アルゼンチンは経済政策の失敗によりデフォルトを起こします。日本企業も引き上げたり、出資を止めたりしました。でも資源と農業生産物にはこと欠かないアルゼンチンのこと、日本が“失われた20年”と言われているのとは対照的に、GDP成長率は数%を維持し、着々と外貨もためて“パリ・クラブ”に溜まっていた負債も返せる状況になっていました。しかしバラマキ政策を続けるクリスティーナ政権(全く積み立てもしていない人に年金を出す政策など)に、アメリカとIMFは(嫌がらせもあるが)返済を認めず、外貨価値も下がって行きました。そして2015年末、為替自由化、輸入規制廃止など自由経済を掲げる現マクリ大統領に代わった途端に、アメリカもIMFもアルゼンチン支持に回り、デフォルト問題も解決し、各国企業はアルゼンチンへの投資を再開しました。クリスティーナ大統領時代には50社に減っていた進出日本企業もこの3年で100社を超える復活ぶりです。

 

 こうして再び復活の兆しが見えた最近、皮肉なことに米国金利上昇の影響を受けて大幅なペソ安に悩まされることになりました。20188月に私がアルゼンチンに行った10日間の間に、着いた時は1ペソ約4円だったのが、帰る時は1ペソ約3円(現在も)という状態です。しかしこうした時こそ、かつての日亜関係と上述のような農業・資源大国アルゼンチンという国情に鑑みて、日本はアルゼンチンとの友好関係を高める(取り戻す)べきだと思うのです。日本からの移民(今やその二世、三世)が果たしている役割とその貢献に対するアルゼンチン人の評価も極めて高いものがあります。エビータが戦後、食糧援助を指示したのも、貧しい少女時代に彼女に優しくしてくれたのが日本人移民だったからです。今更言うまでもありませんが、日本人が有する特色をこうした国にも改めて発揮することによって、これからの将来不安が付きまとう日本にとって、物理的にも精神的にも大きな絆がもたらせることと私は確信しています。


徒然日記(2):シニア海外協力隊顛末記(1)

 

当会特別顧問 石井 孝

 

 タイに赴きJICAのシニアボランティアの仕事をした時、色々秘書のような形で、大変お世話になった女性から久しぶりのメールを貰った。

 そこでふと思ったのであるが、シニア海外ボランティアの顛末について思い出すままに書きとどめてみる事にした。

 

1 応募のきっかけ

 

 40年近いサラリーマン生活に一応のピリオドを打ち、何か心の中にポッカリ風穴が開いたような、そんな気分で居る時、家内がシニア海外ボランティアを紹介した新聞記事を見つけて来た。

これまでの人生を振りかえって見ると、海外に行って勉強するとか、仕事をするのが、一つの夢であった。若い頃には、フルブライトの留学生に憧れを感じた。就職してからも、海外関係の仕事に関心を寄せた時期もあったが、どう云う訳か海外に居を移して仕事をする機会に恵まれる事は無かった。我々が大学を卒業した頃は、アメリカ辺りに行くとなると、それは大変な事であったが、昨今は、海外旅行など日常茶飯事である。折角このような時代に生きるチャンスを与えられた以上、一度は海外に腰を据えて仕事してみなければと思っていた。

また、これまでを振り返えると、さすがに若い頃は、自分ながら良く働いたと云うか、仕事に夢中になれる環境に良くぞ恵まれたと云う時期があった。素晴らしい上司に恵まれ鍛えられた。幾度も壁に突き当たり自分の能力の限界にさいなまれながら、何とかこれを克服し、小躍りすると云った快感を堪能した。このような貴重な体験が、生きる為の精神的エネルギーの源を創ってくれたのであろう。しかし、歳を重ねるにつけ、この水源も補給するより消費が急で、今にも底を尽きそうな気配である。体力的にも、また精神的にも幾分、柔軟性が残って居る間に、もう一度初心にかえり、一兵卒の身になって、残りの人生のために少しでもエネルギーを蓄えたい、そんな気持ちに駈られた。

そしていざ応募となると、不安も頭をよぎった。不慣れな土地で病にでも倒れたらどうしたものか。現地語は全く駄目で、英語も取り立てて得意と云う訳ではない、旅行ではなく仕事なのだから、細かいニュアンスなどが上手く伝わるであろうか。

 また、すっかり身についてしまった怠け癖を克服出来るだろうか。こまかな事は秘書や部下に丸投げしてしまう、例の会社人間の悪い癖である。しかし、今度は、何から何まで、全て自分でやらなければならない。

多くの先達も居る事である。新聞記事を見つけた家内も背中を押す。魅力も十分である。ともかく応募することにした。

 

2 赴任先の第一印象

 

 課せられた案件は、バンコク市郊外にある情報通信関係の職業高等専門学校、Nawamin Industrial and Community College において、急速に進展する技術革新にフォロー出来るよう、カリキュラムや教授方法について改善のアドバイスを行うことであった。

 

Nawamin Industrial and Community College

 

赴任を前に、この学校についてタイ国大使館に問い合わせてみた。大使館では、本国にも問い合わせてくれたようであったが、結局何も分からなかった。ぶっつけ本番の覚悟を決め着いてみると、そこは、バンコク市内ではあるがほとんど郊外と云った感じで、水田の中にコンクリート剥き出しの校舎が数棟建っていた。

 開校は1994年で、国王プロジェクトとして教育省職業教育局の配下に、RAM王朝Nawamintrachutit王の名前を冠した産業社会教育専門学校として設立された比較的新しい学校である。

 情報通信関係の単科Collegeで、専攻は通信、電子、電気及びコンピュータの四つがある。各専攻の基礎教科は共通で、専門科目が若干異なるが、コース間に大差はあまり感じられない。教程は、3年間の普通課程(Certificate)と、その上に専攻課程(Diploma)があるが、殆どの生徒は専攻課程を含む5年間を履修している。

 授業は、午前、午後、補習の3コースが設定されている。補習コースは、旧来の職業学校の名残で、昼間仕事をしている人達のために設定された夜間コースであるが、最近出来た技術高専は、ほぼ全生徒が中卒の子供ばかりなので、この夜間コースの必要性については疑問がある。これがあるため、教官の勤務は朝8時から夜8時までとなり、極めて長時間に亘る労働負担を強いられているが、教官達は夜間手当てに魅力を感じているようでもある。

 生徒の数は全部で1,300名程度、うち4割ぐらいが女性である。教官は40名ぐらいであるが、うち半数が教育省採用の正規教官で、他の半数は、現地採用の臨時教官である。現場はこの臨時教官で事実上支えられているが、この人達は移動が激しく、教育現場は安定した感じとは云い難い。

 初出勤は通勤の道順のチェック方々、顔出しのつもりで学校に出向いた。ところが、学校の方は講堂に生徒を集め歓迎会をしつらえていた。何の準備もなく挨拶をさせられたのには大分戸惑ったが、生徒は皆良く躾られ、大変アットホームな雰囲気で迎えてくれた。教官諸氏も皆好感の持てる人達である。その中で校長Mangkorn氏からは、教育に対する並々ならぬ情熱が感じ取れ、大変心強く感じられた。学校の第一印象は極めて好感が持てるものであった。

 

3 タイの職業高専-自営業のための訓練

 

 タイにおける職業教育の発祥は、手に職をつけるための訓練に端を発したものと考えられる。元来が地域に根付いた教育訓練活動で、地域の職人達が地元の若者達の自立を助けるための訓練を行うとか、更に高度の技能を身に付けようとする意欲的な人達を熟練工に育てると云ったような事がそもそもの発端である。地方のポリテクニカルカレッジと称する職業高専を訪ねると、地元の寄付による古い校舎が未だに残って居り、往時の面影をしのぶことが出来る。

 今から約20年前からタイ政府は、当時好調であった経済状況を背景に職業教育の近代化と全国的普及を図るべく、産業社会職業高専と銘打った職業教育機関を11校設置の原則の基に大量開校して来た。筆者が赴任した学校もその一つである。しかしながら、その後における経済バブルの破綻と、加えて昨今の急激な技術の高度化、多様化、更にこれに伴う産業活動の変革は、比較的新しいこれら職業高専の環境条件に激変をもたらした。

 職業高専は現在、凡そ以下のような課題を抱えている。

 

1)ソフト化する技術への対応

 

 職業高専の発祥経緯については先に触れたが、その主たる目的は自営業の育成と考えられる。技術系の場合で云うと、自動車やテレビの修理と云ったハードウエアの修理や工事技術を習得させることによって、自動車整備修理業であるとか、町の電気屋と云った職業への道を開く訳である。

 ところが、昨今の技術革新により、自動車やテレビなどの装置や機器類は、LSI化、パッケージ化が進み、マイクロコンピューターの普及でこれらの機能はソフトウエアコード化されている。このため、従来のハードウエアイメージの修理は考えにくくなって来ている。実際、修理業はメーカーに直結したディーラーに移行しているのが現実である。

 このような技術の本質的トレンドを考えると、現行教程をかなり抜本的に変える必要がある。

 

(2)就職の多様化

 

 昨今の複雑で高度化した技術をふんだんに盛り込んだ装置や機器類は、広範な技術分野に関わりを持つため、その製造は勿論、その修理についても、資本力と組織力のある企業の手によらざるを得ない。

 こう云った現実を考えると、情報工学や機械工学などの技術分野を専攻する高専卒業生は、自営と云うよりは企業への就職の道を開いてやる必要がある。このためには、学校、企業双方にとってメリットがある相互の連携システムを創り、相互理解と協調の道を模索する必要がある。

 

(3)教官の問題

 

 一時代前、テレビや自動車の修理方法をマスターするためには、簡単な基礎理論とある程度の応用技術を習得し、後は自己研鑚など経験を積めばよかった。教官にもこう云ったキャリアを持つ人が多かったようである。

 しかしながら、LSIやマイクロコンピューターが詰まった、高度に複雑化した現在の技術を教えるには、この人達には荷が重いと云わざるを得ない。このため、いきおい,大学新卒者を採用するのであるが、彼等には現場経験と教育経験が不足しているため、中々満足出来る授業が出来ない。この辺のところをどう解決するか、これもまた差し迫った問題である。

 

(4)生徒の問題

 

 あちこち幾つかの職業高専を訪問して分かった事であるが、職業高専には、大まかに言って、理髪であるとか溶接などと云った比較的単純な技能研修を目的とした短期のコースと、情報通信のような本格的技術研修を目的にした長期コースの2種類がある。

 短期コースの場合は、生徒自身が自分のスキルアップを図るなどと云った明確な目標を持った年配者が主体になっているため、教室の雰囲気は極めて意欲的である。

 一方、本格的技術研修を目的とした長期コースの方は中卒の子供達主体である。彼等の大部分は、一般高校に進学出来なかった、所謂セカンドクラスの子供達である。このため、一部に良く出来る生徒もいるが、平均的に学力レベルは低い。どのようにしたら効果的な教育訓練が施せるか、頭を悩ますところである。放っておくと、全体のレベルがダウンするばかりである。

国全体の産業、技術のレベルアップを担う中堅層を、職業高専が育成しなければならないとするなら、国は入学の仕組みから抜本的な対策を講ずる必要がある。

 

(5)逼迫する予算

 

 タイは経済危機から立ち直りつつあるが、財政は極めて逼迫している。現在進められている教育改革もこれに対する対応策の一環であって、職業高専の場合は、国から出来るだけ切り離し、資金を地方行政と地元からの寄付で賄わせようとしている。

 これを実行するとなると、校長に政治的手腕が求められるが、このような能力を持つ人材は極めて限られている。 


NTT東日本国際室の活動

NTT東日本 ITイノベーション部

国際室長  長江 靖行

 

ICT 海外ボランティア会の皆様、NTT 東日本 国際室長の長江靖行です。この度、会報へ寄稿する機会をいただき、誠にありがとうございます。

国際室は、国内電気通信事業を担うNTT東日本の中にあって、あらゆる手段・手法を駆使しながら、国際ビジネス、国際協力、CSR活動、、、と、グローバルな世界で活動を行なってきています。国際活動の背景を含め、国際室の活動をご紹介させていただきます。

 

1.はじめに

 

NTT東日本 国際室では、NTT1社時代から過去50年以上にわたる国際協力の実績で培われた、海外キャリアや政府機関等との信頼関係に基づくパートナーリングを維持してきており、これをベースに社内各組織やグループ企業との連携のもと、ビジネス形成や国際交流に取り組んでいます。

具体的には、1社時代から引継いだベトナム国とインドネシア国での共同事業プロジェクトを通じて培った事業経験や人脈、さらにNTTグループのノウハウと経験を生かし、両国を主としたブロードバンド化・ICTサービス推進ビジネスの形成に取り組んでいます。

また、国際協力活動として、政府機関等(総務省、JICAAPT)からの要請に基づき、研修受入れや専門家派遣に加え、日本のODA資金を活用した海外プロジェクトの形成支援や、技術交流・視察のサポートを実施しています。

 

2.ベトナムでの活動

 

ベトナムでは、NTTベトナム社が、ベトナム電気通信グループ(VNPT)との事業協力契約に基づき、1997年から2012年までハノイ市北部での加入電話約24万回線の建設および事業運営指導を実施しました。

これを契機とし、現在も両社は良好な協力関係を維持しており、ICTを活用した新たな共同ビジネス実現に向けた検討を進め、20161月にはNTTベトナム社とVNPTグループであるVMG社との間で合弁会社OCG(左写真、左から2番目が筆者)を設立し、ブロードバンドユーザー向けゲームコンテンツの卸事業を開始しました。

2017年には子供向け教育コンテンツのVOD配信実施、2019年からモバイル決済システムの導入開始予定など、順調に事業拡大と利用ユーザ獲得を進めています。

 また、NTT東日本が日本国内市場において提供するサービスや、それに付随するコンテンツ、運用ノウハウ等、NTT東日本の強みを活かした新規事業形成への取り組みを継続しています。

南部ビンズオン省では、電気通信事業会社(VNTT)との相互協力に基づく新興開発エリアICTビジネス形成を推進しています。

 また、ハノイ市におけるVNPTNTTベトナム・NTT東日本の3社間の協定に基づく学校向け教育ICTビジネス形成など、今後も引き続きベトナム国内でのICTをキーワードとした更なる付加価値サービスの展開に取り組みます。

 

3.インドネシアでの活動

 

インドネシア国は、第6次電気通信開発5カ年計画(REPELITA-Ⅵ:19944月~19993月)により、全国500万回線の電話回線増設計画を策定しました。これは全国を7地域に分け、そのうち5地域について、外資を含む民間資本を活用して電話網拡充を進めていくものでした。各地域においては、インドネシア国営電気通信会社(PTテレコム)と民間資本により設立された合弁会社が、KSO(共同事業運営、BOT)方式によりプロジェクトを進めました。このうちNTT東日本では、スマラン市(首都ジャカルタ市から東へ約400km)を中心とする中部ジャワ地域の電話基本網増設事業のため、1995年に豪州テルストラ社、現地インドサット社等との合弁会社MGTI社を設立しました。MGTI社は、PTテレコムと共同事業運営のための契約を締結し、約35万回線の電話網設備建設をすると共に当該エリアにおける電話設備の運営および保守を実施しました。

 2004年のプロジェクト完了後も、PTテレコムからの視察受け入れ、同社幹部・社員の研修実施、光アクセスネットワークの設備構築や運用・保守に関わる技術交流会の開催など、NTT東日本とPTテレコムは良好な関係を築いてきました。2010年には、両社の協力関係の更なる発展を目指して、光アクセスネットワークの構築保守及びサービス展開に関して協力する旨の覚書を締結し、活動を継続してきました。

 2014年、インドネシア政府はインドネシアブロードバンド計画(Rencana Pitalebar Indonesia)を公布しました。本計画は、2019年までに都市部の家庭の約7割に20Mbps以上の固定ブロードバンド網を提供することを目標としています。FTTH展開が急務となったPTテレコムからの要請を受け、2016年にPTテレコムのFTTH開通工事の生産性向上、品質向上を目的として、開通工事コンサルティングを実施しました。日本の工法、工具を取り入れた工法解説書を作成し現場作業者へ技術指導を実施するとともに、開通工事に関するビジネスプロセスの改善提案も行いました。今後も、さまざまな分野で連携し、インドネシアの光化推進に貢献していきます。

 

4.国際協力活動・視察受け入れ

 

ベトナムでのサイバーセキュリティ対策向上におけるAPT共同研究や総務省補助金事業を活用した実証実験の実施、JTEC()海外通信・放送コンサルティング協会)へ継続的に人材を出向させることにより、ミャンマー円借款事業等への国際協力に貢献しています。

 また、フィリピン通信技術大臣やミャンマーの郵便電気通信局長が来日(右写真、中央が筆者)し、とう道や機械室内の光設備、共架柱等を見学されました。

 

5.技術交流

 

NTTグループの技術力向上や、技術の海外展開を目的として、海外通信キャリア等との技術交流を実施しています。具体的な交流例としては、台湾の通信キャリアとNTTグループ会社(NTT持株会社、NTT東西会社)の技術者にてサイバーセキュリティに関する技術交流やアクセス分野に関する技術交流を実施しています。最新技術や既存技術についての情報交換やディスカッション、双方の設備視察等を実施することにより、互いの技術力向上のための知見を深めています。また、201710月のつくばフォーラムには技術交流の一貫として台湾通信キャリアが来訪し、NTT東日本や関連会社の最新技術について情報収集していきました。

 

6.今後の活動

 

NTT東日本に承継されたベトナムとインドネシアでの共同事業経験と長い歳月を経て築きあげてきたパートナーシップを活かし、NTTグループのみならず日本の通信関連会社の海外事業展開支援も実施し、事業推進に努め、会社の利益貢献に向け活動を継続します。

ご承知の通り、もの凄い勢いでグローバル化が進展しており、中でも、ICT(IOT, AI)分野はその勢いが止まりません。各社が世界各地で様々なビジネス展開をしていますが、その一方で、「日本とは異なる劣悪な環境下で業務遂行できる健康体を維持できる」、「文化・習慣が異なる環境下で柔軟な対応ができる」、「現地語等の学びの精神を持ち合わせている」などの人材が求められています。国際協力もビジネスも全ては“人なり”だと思います。ビジネスの素地となるこれらを次世代の若者へ「経験する場を提供すること」も、同時に国際室の役目の一つではないかと考えます。


 当会特別顧問の石井様から、「呆け防止のためにブログを開始した」との連絡があり、ご本人のご了解を得て、いくつかの日記を下記のとおり転載いたします。他にも多数のご投稿がありますので、ご関心のある方はブログをご覧いただければ幸いです。

https://blog.goo.ne.jp/iwatukiishiikoh 

徒然日記

                                                  当会特別顧問 石井 孝

 

「ソフトウェアは生命線-利用者が内製し管理せよ」2018-08-26 06:23:47 | 日記

 

現在、国民総背番号制が採用されています。このシステムは極めて重要であることは言うまでもありませんが、一旦誕生すると、際限なく膨張し永遠に生き続ける代物です。このようなシステムの開発とその維持管理の問題について、愚見を披瀝させて頂きます。

ソフトウエアと云うモノはいったん開発を終え、そのソフトウエアを使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生します。この作業を続けていくと便利になる一方で、ソフトウエアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウエアがすべてを支配してしまい、それなしでは仕事ができない状態になってしまいます。従って、秩序ある成長ができるように管理することが肝要です。最初の開発は手始めに過ぎず、使い出してからが本番なのです。

ソフトウエアは社会の仕組みや企業のビジネスの至る所に入り込み、増殖しています。残念なことに、年金問題や証券取引所の不具合に象徴されるように、品質と信頼性の問題が表に出てきてしまいました。しかも、これは氷山の一角に過ぎません。多くの企業は、自社のビジネスを支配しているソフトウエアの開発や維持管理の仕事を外部に丸投げしており、自力で管理する力がありません。

この問題を解決するには、ソフトウエアを利用する組織や企業が内製できる力をつけるしかありません。その力を持ってこそ、たとえ開発を委託したとしても、外部企業の仕事ぶりを見極められるのです。

しかし、ソフトウエアを恐れることはありません。ソフトウエアは100%人間の手で作る生産物ですから、それにまつわるすべての問題は人知の及ぶ範囲内にあります。

ここで最初に提起した国民総背番号制システムに戻りますが、こういったミッション・クリティカルなシステムの開発と維持管理を従来の官業システムのような政府機関から民間への発注形態を継承することで事足りるでしょうか。

政府直営のソフトウエア開発と維持管理を行う機関(もしくは国営企業)を興すことも考えられなくは無いですが、医大が付属病院を運営するような形で、国立大学が、官業のソフトウエアシステムの開発と維持管理を実行する付属機関を持つように出来ないものでしょうか。

システム運営の安全性と信頼性が担保されるばかりでなく、実務教育の充実に役立ち、大学経営の強化にも繋がると思います。

 

「職場環境」2018-08-28 07:13:37 | 日記

 

 三十数年前、ひょんな事からソフトウエアの世界に迷い込み、当時、この世界では最先端を走っていたIBMのポケプシーにある汎用OSの開発現場を訪ねる機会を持った。駆け出しの「ど素人」にとっては、見るもの、聴くもの全てが驚きであったが、特に、其処かしこでマグカップを片手に口角泡を飛ばして活発な議論を交わしているエンジニヤーの人達を眼にし、ソフト開発の一つの鍵を観た想いであった。

 「ソフトウエアは人が創るモノ」と信ずる者にとって、組織風土を含めた広い意味での職場環境がとても大事なのではないかと思う。

 隣りの人との間でも、メールでやり取りをすると云った昨今、開発チーム全体のモチベーションを、如何に維持・向上させるか、この辺りに一つの大きなキーがあるのではと思うのだが。

 

「縁の下の力持ち」2018-09-01 06:47:48 | 日記

 

 嘗てしっかりした大企業では、有名大学を出た俗にいうエリート達が上層部を占め、地方大学、私大、高専等と云った所謂二流(非エリート)の中の猛者連中が、文句も言わず、寧ろ誇りを持って会社を実地で支える「縁の下の力持ち」の役割を果たして来た。

 昨今の状況をみると、実力主義の下、誰でも実績を残せば昇進の道がひらけるようになって来ているようで真に結構な事と思うが、一方に於いて、表には出ず地道に裏方で支える「縁の下の力持ち」が極めて手薄になって来てしまって居るような気がしてならない。

 「縁の下の力持ち」がしっかりした企業では、トップがお飾りのような状態でも何とかもって居た、盤石な土台の下で自立作用が働いていたのである。所が、「縁の下の力持ち」が居ない土台が脆弱な場合は、頭(トップ)がしっかりしなくてはならない。旗振りだけでなく、場合によっては自ら泥の中に手を突っ込む覚悟と度量が必要である。これからの時代、特に求められているのはトップの資質ではないのか。

 

「叱る」2018-09-04 06:14:21 | 日記

 

 女子体操の「パワハラ」問題で、ふと思い出したのは、嘗て上司であり師匠であった真藤社長の教え「相手に愛情を感じたときに叱れ」である。

 『部下を指導する時、方法論を考えてはだめである。自分自身に思想、哲学を持っていること以外に方法はない。絶対に方法論を勉強してはだめである。人を指導するということは、相手に愛情を感じたときにすべきである。

 甘い言葉だけでは指導はできない。叱らなければならない場合も多々ある。しかし、相手に愛情を感じたときに叱り、相手に憎しみを感じているときには、叱ってはならないと思う』

 人間は感情の動物である。相手の感情を高感度でキャッチできる受信機を備えている。真藤さんが指摘されるような人格を備えて居れば、その師匠から幾ら厳しく接せられても納得し、反省して、憎むなどと云う事は決して無い、寧ろリスペクトの念を強くする。

 

「新会社」2018-09-06 05:10:50 | 日記

 

嘗てのNTTは、設備産業とでも言える業態(通信産業)であった。設備がサービスを産み、それによって収入を得る。この為、合理的な設備投資と入念な設備の維持管理が企業の生命線であった。

近年、サービスの多様化・高度化が急務となり、ハードウエア主体の設備だけでは如何にもならなくなり、これにソフトウエアをどの様に絡ませるかが重要なテーマとなった。そして、サービス自体も単に通信だけでなく、広義の情報通信(IT)サービスに止揚する必要に迫られている。

ソフトウエアから出発したGAFAの様な企業は、ITサービスの機先を制し我が世の春を謳歌している。これに対し、ハードウエアからITサービスに臨んだ企業は、通信会社のみならず伝統を誇る各社共今一つ精彩を欠いている。

今般、新会社を立ち上げるようであるが、既存各社がよりアクティブな事業活動が出来きるよう、新しい会社が触媒の様な能動的活動を行って欲しいものである。自主的ソフトウエア開発の実行など、兎に角、他人任せでなく地に足を付けた地道な、NTTの底力となる活動を行って欲しいものである。

 

「電気通信と共に三代の記」2018-09-13 06:44:51 | 日記

 

 表記は、電々公社からNTTにかけ、電気通信の中の伝送技術の分野に於いて技術開発に携わり、縦横無尽の活躍をされた「栗山正雄氏」が専門誌「電気通信」に寄稿されたものである。

 表題にもある通り、栗山さんは、氏の祖父に当たられる四郎様、父の国雄様、そしてご本人と、逓信省、電々、NTTと三代に亘って日本の電気通信を司る主幹組織でご活躍になられたという畏怖すべきご家系をお持ちである。

 お三方の専門は、電信、無線、ディジタル伝送と異なるものの、夫々は当時の最先端技術で、お三方の為された技術開発の成果が今日のIT技術の礎となって居る。就中、栗山さんのおやりになった「ディジタル」「光ファイバ」「高速ディジタル伝送」の各技術は現代IT技術の根幹をなすものである。

 今回、栗山さんより表記ご寄稿文の別刷りを恵贈頂いた機会に感想の一端を投稿させて頂いた。

 

「鉄腕 岩瀬投手」2018-09-14 07:14:58 | 日記

 

 昨夜も8回に投げ、三者凡退、松坂投手の勝利に貢献した。

 些か旧い話になるが、中日ドラゴンズの岩瀬投手は、949試合のプロ野球最多登板記録に並ぶメモリアル登板を白星で飾った。数年間、不調のどん底に落ち囲み、引退さえ決意した男が成し遂げた快挙であった。

 彼は、社会人野球のNTT東海からプロ入りした選手である。東海地区で仕事をした経験を持つNTTの一OBとして、感慨一入である。

NTTでは、ノンプロの野球選手として活躍した人達も、選手寿命が尽きると職場に戻って通常の仕事に復帰する。所が、長い間、仕事と疎遠になっていたので、同世代の人達に比べると仕事が捗々しく無い。しかし、持前のスポーツマンシップで決してへこたれない。兎に角、一生懸命である。こんな同僚に随分と助けられたものである。


NTT西日本国際室の活動

 

                                                  前 西日本電信電話株式会社技術革新部国際室長

                                                  現 NTT西日本ビジネスフロント株式会社

                                                  取締役 企画総務部長                   福迫 英司

 

ICT海外ボランティア会のみなさま。

前 NTT西日本国際室長の福迫英司です。20167月より本年6月末までの2年間、国際室長として様々な活動を行ってまいりました。この度、会報へ寄稿する機会をいただきましたので、その活動の一部をご紹介させていただきます。

 

(1) 概要

 

NTT西日本では、これまで日本国内において培ってきたスキル・ノウハウを活用し、各国の情報通信分野発展を目的として、海外での技術協力活動・コンサルティング活動に取り組んでまいりました。

 

近年、国内クライアントのグローバル進出、海外ITベンダとの連携、NTTグループや国内パートナー企業の海外事業拡大などグローバルに関わる事業環境は大きく変化しています。NTT西日本は、昨年、それらの変化に対応するため、「スキル・ノウハウの海外展開」活動に加え、「国内ビジネスのグローバル化対応」、「NTTグループのグローバルビジネスへの貢献」、「(グローバル)人材育成」という3つの要素を加味したグローバル戦略を策定し、引き続き海外での活動を推進しています。活動の特徴は、NTTグループ各社や国内でのパートナー企業の皆様と連携した「チームジャパン」での取り組みを行っていることです。

 

(2) 各国での活動

 

国際室の活動の中心は、スキル・ノウハウの海外展開です。ここではフィリピンを例にその活動をご紹介いたします。

 

フィリピンでは、光ファイバネットワークインフラ構築の気運が高まっており、NTT西日本はフィリピン最大手の通信会社であるPLDT社へのスキル・ノウハウ展開を軸に活動を行っています。

 

NTT西日本は、2012年の開通業務フローのコンサルティングを手始めに、2014年に開通工事の技術研修を、2016年にはスーパーバイザ向け研修を実施しました。PLDT社の光回線は約100万ユーザと拡大しており、NTT西日本はその展開に貢献してきました。

 

最近では、今後PLDT社が直面するであろう設備の有効活用という課題の対処策として、日本の得意な技術であり、日本では幅広く使われている1000心超のHD (High- Density)ケーブルの導入を提案しました。提案に当たっては、通建会社、線材ベンダと連携したチームジャパンで、PLDT社のCTOCOOを招いた技術検証(PoC)を実施し、高い評価をいただきました。現在では、正確な設備データベース構築のための業務プロセス改善コンサルティングの提案を行っています。開通技術移転だけでなく、材料選定から業務プロセス改善に至るまで、様々な形でFTTHの展開に貢献しています。

 

同様の提案活動を他の国でも行っていますが、それはクライアントであるキャリアへの貢献になるだけでなく、そのアクセス網を使っているNTTコミュニケーションズへの貢献にも繋がっています。また、これらの活動はNTT西日本単独で行うのではなく、NTTコミュニケーションズ、everisなどのNTTグループ各社や、通建会社、線材ベンダなどの国内パートナー会社と連携して行っています。

 

フィリピンでは、他にも様々な国際協力活動を行っています。「総務省-フィリピン情報通信技術省ICT協力委員会(MDICC)」では、フィリピン情報通信技術省など関係者に対して、日本のブロードバンド整備方式やNTT西日本の防災への取り組みを紹介しました。また、国土交通省主体の開発支援機構であるJOINとフィリピンの基地転換開発公社で進められている、クラークグリーンシティ構想におけるマスタープラン策定にも協力しました。

 

(3) 国際協力活動

 

NTT西日本では政府機関等からの要請に基づき研修生を受け入れ、各国の情報通信分野の発展に貢献しています。そのひとつがAPT(Asia-Pacific Telecommunity)からの研修生受け入れです。アジア太平洋の通信キャリアの管理者等に対して設備設計や保守等の業務紹介、とう道などの設備見学、故障切り分けの実演など、現場での体験を通じた研修プログラムを実施しています。体系的な人材育成や計画的な保守更改工事、ネットワークの遠隔監視など、多くの点で参考になったと毎年好評のプログラムです。

 

(4) グローバル人材育成

 

グローバル活動は、すべてその活動を支える人材がキーファクタです。また国内のビジネスにおいても、海外ITベンダとの連携の必要性が高まるなど、グローバルな視点・スキルを持って業務を行う人材が求められています。

 

NTT西日本では、グローバル人材を「グローバルスタンダードなスキルを持ち、国内外問わずビジネスを遂行し競争力を確保した価値を生み出すことのできる人材」と定義し、8年前よりグローバル人材育成研修を実施しています。

 

(5) おわりに

 

海外のキャリアやパートナーとビジネスをする中で、海外のスピード感に圧倒されることもしばしばです。一方で、私たちが当たり前と認識している品質や、長年のFTTHサービスの運用で直面してきた数多くの課題とその解決策は海外キャリアから見ると非常に価値の高いものであると感じています。

 

光インフラのニーズが、5Gの展開や新興国の所得向上などに伴い、これまで以上のスピードで急拡大するということは議論の余地はないと思います。NTT西日本国際室は、これからもそのニーズに対応し、NTTグループやパートナー企業と連携して海外キャリアとWin-Win-Winの関係を築く、そのような活動を続けてまいります。

 

最後になりますが、会員の皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈りしております。


インドネシア・庶民に人気のGOJEKサービス

ICT海外ボランティア会 顧問

一般財団法人 海外通信・放送

コンサルティング協力

専務理事  牛坂 正信

 

インドネシアでもスマートフォンの普及は目覚ましく、中国の新興企業のVIVOOPPO、小米(シャオミ)などを中心に廉価版の販売合戦を繰り広げています。

 

このスマートフォンと「運送」を組み合わせたサービスが人気を呼んでいますので、それを紹介したいと思います。今回紹介するのは、「GOJEK」というものです(写真はそのアプリの画面例)。インドネシアには以前から庶民の足としてバイクタクシー(現地ではOJEKと呼んでいる)が利用されていました。OJEKは特定の貯まり場(と言ってもそこかしこにある)に利用者が出向いて乗るというスタイルでしたが、この「GOJEK」では、出発地と目的地を指定するだけで、料金が提示され近くにいる登録されたバイク運転手が受注、送迎し目的地まで運んでくれます。これが「GO-RIDE」で、料金は従来通りのまま利便性が向上し、利用が増えているようです。また、同様に自動車のシェアサービスとして「GO-CAR」もあり、こちらも人気があるようです。理由は料金が注文時に提示されること、かつ、従来型のタクシーに比べ格安であることです。近距離でも3割ぐらい安いようで、また渋滞しても料金が変わらないという安心感も人気の要因のようです(最近の都市部の渋滞はひどいものです)。遠距離では1/21/3の料金という事もあるようです。

 

面白いのは、この運送という基本サービスをベースに少額の食事や買い物の配達や掃除など出前サービスが続々と追加されていることです。例えば、「GO-FOOD」では、レストランやパン屋などから、店で注文するのと同じメニューを注文でき、これをバイク運転手が受注し指定の店で購入、自宅まで配達してくれます。バイク運転手への支払い額(料理等の費用に加え一回当たり10,000Rp*程度の配達料)が注文時に表示されるので、支払総額も注文前に確認することができます。また、生活用品、例えば、洗剤やアクア(飲み水)などの買い物を依頼して配達してもらう「GO-SHOP」や自宅の掃除をお願いできる「GO-CLEAN」、更にはスペシャリストが自宅で化粧や髪の手入れ等をしてくれる「GO-GLAM」などのサービスもあります。因みに、「GO-CLEAN」では2時間で100,000Rpぐらいだそうです。

 

支払は基本的には現金が中心ですが、「GO-CAR」では事前にこのアプリに入金しておき電子決済も可能となっています(写真一番上にある[GO PAY  Rp35,000]という表示は、電子マネーが35,000Rp残っているという事を表しています)。因みに、現金での支払いより数1,000Rp安く支払えるようです。

 

インドネシアでは、シンガポールを拠点とするGrabも同様なサービスを始めています。このようなサービスは、庶民の需要に合ってビジネスは拡大しているようです。庶民への利便性が増す一方で、問題も顕在化してきています。例えば、悪質な運転手による犯罪、特に女性利用者に対するものも起きているようです。他方、経済的に一番影響を受けているのは既存のタクシー業界のようです。この画面にもあるように「GO-BLUEBIRD」(現地のタクシー大手)を直接指定することもできるようです。ただし、料金は従来通りの距離と時間制の適用というようで、誰が利用するのか少し疑問も感じますが、セキュリティの面で利用する人もいるのかもしれません。また、「GO-CAR」で車を手配したら、BLUEBIRDが来たということもあったとのことです(勿論、料金は格安)。タクシー業界としては、いろいろ工夫して対抗策を打っているようです。また、政府は安全面の強化を図るために、運転手と車を登録制にすることも検討しているようです。

 

このようなサービスが成り立つ環境には、サービスを利用できる中間層が増えているという背景、生活習慣などを含めた文化的な要因などがあるものと考えられますが、バイクタクシーの運賃・手数料が格安であるということも注目です。このようなサービスは、日本へ直ぐ適用できるものではありませんが、少子高齢化が更に進む日本においても、地方だけでなく、都会でも形を変えて、このようなサービスが求められるような時が来るかもしれません(* 執筆時における10,000Rpは凡そ80円前後)。


真藤さんの人となり(10) 「知識よりも実行力」

                                        当会特別顧問 石井 孝

 

 九回に亘り駄文を書き連ねて来たが、真藤さんが去り、私も辞め、これ以上ご指導下さった仕事に関する話は続かなくなった。今回で一区切りとさせて頂く。

 

「知識よりも実行力を」

 

 真藤語録には、これまで取り上げて参ったものの他に教育に関すること、モノ造りに当たって設計に関することなど極めて多義に亘っており、これらの中の幾つかについては旧の「ICT海外ボランティア会」会報で紹介した。

 こうした真藤語録の中に共通して流れている何本かの筋があるが、その中の太い一つの筋としてあるのが、「頭だけで考えるのではなく、実践・実行し、生きた経験として身に着けろ」ということではないかと、私は思う。

 長いサラリーマン生活で沢山の上司に巡り会った。学歴や遊泳術で成り上がった官僚派などと言われた人達は薄っぺらで嫌味であった。数は少ないが、実力派と言われた方々は文字通り実行力の人で、優れた実績を残された。夫々独特の個性をお持ちだが、懐の深い頼りがいのある親方であった。自分がどの様に観られているかは些か気になるところではあるが。

 そこで最後は「知識よりも実行力を」で締めくくりたい。

 

「知識よりも実行力を」

 

 技術というものは、頭の中で考えただけのものが技術ではない。そういうものを現実に作るとか、運転するとか、現実に即して、毎日の仕事がその線で動いていないと技術というものは成り立たない。

 いわゆる観念的に一つの本なら本に書いて、それを一つの技術だというのは大間違いである。技術というものは、あくまでも具体的なものに作る方法なのだから、具体的にものを作っていかなければ技術は伸びない。

 技術が伸びるからものが作りやすくなり、競争力がつき、ますます技術は伸びていくという相互関係でアクセラレイトしていく。ただ実際にものを作りながら技術が自然に進んでいくというだけでなく、その過程で極端に言えば、従来の習慣的なものを一応否定してかかって、その結果を見てまたそれを否定してやってみる。つまりステップ・ステップの一歩でも半歩でも前進的な、前と違ったやり方に変えていくということが大切である。

 それが実行されてはじめて経済的にも社会的にも意味を持ってくるわけであるから、知識としてわかっていても空である。いわゆる陽明学でいうところの知即行、行即知である。知と行、行と知というものがはなれていては役に立たない。

 指導者としては、知識だけでなく、知識を利用する人間としての高いポテンシャルがあり、人柄がリファインされていなければならない。


真藤さんの人となり(9)沙漠の砂深くに埋もれてしまった楼蘭

                                        当会特別顧問 石井 孝

 今回は真藤さんの指導の下、色々実践した仕事の顛末とそこで思ったNTT感である。

 

「何時の間にか沙漠の砂深くに埋もれてしまった楼蘭」

 

 内製化されたソフト造りはルーチンワーク化され、日常的業務として一応定着したが、真藤さんが去り、氏が目論んでいた「NTTの中にマイクロソフトとインテルを創る」などといった構想は水泡の如く消え失せてしまった。

暫く経つと、我々の築いた内製部隊(通信ソフトウェア本部)は、業務運営をコンピュータ化する外注主体でソフト開発を行っていた部隊(情報システム本部)と合体する形で子会社化(NTTコムウェア)されることになった。

 会社の立ち上げを任されて観ると、二つの組織の間には大分カルチャーの相違を感じたが、少し時間を掛け、先々は全体を内製化に持って行き、今で言えば、グーグルやアマゾンなどのソフトウェアセンターのようなものにする積りでいた(とても私の力では「NTTの中にマイクロソフトとインテルを創る」等は無理である)。

ところが、立ちあげて業務を開始して僅か10か月あまりで突如退任を求められた。一応レールは敷き、車体もレール上に乗せたが、まだ走り出さない状態では辞めるわけにはゆかない、一体「NTT首脳はソフトウェアについて何を如何しようと考えているのか」と反抗したが受け入れられることは無かった。

 この時の心境について、肩の荷が下りてホッとしたのではないかと言った友人もいたが、生来、貧乏性の私は先のことの方が心配でならなかった。しかし、辞めると決まった時は、「お手並み拝見」という気分になったことも事実である。

真藤社長が去り、嘗ての「なにもモノをつくらず、しきたりを重視した」公社時代に先祖がえりするのではないかとの想いと、如何にも自分が内製化を成し遂げたように思っているが、実行したのは部下の諸君達で、自分は単に旗を振っただけではなかったのかという想いが交錯し、職を辞した後はコムウェアの業務運営に関して、余計な口出しはなるべく避けるよう心掛けた。

従って、コムウェアのその後については傍観者的立場からの感想になるが、会社は一時、「内製は悪」であるとか「内の仕事は止めて外の仕事」に専念するなどと言った方向に舵を切り、傍から観ていると大海を流離う大きなエンジンを持たない木造船を観るような感じでハラハラしたことを記憶している。

 内製化を通じて実感したソフトウェアの特徴の一つは、「ソフトウェアは成長を続ける生き物であり、その成長をきちんと管理しなければならない」ということである。

いったん開発を終え、ソフトウェアを使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生する。この作業を続けていくと便利になる一方で、ソフトウェアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウェアがすべてを支配してしまい、それなしでは仕事(業務運営)ができない状態になってしまう。従って、秩序ある成長ができるように管理することが肝要である。最初の開発は手始めに過ぎず、使い出してからが本番なのである。

 ソフトウェアは社会の仕組みや企業のビジネスの至る所に入り込み、増殖している。残念なことに、後のフォローを手ぬかったばかりに、年金問題や証券取引所の不具合に象徴されるような、品質と信頼性の問題が表に出てきてしまった。しかも、これは氷山の一角に過ぎない。多くの企業は、自社のビジネスを支配しているソフトウェアの開発や維持管理の仕事を外部に丸投げしており、自力で管理する力がない。

 この問題を解決するには、ソフトウェアを利用する組織や企業が内製できる力をつけるしかない。その力を持ってこそ、たとえ開発を委託したとしても、外部企業の仕事ぶりを見極められるのである。

「大海を流離う大きなエンジンを持たない木造船」と言ったのは、この辺りの事情を当時のコムウェアは何処まで理解しているのか心配してのことである。

我々のやった仕事は「日経コンピュータ」の20051/10号に「伝説のプロジェクト」として紹介された。井上靖の小説に「楼蘭」というものがある。シルクロードのオアシス都市として栄えたが、いつの間にか、沙漠の中に埋もれてしまった「楼蘭」のような伝説的存在に、内製化の仕事(モノ造りのシステム)がなっては、何の意味もない。

NTTには優れたリソースがあり、企業としても高いポテンシャルがあることは証明されたのである。自信を持ってこれからの世の中を支配するであろうソフトウェアに真っ向から地道に取り組み直して欲しいものである。

 

「やらんでおいて何を考えるんだい。迷わずやる」

 

 人間の歴史というのは、何かをやってしくじったり、成功したりして初めて知恵がついてきて、この文明を築いている。仕事も同じことで、やる前にいくら考えてみても、それは熟慮にも知恵にもならない。熟慮という言葉は、時間を長くかけて考えるというニュアンスもあるが、人間が真剣にそのことに取り組んだときの熟慮というのは、本能的に瞬間的に出てくるものである。その次の瞬間に行動が始まる。


真藤さんの人となり(8) 「本気かどうかが評価のキメ手」

                                        当会特別顧問 石井 孝

 今回は真藤さんの評価に対する考え方についてである。

 

「本気かどうかが評価のキメ手、数字で評価などしない」

 

内製に関するトータルシステムも安定して回転し始め、現場も落ち着いて来たので、真藤さんを現場に迎え、職員とディスカスを行う場を設けた。

その際、ソフトウェアの生産管理システムについて担当者から説明をさせた。このシステムは総務経理部長が現場責任者などと長期に亘って議論を重ね創り上げたもので、現場職員個々人の「日報データ」をワークステーションで自動集計することによってプロジェクト毎の進捗と掛かったコストが日次で把握出来るものである。

真藤さんは着任早々から、電電公社の各機関に対し、収支に関する月次管理を導入されたので、我々のシステムは褒められるものと、内心期待していた。

ところがである、真藤さんの反応は全く素っ気ないもので、そんなことは当たり前、こんなことで点数稼ぎをする積りか、と言った感じであった。

真藤さんは点数稼ぎを忌み嫌っていることが改めてわかった。

 

「本気かどうかが評価のキメ手、数字で評価などしない」

 

人間の評価ということについて、評価というのは本気でやっているか、本気で取り組んでいないか、そこが第一義的な責任論だから、基準はそれだけである。仕事に熱意を持って本気になって取り組んでいる人が、一番尊いと思う。

業績評価でたとえば、事業部別に業績評価していても、それで事業部長の能力を判定するとか、そういうことは全然別の話である。

肝心なことは、マネジメントのカジのとり方の判定であって、苦しいバウンダリーなら、誰がやっても数字は悪くなるし、いいバウンダリーなら、誰がやったって数字が良くなる。数字が良くなったから、責任者個人の業績がいい点数をつけられる、そんなものではない。

分権化のきびしさとはいいながら、そういう機械的な判断では話にならない。分権に絶え得るだけの努力をしているか、絶え得るだけの能力ありや否やということで、数字の上でどうだこうだと、そんな機械的なものではない。


真藤さんの人となり(7)「本体と付属装置は同格」

                                        当会特別顧問 石井 孝

 

ソフトウエアを造る仕掛けは一応出来上がった。次は自分達が造ったソフトで動いている電話網を如何に安定して、コストをかけず運用・運転するかである。今回はこの辺りについて振り返ってみたい。

 

「本体と付属装置は同格」

 

前回にも触れたが、交換機能の一部を変更するためには、プログラム全体の中の心臓部を書き換えることになるので、ここで少しでもミスを犯せば交換機が止まってしまうことになる。その上、このプログラムは全国三千局に亘る全電子交換機に一斉にロードされているのだから、間違いがあればそれこそ、電話網は大混乱に陥る。

そのような訳で、内製をやり出した当初、出荷後の一週間ぐらいは何が起こるか心配で、皆、夜もおちおち眠れぬ状況であった。これでは堪らぬということで工夫したものが、前に述べた遠隔・集中保守システムである。全国に散在する交換機全ユニットのトラブルレコーダーを五反田のセンターに引き込み、実際プログラムを造った職員が交代で24時間監視を行い、何か異常を検知したら、即刻チェックして、必要があれば遠隔修理を行う万全な体制を整えた。

真藤さん流に言うと、トータルシステムにおいては、「本体即ち電話網と付属システム、この場合は遠隔・集中保守システムであるが、これ等は同格」なのである。「付属システムは安全性において、必要性においても本体と同格である。それなのに、そんなものは一段グレードが低いものだとさげすんで、同格であるべきものを同格扱いしない場合が多い。そこに信頼性がなければ、どんな高度な本体を作っても話にならない」のである。

このシステムの導入は予期せぬ大きな副産物を生んだ。これまで各電話局に常時駐在していた保守のための職員、約三万名が要らなくなった。そして、真藤さんの主張する「前向きの合理化」が出来たのである。

なお、この実施に当たっては、当時の労組幹部の先々を見通した協力があったのである。

 

「合理化には別の意味もある」

 

合理化というと、人員整理と多くの人は考えているようだ。首切りとはいえないから合理化という。だが合理化には別の意味もある。

合理化についての古典的な考え方は、組織のむだを削ることであろう、そうではなくて、仕事のやり方を変えることによって、いままでのむだが自然に落ちるようにするのが新しい合理化だ。

仕事のやり方というものは時代とともに変わらねばならない。世の中の変化を取り入れながら組織を変えるわけである。そうすると、それに見合う人員配置が必要になってくる。私の企業でいえば、新規事業に進出することによって、電話についている人員を減らし、これを新規事業に吸収する。

合理化は組織の人間の知恵と、その知恵を実現させる金と、世の中のために働こうとする人びとの意欲が一つになった時うまくいく。


真藤さんの人となり(6)「石の上にも五年」

                                        当会特別顧問 石井 孝

 

「ゲイトウエイ交換機」を何とかクリヤしたので、愈々本番の「D70電子交換機のソフト内製化」に本格的に着手することになった。

真藤さんの著作に「習って覚えて真似して捨てる」というものがある。これは真藤さん得意の台詞でもある。我々の新しい組織も何とか「真似する」段階をクリヤして「捨てる」ことを考えなくてはならない。

 

「石の上にも五年」、道は必ず開ける

 

D70電子交換機のソフト内製化」というのは、はなから交換機のプログラムをつくり直すことではない。電々公社に対する協力メーカーであった日電、日立、沖、富士通の四社が共同して造ったD70電子交換機のプログラム(ソフトウエア)に対して、事業の要請に応え、新しいサービスやサービス機能の追加を行ったり、既にある機能の不備等について改良・修正する作業を独自で行うことである。なお、従来この作業は上記四社に年一度ぐらいの割合で定期的に発注していた。

この作業は一見簡単なように見えるが、実は大変なことなのである。交換機能の一部を変更するわけであるからプログラム全体の中の心臓部を書き換えることになり、ここで少しでもミスを犯せば交換機が止まってしまうことになる。

このため、出来上がったプログラムは実交換機と同様の試験用交換機に掛け綿密なテストを実施する。

テストを終了したプログラムは、全国三千局に亘る全電子交換機に一斉にロードするのであるが、夫々の電話局では加入者やその局に出入りする回線等の環境条件(局データ)が異なるので、これらのデータを付け加えた局別のプログラムファイルを造る必要がある。

電話サービスは全国一律であるから、出来上がったプログラムファイルの入れ替えは、一、二の三で全局一斉に行わなくてはならない。

また、折角内製化するのであるから、緊急を要するものについては即刻実施し、それ以外の急を要さない変更についても、従来の一年周期から半年周期にスピードアップすることにした。

これだけの仕事となると、全体では結構な人員が掛かり、そして、お互い連絡を密にした協働体制を敷く必要がある。

我々のような新組織では予算措置の上で、一時に多額の予算をとることが出来なかったため、当時主流であった大型汎用コンピュータを使ったソフトウエアの開発環境は造れず、小型コンピュータであるワークステーションを積み重ねて行く、所謂分散開発環境をとった。

所が、これが幸いした。ワークステーションにはTCP/IPのプロトコルが搭載されていたので、TCP/IPプロトコルを駆使した独自のグループウエアシステムを自主開発することが出来た。1990年代当初より一足先にインターネットの威力を享受したわけである。後から考えれば、ゆうに10年以上時代を先取りしたソフトウエア造りの新しい作業システムを創っていたことになる。

真藤さんの言う「「石の上にも三年」、道は必ず開ける」、いや、五年であるが、旧い殻から一先ず脱出した。

 

「「石の上にも三年」、道は必ず開ける」

 

新しい行動に切り換える気持ちを持つことのできる人は、個人としても将来非常に伸びる人である。だから、個人生活が豊かになるかどうかのカギも、新しい行動に切り換えることができるか否かにかかっている。切り換えができない人、あるいはやる気のない人は、人生競争での落伍者にならざるを得ない。これは非人情のようであるが自業自得である。

自己開発とか、個人能力向上といっても、これは学校の先生から教わるものではなくて、自分自身のための、自分自身の問題なんだから、自分の生存権を主張し、家庭の生活向上を望むからには、人に頼ったり、人から与えられるものではないと思う。近頃では良きものはすべて人から与えられるものであり、われわれはそれを受ける権利があるというような論調が多いが、これは間違っている。

もちろん、今日やったからといって、明日メリットが出てくるものではない。昔から「石の上にも三年」ということわざがある。企業でも個人でも、一生懸命やっても、効果が表面に現れてくるには、最低三年はかかっている。三年というと長いように感じるが、実際には短いものである。

努力する態度に加えて、自主性を持ち、能力の向上に努めていくならば、必ず道は開ける。


真藤さんの人となり(5)NTTの中にマイクロソフトとインテルを創る」

                                        当会特別顧問 石井 孝

 

今回は真藤さんの先見性について触れてみたいと思う。企業は時代の変化に即応し、時代の荒波に乗って行かねば忽ち潰れてしまうが、それだけではサバイバルは不可能である。船長は先を見据えた舵取りをしなければ、この激動の世界で生き残ることは不可能である。

 

NTTの中にマイクロソフトとインテルを創る」

 

1985年当時の電話網は、唯一の情報通信ネットワークであったため、これがシステムダウンを起こすと社会問題に波及する恐れがあった。このため、トラブルが発生すると、ソフトウェアを開発したメーカーの社員が昼夜を問わず現場に駆けつけ修理していた。これを知った真藤さんは、大事な商売道具が故障して、自力で直せないとは何事か、ということで新組織が発足したことについては既に述べた。(真藤さんの人となり(1)

しかしこれには裏があった。真藤さんは、電気通信の現状と将来を洞察し、21世紀はマイクロプロセッサーとソフトの時代になる。それに備えて置けば、電話を主体とした電気通信がどうなろうとも依然として旨い飯は食えると判断された。この為、通研でハードとしてのマイクロプロセッサーを製造し、其処にインストールする様々なソフトウェアの内製部隊を新らに新設しなければならないと決断されたのである。マイクロソフトもインテルの影も容も見えない1985年当時に、謂わば「NTTの中にマイクロソフトとインテルを創る」ことを決断したのである。

おまけに、ハードを動かす交換機ソフトが内製化出来れば、今で言う「組み込みソフト」の技術がマスター出来るという読みがあったようであるとは、これはまさに「先見の明」の極みとも言えるのではないか。

ところで、如何したら先が読めるかということである。真藤さんの言によれば、「日々、真剣に仕事に取り組んでいれば、そのこと自体が歴史の一コマなのであるから、それを通して、おぼろげながら歴史の中の一貫して流れている変化の法則を体得出来る、そうなれば、ある程度先が見えてくる」という話である。ソフトウェアの重要性もタンカーの設計・製造・運転の全体のコンピュータ化を図った際、痛感したものだ、という話であった。

そう言われてみれば、我々の場合も必要に迫られ、全国に散在する電子交換機の遠隔・集中保守システムや、TCP/IPプロトコルを駆使した独自のグループウェアシステムを自主開発し、1990年代当初より、一足先にインターネットの威力を享受した。後から考えれば、ゆうに10年以上時代を先取りしていたことになる。

先を読むと云う事は、書物を読んだり人の話を聴いて勉強するのではなく、与えられた仕事に対し、泥にまみれ手を汚し、汗まみれになって真剣に取り組めば、遠い将来のことは別としても、十年先ぐらい先のモノは、自ずと副産物として手に出来るのである。


真藤さんの人となり(4)「意気に感ずる」

                                        当会特別顧問 石井 孝

 

前回までの話では、如何にも嫌々ながらのスタートと感じられたのではないかと思う。実際そうであったのである。それが「やる気」になった経緯についてお話したい。

 

「意気に感じ、息が合えば大抵のことは何とかなる」

 

 大型汎用コンピュータ時代を経験されたエンジニアならお分かりと思うが、ラインプリンタへの出力という作業は結構手間が掛かる。紙がつかえてしまうので、ズッと見張りを立てて置かなければならない。

 漸く電子交換機のプログラムのソースコードの打ち出しを終わり、紙の山を見た時は愕然とした。これを解読しなければならないのか。片っ端から隅から隅まで読むとなると、どれ程の時間が掛かるか見当もつかない、それに、そんなことで、皆、興味を持って解読が進むだろうか。

 しかし何とかしなければならない、皆で議論し、何か良い方法はないか、意見を出し合った。すると、名案が出た。過去数年間に機能追加などで手を入れた箇所を調べてみたらどうか、ひょっとすると箇所に偏りがあるのではないか。

 まさにその通りであった。1.必ず手を入れているブロック、2.時々手が入っているブロック、3.全く手が入っていないブロックに三分出来ることが分かった。

 それなら、12の部分を解読すればよい、これなら何とかなりそうだということで解読作業を開始した。それでもたっぷり一年近くの時間を費やしたが、何とか解読を終え、この間に交換プログラム(ソフトウエア)とは何たるかを一応つかむことが出来た。

 やってみて分かったことであるが、この12の部分はプログラム全体の中の謂わば心臓部とも言えるところであったのである。

 真藤語録でいう「習って覚えて真似して実行する」の習う段階は、曲りなりにもクリアしたが、覚えるには程遠い、しかし何とか真似して実行したい気持ちに逸った。

 当時発足した新電々と電電公社の電話網を接続する為の「ゲートウエイ交換機」が必要となっていた。これは電話網の市外交換機を改造すればよいのでそれ程難しくないであろうと判断し、手を挙げた。一部から危惧というか、揶揄する陰口も耳にした。「あの素人連中に何が出来るか、もし出来たら日比谷の交差点を逆立ちして渡ってみせる」と言ったとか言わなかったとか。「この野郎」と思ったが、成果が出るまでは何と言われても仕方ない。「臥薪嘗胆」とはこういうことか。

 作業は殊の外順調に進んでいるように見えた。しかし、かなり進んだレビューの段階で思わぬ手抜かりがある事に気付いた。素人の悲しさである、先に述べた本来2とすべきプログラムブロックを3に残してしまっていたのである。これでは、もう一度初めから見直さなければならない。大変な手戻りである。当然、納期には間に合わない。これが表に出れば、社内からは、「だから言っただろう、彼等のような素人連中に出来る筈がない、直ぐにメーカーに頼んで、納期に間に合わせろ」となるに決まっている。これではサービス超勤など、ものともせず頑張って来た連中に申し訳が立たないどころか、この一年有余の労苦が水泡に帰してしまう。切羽詰まった心境に追い込まれた。仕方ない、先ず、思い切って社長に話し相談に乗って貰うしかないかと決断した。思ってみれば公社時代とはまるで逆である、以前は問題は極力トップに知らせず下で処理する、習わしであった。

 恐る恐る社長室のドアをノックした。事の次第を説明し、納期遅れになって、社内外に対し大変なご迷惑をお掛けすることになる、と釈明した。すると真藤さんは平然として、顔色一つ変えず「(遅れても)構わない、兎に角、仕上げろ。外野のことは一切心配するな」平気の平左である。安堵というより拍子抜けした。

 帰って報告すると、連中は、トップの篤い心意気を感じとり奮い立った。昼夜を分かたぬ突貫作業で何とか間に合わせてしまった。だから問題は全く表に出ることはなかった。

 人間は感情の動物であるから、「意気に感じる」といったようなトリガーが掛かると、会社トップと社員の息さえ合えば不可能は無いとつくづく実感した。

 修羅場を潜った新組織は、全体がシャンとした、それまでは尻を叩いて回っていたが、独りでドンドン進むようになり、寧ろ此方は後を追う格好になった、内製化は実現出来ると確信した。

 実はこの話には続きというか「おち」がある。ずっと後のことになるが、2000年の4月頃だったと思う、真藤さんの業績などを詳しく紹介した「世界制覇」(前間孝則著、講談社)が出版された。これなどを読むと、真藤さんが若い頃からやって来た仕事は我々のそれとは全くスケールが違う。いつも社運が掛かった、伸るか反るかの大仕事の連続だったのである。それらに比べれば「ゲートウエイ交換機」などは「への河童」である。少々遅れてもNTTの経営に何の影響もない、新電々側にしても電電公社民営化のお蔭で出来たもので、民営化の立役者である真藤さんに文句を言う筈がない。決しておくびにも出さなかったが、あの時、真藤さんは「石井という男も小さい奴」と思ったに違いないと想うと、冷や汗が出る。

 少し余談になるが、百田尚樹の出光佐三をモデルとした「海賊とよばれた男」が評判となり映画化もされた。出光佐三の快挙を支えた十万トンタンカーは、出光佐三の心意気に惚れ込んで真藤さんが設計・製造したものである。真藤さんの著書の中で出光佐三を評して、このような件がある、「自分は自分の道をきちっと行こうとするけれど、そのために相手に損害をかけるとか、自分さえ儲かったらいいということは絶対にやらない。性格的にできない。」

 「海賊とよばれた男」の中で十万トンタンカーは高く評価されているが、真藤さんの名前が一切出て来ないのは淋しい。

 何れにせよ、真藤さんの「エラーを恐れずトライせよ」の叱咤・激励は、偉い人お決まりの「うたい文句」ではなく、本気・本心・本モノであった。

「エラーを恐れずトライせよ」

 

 誰でも、背任行為をしたとき厳罰を受けるのは当然のことである。それでは何か仕事をして失敗したらどうか。減点主義で臨むか。漫然と仕事をして失敗すれば、怠慢の罪に当たるだろうが、何かに積極的に取り組んでいる時の失敗を、どう考えるかである。

 私はいくつもの失敗を重ねてきた。経験のないことをやれば、うまくいかないのは当たり前だ。欠陥がでる。それを改良する。また別の欠陥が出る。トライアル・アンド・エラーの連続である。エラーは出るものなのだ。むしろエラーを恐れてトライしないことが責められねばならない。

 ここで注意すべきことはトライした後で、エラーをみつけ出す能力が、その人に備わっているかどうかである。自分を客観視する能力がいる。高く広い判断力を身につけることが大切だ。


真藤さんの人となり(3) 「奇を衒わず」

当会特別顧問 石井 孝

 

今回からは数回に亘って、真藤さんから直接指導を受け、其処から感じ取った真藤さんの仕事の流儀について述べてみる。

 

「奇を衒わず真正面から正攻法でコツコツと」

 

「電子交換機のソフト内製化」を目的とする新組織をスタートすると、一週間も経たないうちに、真藤さんから実行計画を持って来いというお達しである。電電公社流儀で、早速部下に実行計画を作るよう命じた。電々社員は良く出来る人が多い。早速、「ソフトウエア工学」の本などをかき集め、俄か作りではあるが格好の良い計画書が出来上がった。説明を聴いたが良く分からない、しかし格好は上出来なので何とかなるだろうと、説明に出掛けた。

先ず計画書のコピーをお渡しすると、早速、無言でペラペラと捲り、途端に真藤さんの顔色がサット変わった。

「こんな事で、君、本当に出来ると思っているのか」大変な剣幕である。これは、格好を付けて誤魔化すことは出来ない、本音を言うしかないと咄嗟に観念した。

我々は自分をはじめ皆ソフト開発については「ど素人」、文字通りゼロからのスタートである。実のところは、如何してよいやらさっぱり分からない。しかし、先ずは、今使っているメーカーの造ったソフトを勉強する必要があるので、現行ソフトのコピーを行っているが、これとても膨大な量で手を焼いている。「内製化実行計画」などというのは、未だ先の、先の話であると、ついつい「ぶっきら棒」な言い方になってしまった。すると、真藤さんはニヤッと笑って、「それでいい」。その後は雑談で終わった。とんでもない人が社長になったものだと思った。

 

此処で思い起こすことがある、二十代の頃、福富さん(電々公社総務理事をお勤めの後、日立の副社長)の下で、当時アメリカ(ベル研)のデットコピーであった日本のクロスバ交換機を抜本的に見直し、日本独特の経済性に優れた交換機に創り直す仕事の手伝いをさせて頂いた。

福富さんは、内外のあらゆる交換機の回路図を集められ、それらを丁寧に読ませ、その中から、これはと思う傑出した回路を探し出し、それらを分かり易い形に書き改めた回路図集を作るよう命ぜられた。これらを、新機種を設計するための基礎的な参考資料にされた。

氏はこうした地道な作業の積み重ねた上で、独特の設計思想(徹底した合理主義)を基に、世界に冠たる「C400型クロスバ交換機」を完成された。

真藤さんの得意な台詞に「習って覚えて真似して捨てる」というものがあるが、偉い人のやることはみな同じだと、つくづく思ったものである。

こうした方々の基本理念は、奇を衒わず「原理・原則に則った徹底した合理主義」なのである。真藤さんの宿題を何とかこなせたのも、若い頃に福富さんの薫陶を受けたからではないかと思っている。

「豊富な専門知識と専門外知識を持ち、それらを支える常識と厚みのある人生観」を有する優れた師に出会う、人生にとってこんな幸運は他にない。

「初めに習ったことを捨てる」

 

私たちの仕事は模倣の連続である。習って覚えて真似して実行する。ここまでは誰でもする。ところが仕事に関連する技術は、日進月歩の勢いで変化しているから、これを取り入れると、いままでの仕事で生まれたものが改良されて出てくる。ここにきて初めて、最初に習ったことを捨てる結果になる。

捨てるということが、世の中の進歩のためには重要な概念である。

捨てるためには新しいものをみつける能力が必要だ。一つは専門知識、専門外知識であり、そしてもう一つは、それらを支える常識と厚みのある人生観である。


真藤さんの人となり(2)「父と角さん」

当会特別顧問 石井 孝

 

今回はちょっと河岸を変えての話である。石原慎太郎の「天才」以来、田中角栄氏の再評価が最近話題になっているが、真藤さんの角栄感についてご子息の真藤豊さんが次のようなコメントを残している。実に興味深い。

なお、このコメントは「天才」が発刊される大分以前に書かれたものである。

 

「父と角さん」

 

父は会社(仕事)では、時に相当の強面でもあった模様ですが、自宅では極めて穏やかな人でした。子供の頃より父と母の言い争う姿を見た事がありません。母は負けず嫌いで、何時も一生懸命生きていた人でしたが、矢張り女性ですので、時に癇癪が破裂する事も有りました。しかし、そんな時でも父は正面から相手にせず、母の気持ちが納まるまで、ゆっくりと対応していました。

自宅ではテレビはニュース以外見る事もなく、休日はゴルフに行かない時には、部屋に籠って英文書籍を読み耽り、ベートーベンを中心にクラシックを聴く、という日々しか記憶に有りません。

そんな感情の起伏を見せない父が、非常に珍しく興奮した時が有りました。

当時、権勢の頂点に在った田中角栄さんとの面談の日でした。

電電公社の総裁に就任してまだ間もない時であった、と思いますが、造船の関係で古くからの友人でもあった三光汽船のオーナー、河本敏夫先生等から、電電公社の総裁に就任するなら、角さんの所に挨拶に行かねばなりませんよ、と。

なんとか、かの佐藤秘書のルートからアポを取り付け、目白御殿に参上しました。

父は何か事が有ると、先ず私に相談、というか、私に話しながら、自分の考えを纏める、という事が多々ありました。その為に何かあると荻窪に来い、と招集されるのですが、その日は大変興奮した声で、直ぐに荻窪に来い、と。早速駆け付けた所、日頃見ない興奮さめやらない父が坐っていました。

私の顔を見るなり開口一番、「田中角栄とは凄い男だ」と。

目白御殿に三十分の面談、という約束で参上したら、いきなり角さんが「電電民営化、資本金一兆円」と、あの迫力ある顔で睨みつけたそうです。

流石の父も御肝を抜かれたそうですが、そこは父も百戦錬磨、気後れしません、咄嗟に「角さん、1兆円は多過ぎます」と。

角さんからは「それではいくらなら良いのか?」と直ぐに質問され、「七千億円」と答えた、と。電電公社の収益力、配当能力等を勘案するとその辺が妥当、と縷々説明した、と。まだ電電民営化は具体化もしていない段階ですが、その後、二時間以上に亘り、電電民営化とは何か、日本という国はどういう通信政策を目指すべきか、といった電電天下国家論を二人のみで語り合った、と。

当時の目白御殿は門前市をなす陳情団が押し掛けており、面談時間が大幅に延長で、調整に角さんの秘書団は大変だったそうです。父と角さんは北原さんとの関係から「悪い」と思われていますが、二人の間では色々な話が出ていた様で、何年か後になりますが、角さんから「国鉄総裁をやってくれないか」との話が出され、「国鉄は勘弁して呉れ」と答えたら、角さんから「真藤さんにも苦手が有るのか」と笑われたそうです。

総ては茫々たる過去のお話になりました。

しかし、田中角栄さんという政治家、毀誉褒貶は有るかも知れませんが、天下国家、日本の未来の大きな構図を描く能力は間違いなく有った、と思います。

父もその角さんの片鱗に触れ、何時迄も興奮冷めやらず、でした。 あの何時も温厚な父の興奮した顔が思い出されて、思わず苦笑してしまいました。

真藤さんの語録に「経営者に孤独はない」というものがある。私などは、経営者は孤独ではないかと思う。真藤さんは、何事かが起こると、然るべき人を味方というか相談相手に惹きつけてしまう磁力というか何か独特の胆気を持っているように感じる。

 

「経営者に孤独はない」

 

ときどき経営学者に「企業の方向を決断する瞬間は劇的でしょう」とたずねられることがある。

劇的瞬間には悲壮感があるから、経営者がそんな瞬間をしょっちゅう経験しているとすれば、なるほど経営者というものは孤独な存在だといわれてもおかしくない。しかし劇的瞬間を伴うような決断は危険で、よい結果が出るとは思えない。

経営者には、決断すべき問題について相談にのってくれる人が山ほどいる。そしてまた衆知によって問題は解決される。そういう意味では、経営者に劇的瞬間も孤独もあるわけがない。

ただ、その責任を一人で背負いきれずに逃れようとしたり、だれかに半分持ってもらったりすれば、わびしさと孤独を味わうことになるだろう。責任を負う覚悟があれば、それで十分だ。


真藤さんの人となり(1)

当会特別顧問 石井 孝

 

ICT海外ボランティア会」を一段落させホッとしていたら、山川、村上、山崎の三氏が中心にICT海外ボランティア会の灯を消してしまうのは勿体無い、何とか続けようという事で、「若返ったICT海外ボランティア会」がスタートする運びとなった。

前任者の一人としてはとても嬉しい。これですっかり肩の荷も下りたと思っていた。すると、新しい会報に真藤語録を続けろという話である。これまでの語録は文字通り真藤さんご自身の言葉であるが、今度は私の第一人称で真藤さんを語ってみては如何かというご下命である。私に比べたら天と地ほどにかけ離れたスケールの大きな真藤さんを語るとは、真に畏れ多いことで散々ヘジテイトした。しかし、サラリーマン人生九回の裏ツーアウトから廻って来たチャンスに、真藤社長から頂いた鮮烈な教訓を書き留めるのも、これが最後かも知れないという想いが過ぎり、恥を忍んでトライする覚悟を決めた。

以下、真藤さんのご指導の下、我々がやって来た仕事を時系列に従って振り返りながら、十回ぐらいに分けて、思うまま、ザックバランに、教訓に絡めつつ、心を込め「真藤さんのお人柄」と「ものの考え方」を中心に綴ってみたいと思う。

 

1.何の因果で

 

真藤さんは、1981年、電電公社総裁として着任された。当時、本社勤務であったので、講堂で着任のご挨拶を大勢でお聴きした。その時は、歴代の総裁のように雲の上の遠い存在に思えたものである。

その後、大阪の現場管理機関に転勤し、1985年、年齢も50歳に達し愈々電々生活に終止符を打つかと思っていたら、4月1日の民営化を契機に発足する新組織を担務してもらうので、社長直々に話をするので辞令交付の前日331日に社長室に出頭せよとの突然の命令が下った。

 総裁とさしで話すなど、長い公社経験ではとても考えてみたことがない。大いに戸惑ったが、兎に角どんな人か調べる必要がある。あからさまな情報は外部の人に聞くのが一番と思い、物産大阪支店の然る方に当たってみた。

すると、三井グループ内の評判は、心から心酔する者、真藤さんの権力を笠に着て動く者、蛇蝎の如く忌み嫌う者に三分される、毀誉褒貶の激しい方であるということであった。「真藤さんに嫌われたら大変だが、好かれたら、これもまた苦労が多いだろう、石井さんも大変ですね」と言われた。

 実際お会いしてみると、実にザックバランで長年直接の部下であったかのような態度で、タバコを切らさず諄々と話された。

 話の中身は、一番大事な商売道具である電子交換機がダウンすると、電々社員では手におえないのでメーカーの技術者が直しに行くそうだが、君はこれについて如何思うか。これからの世の中で、ソフトウエアの役割を君は如何考えているかといったところであった。

 兎に角、新組織の任務は電子交換機のソフトを内製し、一切のトラブルは自分達で直せるようにすることだと厳命された。この点に関しては反論を許すムードでは全くなかった。正直のところ、成算の見込みは四割もないであろう、実に憂鬱な気分に襲われた。それにしても、真藤さんにとっては何処の馬の骨か分からない男を名指して大事な仕事を任せる筈がない、取り巻きが企んだに違いないと思うとなお更、何の因果で、などといった鬱然たる想いに陥った。どうもこの辺りが顔に出たのかも知れない、真藤さんも気取ったようである、以降、再三呼ばれては懇篤な指導を頂いた。

 真藤語録に「スタート時は強権発動」というものがあるが、真藤さんとの邂逅まさに此れであった。

 

「スタート時は強権発動」

 

 新しい方向へ全体を転換させるスタート時には、本当に理解している幹部が、やみくもに命令して、それ以外には絶対やらせないぞ、ということから始めて、結果を見せて、納得させるやり方でやらないと間に合わない。

 習字を習う時でも、大人に手を握られて、いやおうなしに大人の力で動かされて、初めて手の動かし方のタイミングなり、押さえつけ、引っぱりの感じが出てくるものである。


タイ国のデジタル経済・社会に向けて泰日工業大学で学会開催

当会顧問 加藤 隆

1.タイのデジタル事情

 

現在、アセアン諸国(※1)の経済・社会はAEC(※2)の締結を契機に、更に推進されています。その内「陸の回廊」の中心であるタイは発展途上国を脱し、今や中進国の仲間入りを果たしました。しかし、賃金の上昇や周辺国の追い上げにより、いわゆる中進国の罠にあえぎ始めています。そこでタイでは、「デジタル経済・社会省」を発足させ、「Thailand 4.0」を掲げ、国が一丸となってその克服に取り組んでいます。

その実現のために、長年に亘り積み重ねてきた日本との協調は欠かせません。その一環として最近、日本・タイ両国によるシンポジュームやセミナーが開催されました。私が参加したその内の二つにおいて、タイの要人によるスピーチの概要をまず紹介しましょう。グローバルな傾向ではありますが、ICTを駆使して産業、経済、社会の振興を計る意気込みが強く感じられます。

①タイ:アセアンの次世代ハブに向けて〔ソムキット副首相〕(タイ投資シンポジューム、20176月、於東京)

従前どおり日本との協調は必須です。アセアン諸国の隠れた可能性の実現のために、タイは特にメコン河流域の近隣諸国の開発を行います。これが“タイ+1” 政策です。新たにECC(Eastern Economic Corridor)を設置し、これがアセアン諸国とのゲートウエイになります。

②デジタルインフラストラクチュア構築に向けて官民の協力〔ピシット デジタル経済・社会省大臣〕(タイ・日本電気通信協会ジョイントセミナー、2017年1月、於バンコック)

タイはデジタル技術と投資により“Thailand 4.0”実現に向けて新たな段階に入ります。“オープンイノベーション、独自の技術、優れた人材”を基にして“タイ デジタル アイランド”を促進します。特に地方の生産性向上のため広帯域通信網を緊急に建設します(今後45,000町村)。

※1 アセアン諸国: 陸の回廊はタイ・ベトナム・カンボジア・ミヤンマー・ラオス、海の回廊はシンガポール・マレイシア・インドネシア・フィリピン・ブルネイ。

※2 AECASEAN Economic Community):AFTA を基に2015年に発足、ASEAN内の関税の大幅削減または撤廃による貿易で製造分担などのメリットを活かす。

 

2.The 5th International Conference on Business and Industrial Research (ICBIR) 2018

 

Conferenceの主題は“Smart Technologies for Next Generation of Informatics, Engineering, Business and Social Sciences”で、バンコックの泰日工業大学(TNI: Thai-Nichi Institute of Technology)において、201851718日に開催されます。

 TNIは、「アジア・大洋州の生産拠点になりつつあるタイ国の産業発展のために、優秀な技術者、中核産業人材を育成する目的で2007年に開学しました。TNIは日本のものづくりに基づいて技術知識、技能、魂を伝授します。そして自動車組立、部品産業、電機・電子産業、情報産業などの人材ニーズに応えます。こうしてタイと日本の架け橋として両国の相互理解と親善向上に努めます」(以上「ものづくり教育―TNIストーリー」より)。本大学設立に当たってはNTTも応分に寄与しています。

さて、一般に“Thailand 4.0”のような国家プロジェクトの実施に当たっては、「産学官」の総力で推進することが必要です。しかしタイの場合、これまでのインフラ構築においては多くの場合、「官」主導のもと、「産」として日本を含む外国企業に“ターンキー”ベースで発注し、外国企業が殆どのエンジニアリング、機器の提供、建設を行い、完成した構築物を引き渡すことから、タイ側にはノウハウの蓄積が少なく、また「学」の出番が殆どありませんでした。

このままでは中進国の罠からの脱出には多くの時間を要します。そのため、デジタル経済・社会省大臣の言にある“オープンイノベーション”と共に“独自の技術やノウハウの蓄積”が必要で、そのための強力な体制と優れた人材の育成が必須です。

 しかし、最近は「産」においては海外企業との協調により技術やノウハウの蓄積は次第に力強さが感じられ、「官」においては国家プロジェクトへの意気込みが目立ちます。片や「学」においては国民の大学進学率は急増して、人材の卵の量産体制は整いつつあるものの、自主技術の開発にはまだ手薄の感は否めません。

 その中にあって、この「ICBIR 2018」はその解決の糸口となるべく貴重なイベントとなることが期待され注目されます。

 TNIではこのConferenceでの発表論文を募集しています。提出期限は2018115日で、採用通知は215日です。その詳細は「icbir@tni.ac.th」を参照下さい。

 

3.タイの農林水産業概要とICTの利活用

 

以上を勘案し、ICT活用によるタイの国起し策の一提案をいたします。

タイはかって農業を経済の基盤として発展してきましたが、1980年後半以降、急速に工業化が進展したことに伴い、国内総生産に占める1次産業(農林水産業)の割合は相対的に低下しています。産業構造を見ると、1次産業の国内総生産における比率は全体の9.1%(2015年、「タイの農林水産業概況(農林水産省)」)で、2次産業(工業)は約40%、3次産業(観光業、商業)が約50%を占めると云われています。そして1次産業に関わる人口は約40%とのことで、その主流を占める農業の生産性は他の産業に比して極めて低く、これが国民の貧富の差になり、また都市と農村の大きな格差の要因にもなっています。

この克服のためには農業の生産性の向上が急務と思われます。そのため国策であるICT活用が有効との観点から政府の取り組みがなされています。その一環として、前述の地方町村への広帯域回線プロジェクトは開始されました。更にダイナミックな取り組みが期待されます。

この場合タイにおいては、「産官」のタイアップと共に、今まであまり注目されなかった「学」の寄与が待たれます。これはタイの政策である“オープンイノベーション、独自の技術、優れた人材”の実現の絶好の機会でもあります。タイには特有の気候・風土や歴史的慣行がありますが、今や独自の技術やノウハウの蓄積の良い機会です。具体的には、スマート農業の推進、農産物の高付加価値化、農業知識・スキルの向上等であります。

幸い日本ではこの分野でのICT活用の研究実用化もかなり進んでいます。そこで日本企業の皆様にはこれまでの成果を発表することは、技術移転かたがた海外進出の良い機会と捉えて頂き、前述のConference への参加をお勧めいたします。


タイ国電気通信に寄与した日本グループ

 当会顧問 加藤 隆

(NTTバンコック海外事務所長)

 

1.はじめに

 

他の開発途上国と同様に、かつてタイも電話普及率1%にも満たない時代が長く続いた。それが1950年代から徐々に向上したが、それには日本の献身的な貢献があった。それまではタイの電気通信は欧州を向いていたが、先人の尽力により徐々に日本が主導権を握り、特に首都圏の通信網にはわが国の機器が大幅に導入された。ここではその一端を紹介いたしたい。

今やタイは中進国の仲間入りをし、いわゆる中進国の罠の中で模索している。それから脱却するためにも、またASEAN諸国の中核としての地位を保つためにも、今提唱されている“Industry 4.0”の潮流に乗り、IoT等の技術は国の経済・社会発展の基盤になるとの認識から、政府はデジタル経済・社会省を中心として、国を挙げてその振興に取り組んでいる。その基礎を築いたのも日本であると云っても過言ではなかろう。

 

2.技術協力としての貢献

 

日本による技術協力の意義と魅力は次の通りである。

 

[意義]

・日本政府のODAの理念の実現に寄与

・途上国の電気通信発展および人材育成並びに日本の海外人材育成に寄与

・諸外国に対し日本の技術の認識を高め、更に日本企業の知名度向上に寄与

・日本企業の海外でのプロジェクト発掘・実施の基盤形成

 

[魅力]

・主に自主開発による世界に標準化された最新技術による協力

・多くの技術や保守運用のノウハウを有する熟練し経験豊かな専門家による協力

・相手側の事情を長期的な観点から勘案し、人材育成をも考慮する協力

 

以下に主要な事例を紹介する。

 

(1)モンクット王ラカバン工科大学(KMITL)の設立並びに多くの専門家派遣

KMITLはわが国ODAの輝かしい成功例のひとつと言えよう。

1959年、駐タイ日本国大使館一等書記官(電電バンコック事務所長兼務)として派遣された牧野康夫氏は日本政府・電電およびタイ国政府・TOT(タイ電話公社)間の幾多の調整を経てノンタブリ訓練センター(後、KMITL)設立に尽力し、日タイ技術協力の基礎を作った。今や広大なキャンパスに校舎がところ狭しと建設され、学部13、研究センター2、学生数1万6千名を擁するタイ国有数の大学に成長している。

日本からの長期専門家は67名である(NTT、東海大学、NHKMPTJICAKDD)。

 

(2)タイ電気通信協会(TCT: Telecommunications Association of Thailand)設立および運営支援

 1990年、日本の電気通信協会のアドバイスと支援によりに設立され、以来、両協会間の覚書に基づき、毎年Joint Seminarが開催されている。その内容は、①日本における電気通信・情報通信の技術動向の共有(講演者はNTT等)、②タイにおける電気通信・情報通信に関する現状・将来計画および政策(講演者は大臣、政府機関、運営体等)である。タイの電気通信・情報通信の向上および両国間の交流に寄与し、すでに27回実施され年々充実している。

 

(3)アジア大洋州電気通信共同体(APT: Asia Pacific Telecommunity)の運営支援

 1979年に設立され本部はバンコックにある。現在、構成メンバーは会員38ヵ国および準会員4ヵ国の政府である。賛助会員として各国主要運営体および製造会社等がある。活動は域内開発途上国の電気通信サービスやインフラ整備の支援を通して域内の発展に寄与することであり、そのため日本政府(総務省)は出資、セミナー開催、人材派遣等を行う等運営に大きく寄与している。

 

(4)技術専門家・青年海外協力隊等の派遣(電電・NTT関連)

 タイ政府の要請に基づき、電電(NTT)からJICAITU等長期専門家(KMITL, TOT, APT等)65名、青年海外協力隊5名、シニア海外ボランティア2名が派遣された。

 

(5)タイからの叙勲・感謝状等の授与(電電・NTT関係者、敬称略)

 KMITL名誉博士号授与:米沢 滋(元電電総裁)、牧野康夫(元バンコック事務所長)

白象勲章授与:秋草篤二(元NTT社長)、山口開生(元NTT社長)

 国王から感謝状等授与:田代穣次(NTT国際局長)、池沢英夫(元NTT施設局次長)

 

3.電気通信網拡充に寄与

 

(1)終戦直後の日本の電話事情と技術開発・実用化

電話設備は他のインフラと同様にとことん壊滅し、1945年には日本国中で54万回線しかなく、普及率はわずか0.5%であった。一方、産業と経済の回復スピードは速く、電話の需要が急増し、1971年には積滞数は290万件に及んだ。また、市外通話はオペレータ経由で、接続までに多くの時間を要した。

それに対応すべく、電電公社は「申し込んだら直ぐつく電話」、「全国どこへでもダイヤルでつながる電話」の二大目標を掲げ、これら目標の達成のため、電話網を構成する機器やケーブルの研究実用化、保守運用体制の強化等に官民が一体となって取り組んだ。

 機器やケーブルの研究実用化については、電電の研究所・技術局が中心となり、各メーカーとの共同研究を含め、世界の動向を勘案しつつ精力的に進められた。その主眼点は、機器・ケーブルの低コスト化、コンパクト化、高耐久性化及び高信頼性化であり、更に保守運用の容易性、大量生産性の向上であった。

 それらは1950年から1980年にかけて実施されたが、対象は市内・市外クロスバ交換機、マイクロ無線伝送、PCM伝送、光ファイバーケーブルや同軸・PEFケーブルなど多方面に及んだ

 

(2)タイ国電話網拡充と日本企業の貢献

タイにおける固定電話の慢性的で大幅な積滞解消の兆しは、日本に遅れること凡そ20年、主に日本グループの尽力でなされた。その場合、日本でNTTが中心となって研究・実用化された前述の機器およびノウハウが大幅にタイに導入され、それがタイの電話網拡充に大きく寄与した。

タイの電話普及率(%)、5ヵ年プロジェクトおよび日本企業の貢献を次図に示す。

1956年:タイ文字電信印刷機器輸出(新興電気)

Swang氏(PTD)が開発に尽力、長期間、標準機として使用

[日本企業は1950年代よりタイ側に接触開始(主にNTCTOTに対し)]

1964年:Bangkok Transit Cable Network Project受注(NTCTOTより)

タイの局外プロジェクトとして日本グループ最初の受注、全長60km

           ケーブル:藤倉、工事:日通建、支援:電電、その結果、日本の知名度向上

1965年:Bangkok Local Cable Network Project受注(NTCTOTより)

タンキーベース、200km、10億円

ケーブル:藤倉、工事:日通建、交換機(C1):沖、三井物産

1969年:第1次5ヵ年電話網拡充プロジェクト受注

   バンコック市内網、電話15万回線分、最初の大規模国際入札

   交換機(7.5万回線):NEC, ケーブル:藤倉、工事:日通建

 [この間に、タイ現地に日系ケーブル製造会社3社(古河・日立電線・住友)、工事会社4社(日通建・協和・古河・住友)設立]

~1992年:第2次、第3次、第4次、第5次5ヵ年電話網拡充プロジェクト受注

 

(3)1993年:第7次5ヵ年電話網拡充プロジェクト受注(日本グループ大活躍)

タイ国国家経済社会開発計画の一翼を担い、電話普及率10%を目標とした。

バンコック首都圏  200万回線+60万回線(追加)

地方(首都圏以外) 100万回線+50万回線(追加)

 

 主要工程として、交換装置はデジタル交換機、基幹回線および加入者回線の縁石まで光ケーブル伝送である。受注会社数の3/4を日本勢が占め日本主導で実施された。

局内系では、交換装置はNEC、有線伝送装置は富士通が健闘した。局外系では、光ケーブル供給には現地に工場を設置した会社のほか藤倉が活躍した。局外系工事では、現地法人を設置した会社が受注した。交通渋滞の厳しいなか順調に推移し、追加工程も含め工期内で終了した。

この間、日本企業の現地スタッフ、また日本企業の現地関連会社として工事に従事したタイ側は、これをon the job training の場として活用する等により大きく成長し、その後、タイ独自で工事が出来るようになった。

このプロジェクトの基本計画のベースは、ODAとしてNTTが実施した(1988-1992)。また、NTTは熾烈な入札競争の末にTT&Tの経営権獲得に成功し、投資のほか約50名の社員を派遣し、各種マニュアル作成や人材育成に寄与した。(了)


 

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